第153話「再出発」
魔物の襲撃から、数日が経った。
崩壊寸前だった王都は、少しずつ日常を取り戻し始めていた。
倒壊した建物には足場が組まれ、朝から職人たちが槌を振るう音が街中へ響いている。
騎士だけでは、とても人手が足りない。
ハンターや商人、職人だけでなく、王都で暮らす住民たちも、動ける者は皆、復興作業へ加わっていた。
「その木材は向こうだ!」
「柱を起こすぞ! 手を貸してくれ!」
「おい、怪我人は無理すんな!」
通りでは、威勢のいい声が飛び交っている。
建物を失った者もいれば、家族や友人を失った者もいる。
王都に残された傷は、まだ深い。
それでも人々は瓦礫を運び、崩れた石を積み直し、壊れた屋根を修理していた。
「あははは!」
通りの向こうから、子どもたちの笑い声が聞こえた。
その声につられたように、作業をしていた大人たちの顔にも笑みが浮かぶ。
「ラブリー!」
「ブレイブ!」
「ソイヤ!」
「レボリューション!」
「…………」
木材を抱えていたユウヤの足が止まった。
あの日から、毎日のように耳へ飛び込んでくる声だった。
「ラブリー!」
「ブレイブ!」
「ソイヤ! ソイヤ!」
「レボリューション!」
ユウヤは死んだような顔で、声のする方へ振り返る。
広場の隅では、十人ほどの子どもたちが輪になって踊っていた。
右へ動き、左へ動き、一回転。
最後は両手でハートを作り、片足を上げて決める。
あの日の黒歴史が、今では当たり前のように王都へ広まっていた。
「違うよ! 最後はもっと笑うんだ!」
「こう?」
「もっとラブリーに!」
「ラブリーって何だよ……」
ユウヤの手から、抱えていた木材が落ちそうになる。
その時、子どもたちの一人がユウヤに気づいた。
「あっ!」
嫌な予感がした。
「マスクドブレイブだ!」
「ラブリーの人だ!」
「最後の呼び方やめろ!!」
ユウヤの怒鳴り声に、子どもたちは楽しそうに笑った。
「ラブリー!」
「ブレイブ!」
「歌うな!」
「ソイヤ!」
「踊るな!」
「レボリューション!」
「やめろぉぉぉぉ!!」
子どもたちは笑いながら、広場の向こうへ逃げていく。
逃げながらも、歌をやめる気はまったくない。
「痛いの痛いの、飛んでいけー!」
「だからやめろって言ってんだろ!!」
ユウヤは木材を抱えたまま、がっくりと頭を垂れた。
だが、地獄はそれだけではなかった。
近くで荷物を運んでいた女性が小さく鼻歌を歌い、屋根を直していた職人まで槌を振るう動きに合わせて口ずさんでいる。
「ソイヤ、ソイヤ、立ち上がれ……っと」
「おい」
ユウヤが見上げると、職人は屋根の上から笑顔を返してきた。
「何です?」
「何で歌ってんだ」
「いい歌じゃないですか」
「良くねえよ」
「元気が出ますし」
「出ねえよ」
「作業も捗ります」
「捗らねえよ!」
周囲で作業していた者たちから笑いが起こる。
あの日の歌は、すでに王都のあちこちで口ずさまれていた。
市場や復興現場だけでなく、治療院からも聞こえてくる。
歌っているのは子どもだけではない。
騎士もハンターも、作業の合間に口ずさんでいた。
「……勘弁してくれ」
ユウヤは誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。
*
セドリック第二王子は、抵抗することなく王城の地下で捕らえられた。
魔物を王都へ招き、多くの命を奪った罪は重い。
その裁きは、後に王国の法によって下されることとなる。
そして、王城の尖塔には黒い旗が掲げられた。
長くレグナ王国を治めてきた現王は、帰らぬ人となった。
葬儀の日。
復興の槌音は止まり、市場も閉じられた。
通りを行き交う人々は黒い布を身につけ、王城前の広場には多くの民が集まっている。
やがて、王の棺を載せた馬車がゆっくりと姿を現した。
王の姿を直接見たことがない者も多い。
それでも、人々は静かに頭を下げていた。
ユウヤも、その後ろから棺を見つめている。
生前の王の顔も知らず、声を聞いたこともない。
それでも、アルヴェルトやルーク、リアの父親が死んだことくらいは分かる。
隣に立つレオルドも、この時ばかりは何も言わなかった。
アルヴェルトは棺のすぐ後ろを歩いていた。
顔を上げ、背筋を伸ばしている。
ユウヤは声をかけず、その姿を見送った。
*
葬儀から数日後。
アルヴェルトは、正式にレグナ王国の国王へ即位した。
王城の大広間には、貴族や騎士団の代表者たちが集められている。
