第158話「全員採用」
翌日。
旨味亭ブレイブには、百三十七人の応募者が再び集まっていた。
椅子だけでは足りず、店の奥や階段の近くにも立っている者がいる。
誰もが緊張した面持ちで、採用結果が発表されるのを待っていた。
そんな中、なぜか呼ばれてもいないレオルドが、いつの間にかユウヤの隣で腕を組んでいた。
「何でお前がいるんだよ!」
「採用結果を発表するんですよね?」
「そうだ。だから帰れ」
「いいえ。ここは常連客として、見届けなければなりません」
「……意味分かんねえ」
追い返すのも面倒だと思い、ユウヤは放置することにした。
店の奥へ戻ると、エマが何枚もの書類を抱えて待っている。
グレッグは厨房希望者の応募書類を見直し、トムはなぜか得意げに胸を張っていた。
「本当に、全員採用すると伝えるんですね?」
エマが念を押すように尋ねる。
「そのために商会を作るんだろ?」
「まだ商業ギルドへの申請すら終わっていませんけどね」
「金はある」
「お金だけで何でも解決しようとしないでください」
エマは小さくため息をついた。
「全員の配属先も、まだ決まっていません」
「それは今日から決めればいいだろ」
「簡単に言いますね……」
隣で聞いていたトムが、さらに胸を張る。
「自分も今日から、先輩っすね!」
「まだ商会もできてねえし、お前の後輩になるとも決まってねえからな」
「でも、自分の方が旨味亭ブレイブでは先輩っす!」
「偉そうにするなよ」
「しないっす!」
即答するところが、余計に不安だった。
「ユウヤさん」
エマに呼ばれ、ユウヤはそちらへ顔を向ける。
「皆さんを待たせています」
「分かってる」
ユウヤは店の奥を出ると、応募者たちの前へ立った。
ざわついていた店内が静かになり、百三十七人分の視線が一斉に集まる。
「何日も待たせて悪かった」
集まった者たちの顔を見回す。
「誰を雇うか、ようやく決めた」
不安そうに視線を落とす者もいれば、手を固く握り締めている者もいる。
ユウヤは一度だけ息を吸った。
「ここにいる百三十七人、全員を採用する」
誰もすぐには反応しなかった。
前方にいた男性が、恐る恐る口を開く。
「……全員、ですか?」
「ああ。ここにいる全員だ」
ようやく意味を理解したのか、あちこちから声が上がった。
「本当に!?」
「全員って、私も……?」
「採用されたのか?」
隣の者と顔を見合わせたり、驚いたまま固まったり、中には目元を押さえて俯く者もいた。
その中で、一人の女性が遠慮がちに手を挙げる。
「あの……」
「何だ?」
「大変ありがたいお話なのですが、この店だけで全員が働くのは難しいのではないでしょうか」
「無理だな」
今度は別の意味で、応募者たちの表情が固まった。
「む、無理なのですか?」
「ああ。この店に百三十七人もいたら、仕事どころじゃねえだろ」
困惑が広がる中、エマがユウヤの隣へ出た。
「皆さん、落ち着いてください。全員が旨味亭ブレイブで働くわけではありません」
「では、どこで……?」
「新しく店を作ります」
エマはそのまま説明を続ける。
「私たちは、新たにブレイブ商会を立ち上げる予定です。旨味亭ブレイブだけではなく、パン屋や麺料理を扱う店、貴族向けのレストランなどを作ります」
料理人たちが顔を見合わせる。
「食材の仕入れや運搬、倉庫の管理、会計や事務の仕事も必要になります。皆さんの経験や希望を確認し、それぞれに合った仕事をお願いするつもりです」
別の応募者が手を挙げた。
「ブレイブ商会というのは、以前から存在していたのでしょうか?」
「いいえ」
「では、いつ頃から計画されていたのですか?」
エマは一瞬だけユウヤを見た。
「昨日です」
「昨日!?」
あちこちから驚きの声が上がった。
「正確には、昨日の午後に決まりました」
「そんなに急に……」
「私もそう思います。ですが、皆さんの働きたいという思いに応えるため、ユウヤさんが商会を立ち上げることを決めたんです」
ユウヤも口を挟む。
「まあ……金も人もいるんだ。やってみる価値はあるだろ」
「それで済むほど簡単ではないんですけどね」
エマが小声で返した。
後方にいた男性が、遠慮がちに尋ねる。
「新しい店ができるまで、どれくらいかかるのでしょうか」
「それは、まだ分かりません」
男性は視線を落とした。
「では、その間は……」
「準備中も給料は払うぞ」
男性が顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「働いてもらうんだから、払うに決まってるだろ」
「ですが、まだ店は……」
「店を探したり、道具を揃えたり、料理を覚えたりするのも仕事だ」
男性はしばらくユウヤを見つめてから、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……」
