第146話「暴風の魔狼」
北門は、風に飲まれていた。
放たれた矢は空中で軌道をねじ曲げられ、逆向きの風に押し返される。
門の上にいた弓兵が、思わず身を伏せた。
「矢が弾かれた!」
別の場所では、魔術師が火球を放つ。
しかし炎も真っ直ぐには進まず、横から暴風に叩かれて狙いを外れ、魔物の群れではなく地面へ弾けた。
「魔法が風で流される……」
外壁の上では、騎士たちが必死に踏ん張っていた。
盾を構えた騎士が後ろへ押し戻され、ハンターが壁に手をついて耐える。
一歩でも前へ出ようとすれば、足元ごと持っていかれそうだった。
「近づくな! 巻き込まれるぞ!」
「外壁の上の者は姿勢を低くしろ!」
「飛ばされるな! 支え合え!」
怒号が飛び交う。
北門前には、ウルフやゴブリン、オーク、黒い翼を持つ小型の魔物まで押し寄せていた。
風に煽られながらも、門へ向かってくる。
だが、その中心にいる白銀の巨狼だけは別格だった。
フェンリル。
暴風を従える魔狼。
白銀の毛並みの周囲には、目に見えるほど濃い風が渦巻いている。
風は刃のように地面を裂き、外壁を叩き、周囲の魔物すら近づけさせない。
フェンリルが一歩踏み出すたびに風が爆ぜ、それだけで北門の戦線が削られていった。
「フェンリルには近づくな!」
年配の騎士が叫んだ。
「周囲の魔物を止めろ! 門へ近づけさせるな!」
その声に、北門の騎士たちが盾を並べた。
あの暴風の中へ踏み込めば、盾ごと吹き飛ばされる。
だから騎士団とハンターは、フェンリル以外の魔物を受け止めた。
騎士が盾でウルフの突進を止め、その横をハンターが走り抜けて足を斬る。
門の上の弓兵は風に流されない距離まで魔物を引きつけて射抜き、魔術師たちも狙いを絞って低く火球を撃ち込んだ。
「右から来るぞ!」
「盾を崩すな!」
「抜けた魔物を狩れ!」
「任せろ!」
その間も、暴風の中心では一人の男がフェンリルと向き合っていた。
レオルドだった。
「下がっていてください」
レオルドは剣を構え、フェンリルの前に立つ。
ユウヤの歌が残した白金の光が身体を薄く包み、その内側から緑色の闘気が立ち上っていた。
緑の光は剣にもまとわりつき、レオルド自身が操る風と混ざり合って足元の砂を巻き上げる。
「この風の中では、皆さんが近づく方が危険です」
北門の騎士が叫ぶ。
「ですが、レオルド様お一人では!」
「問題ありません」
レオルドは微笑んだ。
いつものように。
「私が戦うということは、勝利するということです」
直後、フェンリルが地面を蹴った。
巨体からは想像できない速度で間合いを詰め、風をまとった巨大な爪を振るう。
レオルドは剣を滑らせるように振り、その一撃を受け流した。
金属音と、風が裂ける音が重なる。
「っ……!」
爪は逸らした。
だが、その周囲を走る風の刃までは防ぎきれず、レオルドの頬が浅く裂ける。
血が飛んだ。
北門の騎士たちが息を呑む。
「レオルド様が……!」
フェンリルは止まらない。
咆哮と同時に空気そのものが叩きつけられ、衝撃波が地面を走って外壁へ向かう。
門の上の兵士たちが悲鳴を上げ、盾を構えた。
レオルドは剣を地面に突き立てる。
「風よ」
緑の闘気をまとった剣から風が走り、フェンリルの衝撃波と正面からぶつかった。
爆音とともに砂埃が巻き上がる。
その余波だけで、北門の者たちは後ろへ押された。
「なんて風だ……!」
「近づけるわけがない……!」
ハンターの一人が、武器を握りしめながら歯噛みする。
「あの中はレオルド様に任せろ! こっちはこっちでやるぞ!」
別のハンターが叫んだ。
「他の魔物をやるぞ!」
周囲のハンターたちも、風に煽られながら魔物の群れへ斬り込んでいく。
騎士たちは盾で道を作り、その隙間からハンターが刃を入れた。
「左を抜けたぞ!」
「通すな!」
「俺たちが止めるぞ!」
その間にも、レオルドとフェンリルの戦いは続いていた。
フェンリルが跳び、空中で身体をひねりながら四方へ風の刃を放つ。
レオルドは軌道を読み、次々に躱していく。
だが、すべては避けきれない。
肩が裂け、腕を掠め、服が切り裂かれる。
それでも前へ出た。
緑の闘気と風を剣に絡ませ、フェンリルの首筋を狙う。
「はっ!」
鋭い斬撃。
フェンリルは身を沈めると、風を噴き上げるようにして剣を逸らした。
刃は白銀の毛並みを浅く裂くだけで止まる。
続けて尾が振るわれ、そこにまとわりついた暴風が鞭のようにレオルドを打った。
「ぐっ!」
レオルドの身体が後方へ弾かれる。
地面を滑りながらも、剣を支えにして踏みとどまった。
頬から血が流れ、肩も裂けている。
呼吸も、先ほどより荒くなっていた。
北門の騎士が、震える声で呟く。
「レオルド様が……押されている……?」
王国最強級のAランクハンターであるレオルドが、明らかに傷を増やしている。
その事実に、周囲の者たちの表情が強張った。
フェンリルは低く唸り、白銀の毛並みを逆立てる。
周囲の風はさらに強まり、小石や瓦礫まで宙へ巻き上げ始めた。
外壁の上にいる兵士たちは、必死に身を伏せる。
レオルドはゆっくりと立ち上がり、頬の血を指で拭った。
「全く……」
剣を構え直す。
「血も滴るいい男になってしまいました」
いつもの軽口だったが、声には先ほどまでの余裕がなかった。
フェンリルが再び咆哮する。
今度は周囲の風が一点へ集まり、巨大な竜巻となってレオルドへ向かった。
レオルドは剣を両手で握る。
「風よ、切り開け」
緑の闘気をまとった剣から風が走る。
二つの風が正面からぶつかった。
だが、押し負けた。
レオルドの風がフェンリルの暴風に削られていく。
「くっ……!」
身体を包んでいた白金の光も、いつの間にか薄くなっていた。
ユウヤの歌によって身体も魔力も支えられていたが、その力が少しずつ失われている。
身体が重くなり、剣を握る腕にも疲労が戻ってきた。
ブレイブLIVEの効果が、切れかかっていた。
フェンリルはなおも暴風の中心に立ち、金色の瞳でレオルドを見ている。
「……ユウヤ」
レオルドは小さく笑った。
「もう一度歌って頂かないと困りますね……」
だが、ユウヤはここにはいない。
レオルドは北門へ一瞬だけ目を向けた。
騎士たちは魔物の群れを抑え、ハンターたちも風に煽られながら剣を振り続けている。
弓兵も魔術師も、届く範囲で戦いを続けていた。
誰も退いてはいなかった。
レオルドは再びフェンリルへ向き直る。
足を踏みしめると、弱りかけた身体から緑色の闘気が立ち上った。
剣を握る手に力を込める。
「次で決めます」
フェンリルが咆哮し、暴風がさらに激しく吹き荒れる。
レオルドはその正面で剣を構えた。
北門の者たちは、誰も二人から目を離せなかった。




