第148話「三回公演」
灰色のフェンリルが、地面を蹴った。
ただ走るだけで、北門前の空気が潰れる。
白銀のフェンリルが操っていたのは、刃のように裂き、削る鋭い風だった。
だが、灰色のフェンリルがまとう風は違う。
外壁ごと押し潰すような重さがあった。
盾を構えた騎士たちが膝をつき、ハンターたちも足元ごと後ろへ押し戻される。
「くそっ、踏ん張れ!」
「結界術師を守れ!」
「魔物を近づけるな!」
北門の騎士団とハンターたちは、まだ戦っていた。
灰色のフェンリル本体には近づけない。
それでも、周囲から押し寄せる魔物だけは止めようとしていた。
だが、限界は近い。
ブレイブLIVEの白金の光はすでにほとんど消え、身体を支えていた力も失われつつある。
剣は重くなり、盾は腕に食い込んでいた。
その暴風の中心で、レオルドはかろうじて立っていた。
白銀のフェンリルを討った時に魔力も闘気も使い果たし、自分の身体へ風魔法を叩き込んだ衝撃も残っている。
全身に傷を負い、呼吸のたびに胸の奥が痛んだ。
それでも、剣は離していない。
灰色のフェンリルが爪を振るう。
レオルドは剣で受けた。
まとっている緑の闘気は、もう薄い。
「ぐっ……!」
爪そのものは受け止めた。
だが、そこに乗った重い風がレオルドの身体を地面へ叩きつける。
膝が沈み、足元の石畳が割れた。
「レオルド様!」
北門の騎士が叫んだ。
助けに行こうとした騎士が一歩踏み出すが、すぐに風に押し戻される。
「行くな! 巻き込まれるぞ!」
「だが、レオルド様が!」
灰色のフェンリルは、ゆっくりとレオルドを見下ろした。
金色の瞳に宿る怒りは、倒された番へのものなのだろう。
そのすべてが、レオルドへ向けられていた。
レオルドは剣を支えにして立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らない。
灰色のフェンリルがさらに一歩近づき、爪を振り上げた。
今度は受けられない。
避ける力も残っていなかった。
「レオルド様!」
「誰か!」
「駄目だ、間に合わない!」
レオルドは振り上げられた爪を見上げた。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、少しだけ悔しかった。
アルヴェルトを守ると約束し、ユウヤからここを任された。
それなのに。
「……ここまでですね……」
レオルドは、かすかに笑った。
「アルヴェルト殿下、ユウヤ……すみません」
灰色のフェンリルの爪が振り下ろされる。
そこへ白金の光が横から飛び込んだ。
「キラキラブレイブパンチ!!」
拳が、灰色のフェンリルの横っ面に叩き込まれる。
轟音とともに白金の光が爆ぜ、巨体が横へ弾かれた。
フェンリルは四肢で地面を削りながら数十メートルほど飛ばされたが、すぐに踏みとどまり、金色の瞳を光らせる。
レオルドの前には、白金の光をまとったユウヤが立っていた。
「勝手に死にかけてんじゃねえ!!」
灰色のフェンリルを睨んだまま、ユウヤが怒鳴る。
レオルドは片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
「来るのが、少し遅いです……」
「こっちだって忙しかったんだ!」
ユウヤは即座に返し、改めてレオルドを見る。
服は裂け、頬も肩も血で濡れている。
呼吸は浅く、剣を握る手まで震えていた。
思っていたより、ずっと酷い。
「おい、お前がここまで殺られるって相当だな……」
「少々、力を使い過ぎました」
「少々どころか空っぽじゃねえか!」
ユウヤは舌打ちした。
「治療班! こいつを頼む!」
北門の治療班が、風に煽られながら駆け寄ってくる。
「レオルド様!」
「傷が深い!」
「魔力もほとんど残っていません!」
治療班の女性が膝をつき、すぐに回復魔法をかける。
だが、白い光は弱かった。
重い風に術式そのものが押し潰されるように揺らぎ、レオルドの傷も思うように塞がらない。
灰色のフェンリルが低く唸った。
先ほどユウヤの拳を受けたにもかかわらず、まるで怯んでいない。
怒りの矛先が、レオルドからユウヤへ移っただけだった。
ユウヤは拳を握る。
「ちっ……あんまし効いてねえじゃねえか」
その時、治療班の女性が顔を上げた。
「あの歌を……!」
ユウヤが振り返る。
「は?」
「先ほどの歌です! あの光があれば、レオルド様を治療できます!」
「この状況でまた歌えってか!?」
