第147話「緑の閃光」
フェンリルが咆哮した。
暴風が、北門を押し潰すように荒れ狂う。
その中心で、レオルドは剣を構えていた。
薄れかけた白金の光の奥で、緑の闘気が燃えている。
「次で決めます」
フェンリルは低く唸った。
白銀の毛並みの周囲で風がさらに濃くなり、刃のように地面を裂いて砂や瓦礫を巻き上げる。
レオルドはその流れを見つめた。
真正面から押し返すことはできない。
力でも風でも負けている。
剣だけで斬り込んでも、届く前に身体を裂かれるだろう。
だが、風には必ず流れがある。
レオルドは呼吸を整えた。
肌を切る風の向きや、足元を流れる砂。
フェンリルの毛並みの揺れ、爪にまとわりつく風の巻き方、咆哮の直前に空気が集まる場所。
そのすべてを見る。
一見無秩序な暴風も、巨狼の身体を中心に動いている。
風が流れ続ける以上、どこかが薄くなる瞬間は必ずある。
狙うのは、首元。
レオルドは剣を低く構え、足元へ緑の闘気を集めた。
「凄まじい風です」
小さく息を吐く。
「ですが、風は流れるから風なのです」
フェンリルが動いた。
巨大な前脚が振るわれ、爪にまとった風の刃が地面ごと斬り裂いてくる。
レオルドは真正面から受けず、半歩横へずれた。
剣を流れに沿わせ、風を切るのではなく滑らせる。
風の刃が逸れ、フェンリルの爪が空を切った。
巨狼の動きが、わずかに乱れる。
レオルドは踏み込んだ。
「そこですね」
緑の闘気が爆ぜる。
レオルドの身体が、白銀の巨狼へ向かって走った。
フェンリルもすぐに反応し、暴風を渦巻かせる。
だが、レオルドは止まらない。
「風よ」
足元に風が生まれた。
緑の闘気と風魔法で身体を加速させ、地面を蹴る。
そのままフェンリルの首元へ向かって跳んだ。
北門の者たちが息を呑む。
「行った……!」
誰かが叫んだ。
その瞬間、フェンリルの金色の瞳がレオルドを捉えた。
首元の前に、鋭い風の刃が生まれる。
先ほどまでとは違う。
一点へ圧縮され、空気そのものを断ち切るような透明の刃だった。
しかも、レオルドの進路上に正確に置かれている。
空中には足場がない。
このまま進めば、フェンリルへ剣が届く前に身体を裂かれる。
北門の騎士たちが叫んだ。
「レオルド様!」
レオルドは目を見開く。
「……少々、美しくありませんが」
自分の足元へ、風魔法を叩き込んだ。
圧縮した空気の塊を、自分自身へぶつける。
「ぐっ……!」
レオルドの身体が強引に上空へ弾き飛ばされた。
全身の骨が軋み、内臓を押し潰されるような衝撃で肺から息が抜ける。
それでも、軌道は変わった。
鋭い風の刃が、寸前までレオルドのいた場所を通り抜ける。
レオルドの身体はそのままフェンリルの頭上へ舞い上がった。
白銀の巨狼が顔を上げる。
金色の瞳が、空中のレオルドを睨んだ。
だが、もう遅い。
レオルドは剣を両手で握り、残った魔力を風へ変える。
全身から残った闘気を放つと、緑色の光が一気に噴き上がった。
腕や脚、背中まで覆った闘気に風が絡みつき、落下する身体がさらに加速していく。
レオルド自身が一本の刃となり、上空からフェンリルへ迫った。
フェンリルが咆哮する。
暴風が上へ吹き上がり、落下してくるレオルドを押し返そうとする。
それでも止まらない。
「これで、終わりです」
緑の閃光が暴風を突き抜けた。
レオルドがフェンリルの首元を通り過ぎる。
直後、白銀の魔狼の首が宙を舞った。
北門を覆っていた暴風が一気に弱まり、巻き上げられていた砂や瓦礫が地面へ落ちていく。
フェンリルの巨体はゆっくりと傾き、地響きとともに倒れた。
レオルドも地面へ落ちる。
着地というより、ほとんど落下だった。
膝が崩れ、片手を地面につく。
それでも剣だけは離さなかった。