それをきっかけに、ほかの応募者たちからも声が上がる。
「ありがとうございます!」
「精いっぱい働きます!」
「必ず、お役に立ってみせます!」
ユウヤは照れくさそうに頭を掻いた。
「まだ何も始まってねえからな。礼は、店ができてからにしてくれ」
一通りの説明が終わると、エマたちは新しい用紙を配り始めた。
希望する店や仕事、これまでの経験。
読み書きや計算ができるか、責任者を務めた経験や荷馬車を扱ったことがあるかなども確認する。
ユウヤは用紙を横から覗き込んだ。
「こんなに聞くのか?」
「百三十七人を配置するんですよ?」
「大変だな」
「商会主の仕事でもありますからね」
「エマ、頼んだぞ」
「逃げないでください」
エマは応募者たちへ向き直る。
「文字を書くのが難しい方は、近くの者へ声をかけてください。こちらで話を聞きながら記入します」
応募者たちが用紙に向き合い始めると、商会で働いていたという女性がエマのもとへ歩み寄ってきた。
「エマさん」
「はい」
「よろしければ、皆さんの経歴を一覧にまとめる作業をお手伝いしましょうか?」
「いいんですか?」
「商会では、人員の記録を担当していましたので」
それを聞いたほかの者たちからも、次々と声が上がった。
「店舗の数が決まりましたら、必要な倉庫の広さも考えておきます」
「俺は荷馬車を扱えます。店の場所が決まれば、運搬に使う道も確認できますよ」
「パン屋に使える窯なら、王都の西側に空いているものがあったはずです」
「貴族向けの店なら、食器や個室の広さも考えた方がよいでしょう」
エマは集まった者たちを見回した。
「皆さん……ありがとうございます」
「私たちは、もう採用されたんですよね?」
商会経験者の女性が笑う。
「でしたら、今日から働かせてください」
周囲の者たちも頷いた。
エマはすぐに何人かを集め、経歴の整理を任せ始める。
グレッグの周りには料理人やパン職人が集まり、必要な設備について話し始めた。
トムも、荷馬車や倉庫の経験者たちの間を走り回りながら、エマからの伝言を届けている。
「自分、もう連絡係っすね!」
「調子に乗って伝言を間違えるなよ!」
「そこは大丈夫っす!」
「本当か?」
昨日まで応募者だった者たちが、すでにそれぞれ動き始めていた。
その時、一人が手を挙げる。
「新しく作るお店の名前は、もう決まっているのでしょうか?」
「名前?」
ユウヤは首を傾げた。
そこまでは考えていない。
すると、店の隅で成り行きを見守っていたレオルドが、迷いなく口を開いた。
「パン屋の名前は、ブレイブパンしかありません」
ユウヤは勢いよく振り返る。
「お前はまた勝手に決める気か!」
以前も、旨味亭ブレイブという店名を勝手に決め、看板まで注文してきたのはレオルドだった。
「分かりやすくて、良い名前だと思います」
「まだ誰も頼んでねえよ!」
「うどんを出すお店は、ブレイブうどんですね」
「聞けよ!」
トムが感心したように頷く。
「すごく覚えやすいっす!」
「考えることを放棄しているだけでは……」
エマが呆れた声を漏らした。
「貴族向けのお店は、レストラン・ブレイブでどうでしょうか?」
「全部にブレイブをつけりゃいいと思ってんだろ!」
「商会の名前がブレイブですので、統一した方がよいかと思いまして」
グレッグは少し考えたあと、頷いた。
「変に気取った名前より、分かりやすくていいんじゃねえか?」
「グレッグまで賛成すんな!」
レオルドは満足そうに笑う。
「では、看板も注文しておきますね」
「勝手に注文すんじゃねえ!」
ユウヤの声が、店中へ響き渡った。
店名の話はいったん後回しにされ、応募者たちは再び用紙へ向かう。
ユウヤは満足そうに腕を組んだ。
「これで、全員雇えたな」
「まだ始まったばかりです」
エマはユウヤの前へ、大量の書類を置いた。
「何だこれ?」
「店舗の取得、商業ギルドへの申請、商会の規約、給与の決定、責任者の承認に関する書類です」
「エマに任せる」
「商会主の確認と署名が必要です」
「……名前を書くだけでいいのか?」
「すべて読んでからです」
ユウヤの顔が引きつった。
隣から机を覗き込んだトムが、楽しそうに笑う。
「ユウヤさん、すごい量っすね!」
「お前も手伝え」
「自分、読み書きはあんまり得意じゃないっす!」
「荷物運びしかできねえじゃねえか!」
その隙に、グレッグが厨房へ戻ろうとする。
「俺は料理人たちと、必要な道具を確認してくる」
「お前も逃げるな!」
「俺は仕事をしてるだけだ」
エマは騒ぐ三人を気にすることなく、さらに別の書類を机へ置いた。
「では、まずブレイブ商会の規約から決めましょう」
「商会って、店を作るだけじゃなかったのかよ……」
ユウヤは目の前に積み上がった書類を見て、頭を抱えた。