「はい!」
「即答すんな!!」
ユウヤは叫んだ。
北門の騎士もハンターも、治療班もユウヤを見ている。
先ほど王都中に響いた、あの歌と踊り。
何を見せられているのか分からなかった者も多いだろう。
それでも、あの光のおかげで剣を握り、魔法を使い、ここまで戦えていた。
今も、その力が必要だった。
レオルドが苦しそうに息を吐きながら、ユウヤを見る。
「ユウヤ……」
「お前まで言うなよ」
「もう一度、お願いします……」
ユウヤの顔が歪む。
「レオルド、お前な……!」
「あなたの歌がなければ、王都は滅びます」
「また、その頼み方かよ!!」
灰色のフェンリルが、再び一歩踏み出す。
重い風が北門を叩き、騎士たちの盾が軋んだ。
ハンターたちが歯を食いしばり、治療班の回復魔法もさらに揺らぐ。
ユウヤは奥歯を噛んだ。
これで三回目だ。
王都全域に映像まで流され、戦場で歌って踊り、今度は北門でもう一度やれと言われている。
本気でやりたくない。
だが、目の前ではレオルドが死にかけ、北門の者たちも風に押し潰されようとしていた。
「……ああ、くそ」
ユウヤは顔を伏せる。
そして、死んだ目でベルトへ言った。
「やりゃいいんだろ、やりゃあ……!」
カン。
『ブレイブLIVEの再使用を確認しました』
『ブレイブヴィジョン連動』
『ブレイブLIVE・ヴィジョンモードを開始します』
北門の上空に残っていた白金のヴィジョンが、再び光を取り戻した。
ユウヤの足元にも光のステージが広がる。
重い風の中でも白金の光は消えず、手には再びマイクが現れた。
明るすぎる伴奏が鳴る。
「また身体が勝手にぃぃぃ……」
ユウヤの身体が動き出した。
だが、叫ぶ元気も弱かった。
マイクが口元へ運ばれる。
「キラッと参上、君のヒーロー……♪
涙も痛みも、照らすから……♪」
目は死んでいる。
それでも声だけはやけに明るく、完璧に歌い上げている。
ダンスも、右腕の怪我などお構いなしに動かされていた。
北門の者たちは、空のヴィジョンを見上げる。
白金の光が広がった。
重い風に押されていた騎士たちが盾を押し返し、ハンターたちも再び地面を踏みしめる。
弓兵が弓を引いた。
「矢が……!」
放たれた矢は白金の光をまとい、今度は風に押し戻されず灰色のフェンリルの周囲へ届く。
魔術師たちも杖を掲げた。
「魔法が流されない!」
火球が重い風に削られながらも、フェンリルの足元へ着弾する。
「押し返せるぞ!」
「周囲の魔物を止めろ!」
「北門を守れ!」
騎士団とハンターが再び動き出した。
治療班の回復魔法にも白金の光が混ざり、レオルドを包む光が強くなる。
裂けた傷が少しずつ塞がり、浅かった呼吸もわずかに整った。
完全に回復したわけではない。
失った魔力も闘気も、元通りにはならない。
それでも、レオルドの身体には再び緑の闘気がかすかに立ち上った。
「……相変わらず」
レオルドは目を細める。
「素晴らしい歌と踊りですね」
やがてブレイブLIVEが終わり、光のステージが消えた。
ユウヤは膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……三回公演なんて聞いてねえぞ……」
削られているのは、体力より精神だった。
ユウヤは息を整え、レオルドを見る。
「動けるか?」
レオルドは治療班に支えられながら立ち上がった。
完全回復にはほど遠い。
だが、先ほどより目には力が戻っていた。
「ええ」
レオルドは剣を握り直す。
「やはり、素晴らしい歌と踊りでした」
「これで負けたらタダじゃ置かねえからな」
「では、勝つしかありませんね」
レオルドは薄く笑った。
灰色のフェンリルが低く唸り、再び重い風を吹かせる。
だが、今度は北門の者たちも膝をつかなかった。
騎士たちが盾を構え、ハンターたちは左右へ散る。
弓兵が矢をつがえ、魔術師たちも詠唱を始めた。
ユウヤが一歩前へ出る。
レオルドも、その横に並んだ。
灰色のフェンリルの金色の瞳が、二人を捉える。
「正面は俺が行く」
ユウヤが拳を鳴らす。
「では、私は風を読みます」
レオルドが剣を構えた。
「何言ってんのか分かんねえが、頼む」
「任せてください」
ユウヤは小さく笑う。
「無茶すんなよ」
「それは、あなたにも言えることです」
「うるせえ」
灰色のフェンリルが咆哮した。
重い風が再び押し寄せる。
ユウヤは拳を握った。
「反撃開始だ」
灰色のフェンリルが、地面を蹴った。




