第157話「ブレイブ商会」
王城から戻ったユウヤは、エマ、グレッグ、トムの三人を店の奥へ集めた。
机の上には、百三十七人分の応募書類が積まれたままだ。
誰を採用するのか、結論はまだ出ていない。
ユウヤが椅子へ腰を下ろすと、エマが尋ねた。
「報奨のお話は、どうでしたか?」
「ああ」
ユウヤは机の上の書類へ目を向けながら、何でもないことのように答えた。
「白金貨千枚だってよ」
三人の動きが止まった。
「…………」
聞こえていなかったのかと思い、ユウヤが言い直そうとした直前。
「白金貨千枚!?」
エマとトムの声が、店の奥に響き渡った。
「声でけえよ!」
「大きくもなります!」
エマは椅子から立ち上がり、机へ身を乗り出す。
「本当に千枚ですか!? 百枚ではなく!?」
「千枚だって言われた」
「一、十、百、千の千っすか!?」
「ほかにどんな千があるんだよ」
トムは口を開けたまま固まっている。
グレッグも目を見開いていた。
「白金貨千枚か……」
しばらくして、感心したように息を吐く。
「さすが、国を救った英雄だな」
「俺一人で救ったわけじゃねえよ」
「白金貨千枚なんて一生かけても稼げませんよ!」
エマはまだ興奮が収まらないらしい。
トムも勢いよく身を乗り出した。
「一生働かなくても暮らせるんじゃないっすか!?」
「それは知らねえけど、店なら何軒も建てられるだろうな」
その言葉を聞き、三人が少しだけ静かになった。
ユウヤは机に積まれた応募書類へ手を伸ばす。
「それで、考えたんだけどよ」
一番上の書類を持ち上げ、三人の顔を見た。
「百三十七人、全員雇わないか?」
エマがゆっくりと口を開く。
「……全員ですか?」
「ああ」
「無理です」
即答だった。
「早えな」
「当たり前です!」
「金ならあるだろ」
「お金だけの問題ではありません!」
エマは応募書類の山を指さした。
「この店で必要なのは、十人程度だったはずです。それを百三十七人も雇って、何をしてもらうんですか?」
「そうだぞ」
グレッグも頷く。
「この店だけじゃ、全員に仕事なんてねえ。厨房へ入れたところで、身動きできなくなるだけだ」
「だから、働く場所を増やす」
ユウヤが答えると、エマは眉を寄せた。
「働く場所?」
「新しい店を作るんだよ」
白金貨千枚もあれば、店を増やし、必要な設備を揃え、当面の給料も払える。
今の旨味亭ブレイブだけへ全員を押し込む必要はない。
「旨味亭ブレイブの二号店や三号店を作るということですか?」
エマは少し考えながら言った。
「それなら、ある程度の人数は雇えるかもしれません。ですが、百三十七人全員となると、何店舗必要になるか……」
「同じ店を何軒も作るのは、面白くねえな」
「面白くない……?」
「せっかく、いろんな仕事をしてた奴が集まってるんだ。全員を食堂で働かせなくてもいいだろ」
ユウヤは応募書類の山を崩し、一枚ずつ経歴を確かめていった。
料理人だけではない。
パン職人や宿屋、酒場の従業員。
商会で働いていた者や、貴族の屋敷に仕えていた者もいる。
倉庫で商品の管理をしていた者や、荷馬車で荷物を運んでいた者までいた。
ユウヤは、その中から一枚の書類を取り出す。
「まずは、パン屋だな」
「パン屋ですか?」
「ああ。パン職人が何人かいるだろ」
エマはユウヤが持つ書類を確認した。
確かに、王都のパン屋で働いていた者や、自分で小さな店を営んでいた者が応募している。
「普通の硬いパンだけじゃなくて、もっと柔らかいパンも作る。甘いパンとか、中に具を入れたパンもいいな」
「具って何を入れるんすか?」
トムが興味深そうに尋ねた。
「肉でも野菜でもいい。切ったパンに挟んで、手で持って食えるようにするんだ」
「パンに料理を挟むんすか?」
「そうだ。店の中で食わなくてもいいし、持ち運べるだろ」
王都では、まだ復興作業に追われている者が多い。
職人や騎士、ハンターにも、手軽に食べられる物なら需要がありそうだった。
