第154話「デカすぎる店」
魔物の襲撃から、一か月ほどが経った。
王都のあちこちには、今も組み上げ途中の足場が残っている。
通りの端には運び出された瓦礫が積まれ、朝から晩まで職人たちが槌を振るう音が響いていた。
それでも、主要な通りや市場には以前の活気が戻りつつある。
店先では威勢のいい声が飛び交い、荷車が石畳の上を行き来していた。
そんな復興途中の王都で、周囲の建物よりも明らかに早く完成した店がある。
「えっ……なんだこれ……」
ユウヤは、その建物を見上げたまま固まっていた。
場所は間違っていない。
以前、旨味亭ブレイブがあった場所だ。
看板にも、しっかりと店の名前が刻まれている。
だが、ユウヤの記憶にある旨味亭ブレイブは、もっと小さな食堂兼住居だった。
少なくとも、隣の土地まで使った、二階建ての巨大な建物ではない。
正面には大きな扉が設けられ、その向こうには広々とした客席と真新しいテーブルや椅子が並んでいる。
天井には立派な照明が取り付けられ、厨房も以前とは比べものにならないほど広い。
さらに店の奥には、地下へ続く階段まで作られていた。
外観だけを見れば、街の食堂というより貴族が利用する高級料理店に近い。
ユウヤは何度か目を瞬かせる。
「……場所、間違えたか?」
「間違えていませんよ」
隣に立っていたエマが即答した。
「ここが旨味亭ブレイブです」
「いや、違うだろ。俺が知ってる店は、もっとこう……普通の大きさだったぞ」
「以前はそうでしたね」
「なんで他人事なんだよ」
ユウヤは改めて巨大な建物を見上げた。
最初の方は、ユウヤも建て直しを手伝っていた。
だが、危険だからという理由で途中から大工たちへ任せることになった。
それが一か月で、まったく別の店になっている。
原因は、再建が始まった初日に遡る。
王国から、旨味亭ブレイブの隣の土地を使っていいと言われた。
隣に建っていた住宅は魔物の襲撃で倒壊し、住人は土地を手放してソイヤの街へ移ることを決めたらしい。
王都を守った褒賞と、復興支援を兼ねてのことだった。
その話を聞いた時、ユウヤは少し店を広げられる程度にしか考えていなかった。
ところが、王都の住民たちは違った。
「厨房に最新のコンロを設置しておきました!」
見知らぬ職人が、満面の笑みでそう報告してきた。
「待て。設置しておきましたって、そんなの発注してねえぞ!?」
「親方が魔物に食われそうになったところを、助けてもらったみたいで。命の恩人に、少しでも恩返しがしたいと」
「いや、お前らのところも大変だろ……」
ユウヤが止める間もなく、今度は別の男が大量の椅子を積んだ荷車を引いてきた。
「うちで作った最高傑作の椅子です! ぜひ使ってくだせえ!」
「こんなにいらねえだろ!」
「地下の客席に置く分もあります!」
「地下!?」
その時点で、ユウヤは初めて地下まで作られることを知った。
さらに翌日には、照明を扱う商人が現れた。
「照明なら俺に任せろ! 夜でも昼のように明るくしてやる!」
「食堂だぞ!? しかも、夜の営業は考えてねえぞ!」
その横では、石材を扱う商人が職人たちへ声を張り上げている。
「石が足りないなら、うちの倉庫から持ってこい!」
「勝手に話を進めるな!」
「代金はいりません!」
「どうなってんだ!」
その後も、家具や建材を持ち込む者や、仕事の合間に手伝いに来る住民が次々と現れた。
ユウヤが何度止めても、誰も聞かない。
「いや、待て! 店一軒建て直すだけだからな!?」
そう叫んでも、返ってくる言葉は同じだった。
「王都を救ってくれた英雄に、これくらいさせてください!」
「英雄はやめてくれ」
「マスクドブレイブ様が、そんな謙遜を!」
「謙遜じゃねえ!」
ユウヤの声は、槌を振るう音にかき消された。
その結果、旨味亭ブレイブは周囲のどの建物よりも早く完成し、必要以上に巨大になった。
「善意って怖いな……」
「皆さん、ユウヤさんに恩返しがしたかったんですよ」
エマが言う。
「限度があるだろ」
「誰も止められませんでした」
「お前は止めろよ」
「止めようとはしました」
「本当か?」
「途中から無理だと判断しました」
「諦めるの早くねえか?」
話している間にも、店の中から威勢のいい声が聞こえてくる。
「トム! 皿が足りねえ!」
「今持っていきます!」
「その前に市場で香草を買ってこい!」
「どっちからですか!?」
ユウヤが店内へ入ると、トムが両手いっぱいに皿を抱えて走っていた。
今日は正式な営業再開ではない。