壊れた窓には板が打ちつけられ、壁にも戦いの傷が残っていた。
豪華な式典ではない。
王都が壊れている中、自分の即位に金や人手を使う必要はない。
残ったすべてを復興へ回せと、アルヴェルト自身が命じたという。
王冠を戴いたアルヴェルトは、集まった者たちを静かに見渡した。
「王都は壊れた。だが、国は滅びていない」
その声が、大広間へ響く。
「失ったものを忘れず、それでも前へ進む」
アルヴェルトはまっすぐ前を見た。
「私は、この国を必ず立て直す」
最初に剣を掲げたのは、クリスだった。
続いて騎士たちが剣を掲げ、貴族たちも深く頭を下げる。
大広間の外からは、王城前に集まった民の歓声が聞こえてきた。
式典の端でその様子を見ていたユウヤは、アルヴェルトの頭に載っている王冠を眺める。
「……重そうだな」
「実際、かなり重いそうですよ」
隣に立っていたレオルドが、真面目に答えた。
「物理的な話じゃねえよ」
「違うのですか?」
「お前、今の流れで分かれよ」
*
空席となっていた騎士団長には、クリスが正式に復帰した。
本人は最後まで就任を断っていたらしい。
自分は騎士団長として相応しくない。
王が不在となってから、騎士団を上手く導くことができなかった。
そう言い続けていたという。
だが、アルヴェルトはクリスへ告げた。
『ならば、もう一度この国を守ることで返してくれ』
その言葉を受け、クリスもようやく頭を下げた。
今では再建中の騎士団本部で、朝から晩まで騎士たちを怒鳴りつけている。
「そこ! 手が止まっているぞ!」
「復興中だからこそ、気を抜くな!」
以前と変わらぬ怒声が聞こえるたび、騎士たちはどこか嬉しそうに顔を引きつらせていた。
そして、なぜかレオルドにも騎士団長就任の話が持ち上がった。
王都防衛戦で二体のフェンリルを討ち、多くの騎士を救った。
新国王アルヴェルトとも親しく、候補として名前が挙がること自体は不自然ではなかった。
しかし。
「私は帝国第三騎士団所属ですので」
レオルドは即座に断った。
その話を聞いたユウヤは、しばらく黙ったあとで顔をしかめる。
「あれは潜入しただけだって、何回言ったら分かるんだよ……」
「はっ!! そうでした……」
「まあ、こんなやつが騎士団長になっちゃダメだろ」
「剣と魔法には自信があります」
「そこしか自信がねえから、ハンターやってんだろうが」
「そういえば私はハンターでした」
レオルドは、今思い出したように手を叩いた。
ユウヤは、それ以上考えることをやめた。
*
ソイヤの街へ避難していた住民たちも、少しずつ王都へ戻ってきた。
東門から続く街道を、何台もの荷車が進んでくる。
荷物を積んだ者や、家族と手を繋いで歩く者。
遠くから王都の壊れた外壁を見つめ、言葉を失う者もいた。
「ユウヤさーん!」
聞き覚えのある声が響いた。
ユウヤが振り返ると、馬車に乗ったエマたちが大きく手を振っている。
ルーク、リア、エマ、グレッグ、セシル、トム。
見慣れた顔ぶれが、全員揃っていた。
「無事だったんだな」
ユウヤがそう言うと、ルークが頷く。
「あなたのおかげだ」
「その通りだ。敬えよ」
ユウヤはそう言いながら、ルークの頭を荒っぽく撫でた。
一方、リアは心配そうにユウヤの腕を見つめている。
治療を受けたとはいえ、まだ包帯が巻かれ、顔にも小さな火傷の跡が残っていた。
「あー、これか? 大袈裟に巻いてんだよ。気にすんな」
「本当に大丈夫なんですか?」
「おう。すぐ治るってよ」
リアは小さく息を吐いた。
それから改めてユウヤの前に立ち、深く頭を下げる。
「王都を守ってくださって、ありがとうございました」
ユウヤは困ったように頭をかいた。
「俺一人で守ったわけじゃねえよ」
あの場には騎士もハンターも、治療班も住民もいた。
「全員で守ったんだ」
すると、ルークが静かに口を開く。
「それでも、ユウヤさんがいなければ、僕たちは帰ってこられませんでした」
ユウヤは返事に困り、気まずそうに視線を逸らした。
その時、近くを歩いていた子どもがユウヤに気づく。
「あっ、ラブリーの人だ!」
「誰がラブリーの人だ!!」
周囲から笑い声が起こる。
グレッグも腹を抱えて笑っていた。
「お前、笑い過ぎだろ!」
「笑うに決まってんだろ! お前、本当に歌ってたんだな!」
「どういうことだ?」
「例の歌、ソイヤでも流行ってるぜ」
ユウヤの顔から、さっと血の気が引いた。
「……マジで言ってんの?」