「確かに、仕事の合間にも食べられますね」
エマも納得したように頷く。
「パン屋を作るなら、パン粉も作れるな……」
「パンコ?」
トムが首を傾げた。
エマとグレッグも、同じような顔をしている。
「パンを細かく砕いて、乾燥させたやつだよ」
「何に使うんですか?」
「肉や魚につけて、油で揚げる」
「パンを油で揚げるんすか?」
「肉にパン粉をつけて揚げるんだよ!」
ユウヤは両手を使いながら説明する。
「小麦粉と卵をつけて、その上からパン粉をまぶす。それを油の中に入れると、外側がサクサクになるんだ」
「サクサク……」
グレッグが興味を引かれたように呟いた。
「それをパンに挟んでも美味いんだよな」
「揚げた肉を、さらにパンへ挟むんですか?」
エマが怪訝な顔をする。
「野菜も一緒に挟む。そこにソースをかけるんだ」
「ソースというのは、いつものパスタに使っているものですか?」
「いや、それとは別だ。揚げ物に合う、甘くて濃い味のやつがあるんだよ。あれも作らねえとな……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
エマが慌ててユウヤを止めた。
「何だ?」
「何を言っているのか、ほとんど分からないんですけど……メモを取ってもいいですか?」
「分かってねえのに書くのかよ」
「分からないから書くんです!」
エマは新しい紙とペンを用意し、ユウヤの説明を書き留めていく。
「これで全部ですか?」
「いや、甘いパンもあるし、肉以外の揚げ物も――」
「一度に増やさないでください!」
エマの声が響いた。
そのやり取りを聞いていたグレッグが、ふと思い出したように口を開く。
「そういや、レグナ麺を作った時に言ってたよな」
「何をだ?」
「こいつはパスタっていうより、うどんに近いって」
「ああ、言ったな」
ユウヤが再現しようとしたパスタは、材料や製法の違いもあり、元の世界のものとは違う麺になった。
太く柔らかく、ユウヤの知るうどんに近い。
それでも、レグナ麺として店の人気商品になっている。
「だったら、そのうどんってやつを出す店も作れるんじゃねえか?」
グレッグの提案に、ユウヤは目を見開いた。
「確かに」
パスタではなく、最初からうどんとして作ればいい。
「小麦粉と塩と水が中心だから、安く作れるな。肉を載せてもいいし、キノコや卵も合う」
「さっきの揚げ物ってやつも載せられるんじゃねえのか?」
「それなら、天ぷらも作れるか……」
「待ってください!」
新しい紙を取り出したエマが、二人を止める。
「今度は最初から、ゆっくり説明してください!」
「天ぷらは野菜とか肉に衣をつけて――」
「その衣とは何ですか!?」
エマの紙が、また知らない料理名で埋まっていく。
トムは隣から紙を覗き込み、感心したように頷いていた。
「よく分からないっすけど、全部美味そうっすね」
「あなたも少しは考えてください!」
「自分は食べる方が得意っす!」
「知っています!」
しばらくして、エマは応募書類の中から数枚を取り出した。
「パン屋とうどん屋については分かりました。では、この方々はどうするんですか?」
差し出されたのは、元宮廷料理人や貴族の屋敷で料理をしていた者の書類だった。
ほかにも、執事や使用人として長く勤め、礼儀作法に慣れている者がいる。
「旨味亭ブレイブで働いていただくこともできますが、その経験を生かし切れるかどうか……」
旨味亭ブレイブは、誰でも気軽に入れる食堂だ。
市民も子どもも、ハンターも騎士もやって来る。
「じゃあ、貴族向けの店も作るか」
「貴族向けですか?」
「静かに飯を食ったり、話をしたりできる高級な店だ。個室も作って、料理も接客も今の店より豪華にする」
「それなら、元宮廷料理人の方を料理長にできますね」
エマは、頭の中で人員を組み合わせ始めた。
元執事や使用人を接客の責任者にすれば、貴族への対応も任せられる。
