第144話「ヒーローだから」
東門の若い騎士は、その背中を見ていた。
白金の光をまとった男が、魔物の波の前に一人で立っている。
その向こうには、見渡す限りの魔物がいた。
獣の唸りや異形の足音が重なり、踏み荒らされた地面の上を黒い群れが門へ向かって押し寄せてくる。
そして、その奥では、東の果てに棲むと聞かされていた一つ目の巨人がゆっくりと歩いていた。
サイクロプス。
一歩踏み出すたびに地面が揺れ、手にした棍棒は武器というより、家を叩き潰すための丸太に見えた。
誰の目から見ても、東門に勝ち目はなかった。
普段なら互いに距離を置く王国騎士とハンターたちも、今だけは肩を並べて戦っている。
騎士が盾を構え、その横からハンターが魔物の足を止める。
魔術師が火球を放ち、結界術師たちは震える手で門を守り続けていた。
それでも、戦力は足りなかった。
その時、東門の空に巨大な光の板が現れた。
そこに映っていたのは、一人の男だった。
キラキラした派手な格好で、聞いたことのない歌を歌い、見たこともない踊りを踊っている。
正直、何を見せられているのか分からなかった。
王都が落ちようとしているというのに、空では妙な男が歌って踊っている。
ふざけているのかとすら思った。
だが、その歌が響いた時、震えていた手に力が戻った。
気づけば若い騎士だけでなく、隣のハンターや門の上の弓兵、結界を張る魔術師たちの身体にも白金の光が宿っていた。
「身体が……軽い……?」
「魔力が戻っている……!」
「結界を張れる! まだ持たせられるぞ!」
ざわめきが広がった。
若い騎士は、空に浮かぶ光の板を見上げる。
そこに映る男を、彼は知っていた。
マスクドブレイブ。
反逆者として手配され、王都を混乱させた危険人物だと聞かされていた男。
だが、その男の歌によって、東門はまだ持ちこたえていた。
そして今、その本人が本当に東門の前に立っている。
「こっから先は、通行止めだ」
若い騎士は息を呑んだ。
目の前の男は、どう見ても魔物を王都へ入れようとしている者には見えなかった。
少し前には東門前の魔物を白金の光で薙ぎ払い、
「西へ行け!」
と叫んだ。
最初は東門を捨てるつもりなのかと思った。
だが、西門にはワイバーンの群れと、竜に近い巨大な影が迫っているという。
さらに、戻ったばかりのアルヴェルト第一王子も西へ向かったと聞かされた。
西門が落ちれば、王都は終わる。
年配の騎士は歯を食いしばり、動ける騎士とハンターを西へ向かわせた。
若い騎士は残る側だった。
結界術師や負傷者を守り、東門を最低限維持するためだ。
だからこそ、信じられなかった。
この男は本気で、たった一人で東門を引き受けるつもりなのか。
魔物の群れが動き出した。
マスクドブレイブは白金の光をまとった拳を振り抜く。
「キラキラブレイブパンチ!!」
光の拳が、先頭の魔物をまとめて吹き飛ばした。
魔物が転がり、宙を舞い、後続を巻き込んで倒れていく。
「なんだよアレ……Bランクハンターなんてレベルじゃねえだろ」
隣にいたハンターが、呆然と呟いた。
若い騎士は返事もできなかった。
確かに強い。
だが、敵が多すぎる。
一度吹き飛ばしても森の奥から次が現れ、押し返した場所もすぐに別の群れで埋まっていく。
その間にも、サイクロプスは止まらなかった。
巨大な一つ目がゆっくりと動き、外壁ではなく門の内側へ向けられる。
若い騎士は気づいた。
「結界術師を見ている……?」
門の内側では、結界術師たちが額に汗を浮かべながら杖を握り、必死に術式を維持している。
あそこを潰されれば、東門の結界は揺らぐ。
「まずい!」
年配の騎士が叫んだ。
「結界術師を下げろ!」
「無理です! 今動かせば術式が崩れます!」
「何がなんでも結界術師を守れ!」
若い騎士は反射的に走った。
自分でも驚くほど、身体が勝手に動いていた。
結界術師たちの前へ出て、盾を構える。
だが、サイクロプスを見上げた瞬間に分かった。
止められるはずがない。
あんなものは盾で受けられる攻撃ではないし、剣で弾けるようなものでもない。
それでも、結界術師たちを失えば王都へ魔物が雪崩れ込む。
若い騎士は剣を握り直し、サイクロプスへ向かって投げつけた。