エマが苦笑いを浮かべる。
「吟遊詩人が、あちこちで歌っていましたからね」
「何で吟遊詩人が知ってんだよ!?」
「王都から避難してきた人たちが広めたみたいですよ」
「何でソイヤにまで広がってんだよ……」
リアも笑顔で続ける。
「歌って踊って、空を駆ける英雄だって有名になっていますよ」
「嘘だろ……」
「とても素敵でした!」
「リア、お前までやめろ」
すると、ルークがぼそりと口にした。
「ラブリー」
「おい」
エマが続く。
「ブレイブ」
「やめろ」
グレッグが拳を上げた。
「ソイヤ」
「お前ら……」
最後に、全員が声を揃える。
「レボリューション!」
「やめろぉぉぉぉ!!」
東門前に大きな笑い声が広がった。
*
さらに数日後。
「せーの!」
掛け声と共に、新しい柱が持ち上がった。
「もう少し右だ!」
「ゆっくり倒せ!」
「そのまま固定しろ!」
瓦礫だらけだった一角に、一本の太い柱が立てられる。
ユウヤは少し離れた場所から、その光景を見つめていた。
そこにあるのは、旨味亭ブレイブ。
正確には、旨味亭ブレイブがもう一度建とうとしている場所だった。
魔物の襲撃によって店は崩れ、壁も屋根も厨房も家具も、ほとんどが瓦礫になった。
皆でそれを片づけ、使える木材を集め、新しい石を運び、今は基礎から作り直している。
作業に参加しているのは、店の者だけではない。
常連だったハンターや近所の住民、ユウヤたちに助けられた騎士。
王都へ戻ってきたルークたちだけでなく、クリスの命令で派遣された騎士までいる。
「騎士団を私用で使っていいのか?」
ユウヤが聞くと、クリスは平然と答えた。
「王都復興任務の一環だ」
「店だぞ?」
「住民の生活基盤を再建することも、立派な復興だ」
「絶対アルヴェルトに言われたろ」
クリスは答えなかった。
その沈黙で十分だった。
「ユウヤさん!」
リアが、建設中の店の中から顔を出す。
「この木材は、厨房の方でいいですか?」
「ああ。そっちに置いといてくれ」
「分かりました!」
奥では、ルークとグレッグが二人で大きな板を運んでいた。
「重っ!」
「落とすなよ!」
「分かってる!」
エマとセシルは、瓦礫の中から回収された食器を使えるものと割れたものに分けている。
トムは職人たちの間を忙しそうに走り回り、必要な道具を運んでいた。
「おい! 走ると危ねえぞ!」
「大丈夫です!」
「そう言うやつが転ぶんだよ!」
ユウヤがそう言った直後、トムが足元の石につまずく。
「うわっ!」
ユウヤは素早く腕を伸ばし、その服の襟を掴んだ。
「だから言っただろ」
「す、すみません……」
「怪我したら作業が増えるからな。気をつけろ」
「はい!」
トムは照れくさそうに笑い、今度はゆっくり歩いていった。
ユウヤはその背中を見送ってから、建設途中の店へ目を向ける。
新しく立てられた柱に、まだ半分しかできていない壁。
屋根すらない。
以前の姿へ戻るには、まだ時間がかかるだろう。
厨房も、テーブルも椅子も必要になる。
看板も新しく作り直さなければならない。
「よし!」
ユウヤは腰へ手を当て、店を見上げた。
「ここも、ようやく再開できそうだな」
「はい」
隣に立ったリアが、小さく頷く。
しばらく建設途中の店を見ていたリアが、少しためらうようにユウヤを見上げた。
「あの……」
「ん?」
「お店が再開したら、また遊びに来てもいいですか?」
ユウヤは一瞬だけ目を丸くした。
「何言ってんだ」
「えっ?」
「そんなの聞くまでもねえだろ」
照れ隠しのように頭をかきながら、ぶっきらぼうに続ける。
「いつでも来い」
リアの表情が明るくなる。
「はい!」
「王族だからって特別扱いはしねえからな」
「ふふっ」
リアが嬉しそうに笑った。
そのやり取りを見ていたルークも、小さく笑みを浮かべる。
「お前も来いよ」
ユウヤが声をかけると、ルークは少しだけ肩をすくめた。
「時間があれば」
「何だ、その堅い返事は」
ユウヤはルークの頭を乱暴に撫でた。
「子ども扱いしないでくれ!」
「俺から見りゃ、まだガキだ」
ルークが慌ててその手を振り払う。
その様子を見て、リアやエマたち、近くにいた職人たちも笑った。
「おい! 次の柱いくぞ!」
職人の声が飛ぶ。
「ユウヤ、そっち持ってくれ!」
「はいはい」
ユウヤは返事をして、新しく運ばれてきた木材へ手をかけた。
まだ屋根もない旨味亭ブレイブに、また一本、新しい柱が立てられようとしていた。