北門の者たちは、倒れた白銀の巨狼をしばらく見つめていた。
あれほど吹き荒れていた風が止んでいる。
最初に声を出したのは、門の上の弓兵だった。
「倒した……」
その声をきっかけに、歓声が広がった。
「倒したぞ!」
「フェンリルを倒したぞ!」
「さすがレオルド様だ!」
「北門は守られた!」
騎士たちが叫び、ハンターたちが武器を掲げる。
周囲にはまだ魔物が残っていたが、フェンリルの暴風が消えたことで、ようやくまともに動けるようになっていた。
「今だ! 残った魔物を押し返せ!」
「フェンリルは倒れた! ここから押し返すぞ!」
「レオルド殿に続け!」
騎士団とハンターが前へ出る。
その中心で、レオルドは片膝をついたまま荒い息を吐いていた。
全身が痛む。
先ほど自分へ叩き込んだ風の衝撃も、まだ身体の奥に残っている。
魔力はほとんどなく、緑の闘気も燃え尽きる寸前だった。
それでも、レオルドは少し困ったように眉を下げる。
「……技名を言う余裕がありませんでしたね」
近くにいた騎士が、呆然とした顔をする。
「え?」
レオルドは真面目な顔で言った。
「レオルドストームスラッシュ……いえ、今のは少し違いますか」
「そんなことを考えていたのか!?」
北門に、わずかな笑いが戻った。
だが、それはすぐに途切れた。
森の奥から、低い遠吠えが聞こえたからだ。
レオルドの表情が変わる。
「……今の鳴き声は……」
「まさか……まだ生きているのか?」
「いや、違う!」
声は北の森から聞こえていた。
先ほど倒したフェンリルよりも低く、空気そのものを震わせるような遠吠え。
北門の者たちが一斉に森を見る。
再び風が吹いた。
だが、先ほどまでとは明らかに違う。
冷たく重い風が、外壁にまで叩きつけられる。
森の奥から、もう一体のフェンリルが姿を現した。
白銀ではない。
灰色の毛並みに、一回り大きな体躯。
金色の瞳が、倒れた白銀のフェンリルへ向けられる。
「まさか、番……?」
誰かが呟いた。
「二体、いたのか……?」
先ほどまでの歓声が消えた。
灰色のフェンリルが一歩踏み出すだけで、北門へ暴風が押し寄せる。
白銀のフェンリルが操っていたのは、刃のように鋭く切り裂く風だった。
だが、今度の風は違う。
外壁ごと押し潰すような重さがあった。
門の上の兵士たちが身を伏せ、ハンターたちも武器を構えたまま後ろへ押される。
それでも、騎士たちは盾を構え直した。
ハンターたちも折れかけた膝に力を入れる。
灰色のフェンリルには届かなくても、周囲の魔物まで通すわけにはいかない。
これ以上、レオルド一人へ背負わせないために。
灰色のフェンリルは、倒れた番のそばへ歩み寄った。
鼻先で、動かなくなった白銀の毛並みに触れる。
風が一瞬だけ弱まった。
そして、灰色の魔狼が怒りの咆哮を上げる。
暴風が北門を叩いた。
「うわあああっ!」
「伏せろ!」
「壁に掴まれ!」
騎士たちの悲鳴が風に呑まれる。
レオルドは剣を握り直した。
だが、その手は震えていた。
魔力はほとんど残っていない。
ブレイブLIVEの白金の光もすでに消え、緑の闘気も先ほどの一撃で使い果たしている。
呼吸は乱れ、身体もまともに動かない。
フェンリルを倒すために、ほとんどすべてを使った。
北門の騎士が叫ぶ。
「レオルド様、もう無理です!」
レオルドは答えなかった。
いつものように笑おうとした。
だが、笑えない。
灰色のフェンリルが、金色の瞳でレオルドを見据えていた。
その視線には、明確な怒りがある。
レオルドは剣を構えた。
「……これは」
珍しく、笑みのない顔で呟く。
「死ぬかもしれません」
灰色の魔狼が地面を蹴った。
北門に、再び暴風が吹き荒れた。