刃は巨人の身体に傷をつけることすらできなかった。
それでも、一つ目がわずかに動く。
狙いが、結界術師たちから若い騎士へ移った。
サイクロプスが巨大な棍棒を持ち上げる。
若い騎士の喉が鳴った。
「無理だ!」
誰かが叫ぶ。
「間に合わない!」
若い騎士は動けなかった。
目の前で棍棒が振り下ろされる。
死ぬ。
そう思った瞬間、白金の光が横から飛び込んだ。
「キラキラブレイブパンチ!!」
轟音が響いた。
マスクドブレイブの右拳が、サイクロプスの棍棒を殴りつける。
光が弾け、空気が震えた。
棍棒の軌道がわずかに逸れ、若い騎士と結界術師たちを叩き潰すはずだった一撃が、門前の石畳を砕きながら横へずれる。
だが、完全には止められなかった。
巨体から振り下ろされた棍棒の重さを、右拳一つで逸らした反動がそのまま腕へ返ってくる。
嫌な音がした。
「ぐっ……!」
マスクドブレイブの右腕が、ありえない方向へ弾かれる。
肩から先が、力を失ったようにだらりと垂れた。
若い騎士は目を見開いた。
自分は助かった。
その代わりに、目の前の男の腕が壊れていた。
「マスクドブレイブ!」
叫んだ時には、マスクドブレイブはもう動いていた。
使えなくなった右腕を庇うこともせず、左腕で若い騎士の身体を抱え込む。
「ぼさっとすんな!」
「え……」
「死にてえのかよ!」
左腕一本で若い騎士を抱え、その場を飛び退く。
直後、棍棒が地面を抉った。
石畳が砕け、砂埃が舞い上がる。
マスクドブレイブは若い騎士を抱えたまま、守備隊の元へ着地した。
右腕は、だらりと垂れたままだった。
「治療班はいるか!」
誰かが叫ぶ。
門の内側から、治療班の女性が駆け寄ってくる。
「腕を見せてください!」
「後でいい!」
「後ではありません!」
治療班の女性は、マスクドブレイブの右腕を見て顔色を変えた。
「骨が……!」
「気にすんな。よくあることだ」
「よくあるわけないでしょ!」
マスクドブレイブは痛みに顔をしかめながら、若い騎士を地面に下ろした。
若い騎士は膝をついたまま、彼を見上げる。
目の前にはサイクロプスがいて、周囲にはまだ魔物の群れもいる。
そんな中で、自分一人を助けるために飛び込んできた。
「……なぜ、俺を見捨てなかったんですか?」
マスクドブレイブが顔を上げる。
「あ?」
若い騎士は拳を握った。
「俺一人を助けるために、あなたは腕を……」
マスクドブレイブは、だらりと垂れた右腕をちらりと見る。
それから、少しだけ笑った。
「見捨てるわけねえだろ」
「なぜ……」
「お前は一人で結界術師たちを守ろうとした。それに……」
痛みに汗を滲ませながらも、マスクドブレイブはにやりと笑う。
「俺はヒーローだからな」
若い騎士は言葉を失った。
空に浮かぶブレイブヴィジョンの中で、そう名乗っていた男。
派手な格好で歌って踊る姿を見た時には、何を言っているのか分からなかった。
だが、今は違った。
「……反逆者が、あんなことするかよ」
近くにいたハンターが呟いた。
別の騎士も剣を握り直す。
「違う」
その声は小さかった。
「あの人は英雄……いや、ヒーローだ」
東門に残った者たちは、再び魔物の群れへ向き直った。
サイクロプスもまだいる。
状況そのものは何も好転していない。
それでも、さっきまでとは違っていた。
治療班の女性が、マスクドブレイブの右腕へ回復魔法をかけ続ける。
白い光が腕を包む。
「応急処置はします。でも、完全には戻りません!」
「十分だ」
「十分ではありません!」
「うるせえ。左が残ってる」
治療班の女性が怒鳴り返そうとした時、サイクロプスが再び棍棒を持ち上げた。
低い唸り声が東門前に響き、魔物の群れも一斉に動き出す。
マスクドブレイブは、まだ動かない右腕を見下ろした。
指先は痺れ、力も入らない。
治療の光に包まれてはいるが、すぐに使える状態ではなかった。
それでも、彼は前に出た。
左拳を握る。
「……やってやるよ」
サイクロプスが一歩踏み出し、地面が揺れる。
若い騎士は、その背中を見ていた。
腕を壊してもなお、魔物の前から退こうとしない男の背中を。
もう、東門で彼を反逆者と呼ぶ者はいなかった。