再建を手伝ってくれた者たちへの礼として、レグナ麺とスープを無料で振る舞っている。
広い客席にはすでに大勢の住民が座り、店の外にまで人が並んでいた。
「おい、走ると危ねえぞ!」
ユウヤが声をかけると、トムは慌てて足を止めた。
「でも、皿が!」
「俺が持っていく。お前は香草を買ってこい」
「分かりました!」
「市場まで走るなよ!」
「はい!」
そう返事をした直後、トムは全力で店の外へ飛び出した。
「聞いてねえな、あいつ……」
ユウヤは皿を受け取り、厨房へ運んだ。
新しくなった厨房では、グレッグが巨大な鍋を前に満面の笑みを浮かべていた。
「火力が全然違うぞ!」
三つ並んだコンロの上で、それぞれ別の鍋が湯気を上げている。
グレッグは鍋をかき混ぜながら、子どものように目を輝かせていた。
「鍋を三つ並べても、まだ場所が余ってる!」
「嬉しそうだな」
「当たり前だろ! この厨房、最高だ!」
調理台も増え、食材を保管する場所も以前よりはるかに多くなっている。
料理を作るグレッグにとっては、かなり嬉しいらしい。
「皿、ここに置くぞ」
「助かる! できた分から運んでくれ!」
「ああ」
ユウヤが料理を客席へ運ぶと、一人の男が嬉しそうにレグナ麺を口へ運んでいた。
「うまい!」
その隣に座っていた女性も、何度も頷いている。
「このレグナ麺も、マスクドブレイブ様が作ったんですか?」
ユウヤは皿を置きながら、首を振った。
「考えたのは俺だけど、作ったのはグレッグだ。味のことなら、あいつを褒めてくれ」
「では、マスクドブレイブ様が料理を考案されたと?」
「作りたいものを伝えただけだ。実際に再現したのは、全部グレッグだ」
「なるほど……さすがマスクドブレイブ様!」
「今の話、聞いてたか?」
なぜか最終的には自分が褒められる。
ユウヤが困ったように頭をかいていると、奥からエマの声が飛んできた。
「ユウヤさん、こちらのテーブルにスープをお願いします!」
「今行く!」
ユウヤは厨房と客席を何度も往復した。
料理を作るのはグレッグ。
店内全体を管理しているのはエマ。
食材の買い出しや荷物運び、皿の回収はトム。
ユウヤはその間を埋めるように料理を運び、客へ声をかけ、足りない物を補っていた。
しばらくして、ようやく客足が少し落ち着く。
エマは客席の中央に立ち、店内を見渡した。
今日だけでも、すでに以前の店では入り切らないほどの人が訪れている。
「これ、正式に開店したら大変なことになりますよ」
静かな口調だった。
だが、その言葉には妙な重みがある。
「……だよな」
ユウヤも嫌な予感はしていた。
今では街を歩くだけで声をかけられ、店が再開したら必ず食べに来ると言う者も多い。
訪れる客の数は、以前とは比べものにならないだろう。
その時、店の隅に立つセシルの姿がユウヤの目に入った。
忙しく働く者たちから少し離れた場所で、一人、店内を眺めている。
一か月前に比べれば顔色はかなり良くなり、歩くことにも問題はない。
瘴気は消え、見た目も人間だった頃とほとんど変わらなくなっていた。
ただ、魔人化の名残は残っている。
短時間ならわずかに魔人の力を使えるらしく、治療師からも今後どうなるかは分からないと告げられていた。
魔人から人間へ戻った前例がないためだ。
それでも、今すぐ命に関わる状態ではないという。
ユウヤは手にしていた空の皿を近くの台へ置き、セシルの方へ歩いていく。
「何してんだ?」
声をかけると、セシルはゆっくりと振り返った。
「皆さんを見ていました」
「見てるだけなら、皿でも運んでくれ」
「……申し訳ありません」
「冗談だよ」
セシルは小さく目を伏せた。
「身体はどうだ?」
「日常生活には問題ありません。力を使わなければ、以前とほとんど変わりません」
「そうか」
そこで会話が途切れた。
周囲からは食器の触れ合う音や、客たちの笑い声が聞こえてくる。
セシルは厨房へ視線を向けた。
楽しそうに鍋を振るうグレッグ。
客席の様子を確認しながら動くエマ。
市場から戻り、両手に荷物を抱えてくるトム。
「皆さんは、前へ進んでいるのですね」
セシルが、ぽつりと呟いた。
「ですが私は……」
その先を言えず、唇を閉じる。
「私は、一度ルーク様とリア様を裏切りました」
指先が、わずかに震えていた。
「二人を攫い、傷つけました。蛇架へ戻るつもりはありません。ですが、二人のそばにいる資格もないと思っています」
ユウヤは、すぐには答えなかった。