貴族街に店を出せれば、需要もあるだろう。
話し合いを始めた時には、旨味亭ブレイブの支店を作る程度だった。
それが、いつの間にかパン屋とうどん屋、貴族向けのレストランまで増えている。
エマは書き込んだ紙を机へ並べた。
「少し、整理させてください」
複数の店を作れば、食材の仕入れや保管、運搬も必要になる。
店舗ごとの売上や給料を管理し、人員の配置も決めなければならない。
エマは、何枚にも増えた紙を見つめた。
「これだけの店を作って、百三十七人を雇うんですよね?」
「そのつもりだ」
「仕入れや会計、倉庫、運搬までまとめて管理するとなると……」
エマは額に手を当てる。
「もう食堂ではなく、商会じゃないですか……」
「商会か……」
ユウヤが、その言葉に反応した。
エマは顔を上げる。
嫌な予感がした。
「なあ、エマ」
「何でしょうか」
「商会って、立ち上げられるか?」
「どうしてそうなるんですか!?」
エマは思わず机を叩いた。
「今、食堂の範囲を超えていると説明したんです!」
「だから、商会にすればいいんだろ?」
「普通は、そこで計画を縮小するんです!」
「でも、商会にすれば全員雇えるんだよな?」
エマは言葉に詰まった。
白金貨千枚があれば、店舗の取得や改装費用は用意できる。
当面の給料を支払うことも可能だ。
しかも応募者の中には、商会や会計、倉庫管理、運搬の経験者までいる。
やらなければならないことは多いが、実現できない話ではなかった。
エマが答えに迷っていると、トムが勢いよく手を挙げる。
「なら、名前はブレイブ商会っすね!」
「……いや、別の名前にしようぜ」
「旨味亭ブレイブが中心になるなら、それしかないっす!」
グレッグも反対する様子はない。
「分かりやすくていいんじゃねえか?」
「皆さん、決めるのが早すぎます……」
エマだけが頭を抱えていた。
「よし。細かい運営はエマに任せる」
「待ってください」
「俺は金を出して、新しい料理や店を考える」
「商会主には、それ以外の仕事もあります」
「グレッグは料理人の指導と商品開発だな」
「それなら構わねえぞ」
「グレッグさんまで勝手に決めないでください!」
トムも自分を指さした。
「自分は何をすればいいっすか?」
「荷物運びと、新人の教育だな」
「なんか凄そうっす!」
「ほとんど今までと同じじゃないですか!」
ユウヤは、机の上の応募書類を何枚か手に取った。
「エマ一人に全部やらせるつもりはねえよ。商会や会計の経験がある奴を補佐につける」
「人員管理や、倉庫の仕事をしていた人もいたよな」
「それは……いましたけど」
「そいつらにも手伝ってもらえばいい」
料理人や接客係だけを探していた時には目立たなかった経歴も、商会を作るとなれば使える。
エマは応募書類の山を見つめ、長い息を吐いた。
「私一人では、絶対に無理ですからね」
「分かってる」
「商会の仕事に詳しい方を、何人か補佐につけてください」
「ああ」
「店舗ごとに、信頼できる責任者も必要です」
「それも選ぼう」
「重要なことを、思いつきだけで決めないでください」
「善処する」
エマはユウヤをじっと見た。
「守る気がない返事ですよね?」
「そんなことねえよ」
「では、商会の設立に必要な手続きを調べるところから始めます」
そう答えたエマの前には、すでに大量の紙が積まれていた。
店の候補地や必要な設備、人員の配置、仕入れ先、商業ギルドへの申請。
さっきまでの従業員選びとは、まったく違う仕事になっている。
ユウヤは満足そうに頷いた。
「よし。決まりだな」
「まだ設立すると決まっただけですからね」
「名前も決まっただろ」
「トムさんが勝手に言っただけです」
「ブレイブ商会、いい名前だと思うぞ」
グレッグまで口を挟む。
エマは何かを諦めたように目を閉じた。
人手不足をどうにかするための話し合いだったはずが、気づけばブレイブ商会を立ち上げることになっていた。