「お前がルークとリアを攫った時は、すげえ腹が立った」
セシルが顔を上げる。
「正直、ぶん殴ってやろうと思った。今でも、お前がやったことを正しかったとは思ってねえ」
「……はい」
「けど、お前は俺が解剖されかけた時に助けてくれたよな」
あの場所でセシルが動かなければ、ユウヤは今ここにいなかったかもしれない。
「処刑台じゃ、自分の命を懸けてルークとリアを守った」
「それは……私が償うべきことだったからです」
「そうかもな」
ユウヤは否定しなかった。
「だからって、やったことが全部消えるわけじゃねえ」
セシルは再び目を伏せる。
「けどな。お前がこれから何をするかまで、昔のお前に決めさせる必要はねえだろ」
「……昔の、私に」
「一度間違えたからって、この先ずっと何も選べなくなるわけじゃねえ」
ユウヤは腕を組む。
「自分が何をしたいのか。これからどう生きたいのか、自分で考えろ」
セシルは答えなかった。
「それでも分かんねえなら、うちで働いてもいいからよ」
ユウヤは少しだけ口元を緩める。
「見ての通り、無駄に広くなったせいで、人手はいくらあっても困らなそうだ」
セシルは巨大な店内を見渡した。
そして、ほんのわずかに表情を和らげる。
「……ありがとうございます」
その場で答えは出なかった。
ユウヤも、それ以上は何も言わなかった。
*
それから数日後。
セシルはユウヤへ、自分の決めたことを打ち明けた。
それを聞いたユウヤは、ルークとリアを店へ呼んだ。
二人が到着すると、セシルはゆっくりと前へ出て、深く頭を下げる。
「リア様、ルーク様。私は、一度あなた方を裏切りました」
リアとルークは何も言わず、セシルを見つめている。
「許していただけるとは思っていません。したことが消えるとも思っていません」
セシルは顔を上げた。
「それでも許されるのなら、私は最後までお側にいたいと思っています」
「侍女として。必要であれば、護衛としても。リア様にお仕えしたいです」
少しの間、誰も口を開かなかった。
リアは隣にいるルークを見る。
ルークは何も言わず、静かに頷いた。
それを確認したリアは、セシルへ向き直る。
「これからもよろしくお願いします、セシル」
「……はい」
セシルはもう一度、深く頭を下げた。
三人の話が終わったあと、ユウヤはセシルへ声をかける。
「そうか。なら、それでいいんじゃねえか」
「店で働かなくてもよろしいのですか?」
「お前が決めたことだろ。無理に引き止める理由はねえよ」
セシルは、リアの側仕えになる。
魔人化の名残による力も、護衛として役に立つだろう。
ルークとリアも、すでに王城での生活へ戻っていた。
ただ、旨味亭ブレイブにとっては別の問題が残った。
セシルが決意を伝えた、その日の夕方。
正式な開店へ向けた準備を終えたユウヤたちは、広い店内に集まっていた。
トムは椅子に座ったまま、机へ突っ伏している。
「もう……一歩も動けません……」
厨房から出てきたグレッグも、額の汗を拭った。
「さすがにしんどいな」
エマは疲れた様子を見せながらも、帳簿を手に店内を確認していた。
やがて、顔を上げる。
「ユウヤさん」
「何だよ」
「ルークさんとリアさんはお城へ戻りました。セシルさんも、リアさんの側仕えになります」
「ああ」
「さすがに、人手が足りなさすぎます」
ユウヤも店内を見渡した。
大量のテーブルと椅子が並ぶ客席は、端まで歩くだけでも距離がある。
正式に営業を再開すれば、すぐに人で埋まるだろう。
グレッグが腕を組む。
「俺も一人で毎日厨房を回すのは厳しいぞ」
「だよな……」
トムも顔だけを上げた。
「自分はユウヤさんのためなら……まだ頑張れます……」
「お前はよくやってるよ。今日はもう休め」
エマが続ける。
「正式に開店したら、今の人数では店が回りませんよ」
その時、店の外から子どもたちの声が聞こえてきた。
「ラブリー!」
「ブレイブ!」
少し離れた場所から、大人の声まで飛んでくる。
「店が開いたら、絶対食べに来るからな!」
「家族全員連れてくるぞー!」
ユウヤは、広すぎる店内を見回した。
「……人、雇うか」
エマが即答する。
「雇わないと、営業できません」
グレッグも頷いた。
「最低でも十人は必要だろ」
「十人!?」
ユウヤは改めて店内を見る。
以前の何倍にもなった旨味亭ブレイブ。
誰も、こんな店にしてくれとは頼んでいない。
「……デカすぎるだろ、この店」
営業再開を目前にして、旨味亭ブレイブは人手不足という新しい問題を抱えていた。




