第140話「絶望の王都」
王都の警鐘は、鳴り止まなかった。
南門や西街道、北の森、地下水路の入口、さらには上空からも次々に報告が上がり、王都は混乱に包まれていた。
だが、その中でも人々は動いている。
「走れ! 荷は捨てろ!」
南門の外では、騎士たちが声を張り上げていた。
畑から戻る途中だった農民や、荷車を引いていた商人、街へ入ろうとしていた旅人たちを、次々に門の内側へ誘導していく。
「荷車がつかえています!」
「捨てさせろ!」
外壁上から、クリスの声が飛んだ。
「命が優先だ! 門は最後に閉じる! 民を中へ入れろ!」
騎士たちは迷わなかった。
商人が荷を惜しんで振り返ろうとした瞬間、若い騎士がその腕を掴んで引っ張る。
「死んだら商売もできないぞ! 走れ!」
魔物の群れは、もう見える距離まで迫っていた。
ウルフが地を蹴り、ゴブリンが粗末な武器を振り上げ、オークが唸り声を上げながら街道を進んでくる。
恐怖で足が止まりかけた住民へ、クリスの声が響いた。
「止まるな! 動けるうちに動け!」
その一声で、再び人の流れが動く。
門の内側では、治療班が中央広場へ向かう道を空けていた。
荷車は負傷者用に回され、動ける住民は子供や老人を支えながら避難場所へ向かっていく。
地下水路の入口では、別の騎士たちが鉄格子と水門を下ろしていた。
王都の結界は、外壁だけではない。
外へ続く地下水路の入口にも、魔物を拒む光の膜が張られている。
だが、地下水路は古い排水口や分岐が多く、地上よりも構造が複雑だった。
結界に負荷がかかれば、真っ先に綻びが生まれる場所でもある。
水路の奥では、小型の魔物たちが甲高い声を上げながら、光の膜へ群がっていた。
「水門を閉じろ!」
鉄格子が落ち、続いて重い水門が石床を震わせながら下ろされた。
「結界が破られても、ここで止める! 補強しろ!」
「はっ!」
金属の向こう側から、魔物たちの爪が光の膜を引っかく音が響く。
王都は、まだ持ちこたえていた。
その中心にいるのは、騎士団長ではなくなった男だった。
クリスは外壁の上から全体を見渡し、次々に指示を飛ばす。
「弓兵、前列! 魔術師は詠唱を合わせろ!」
「南門前の民は全員入りました!」
「よし、閉門準備! ただし、閉じた直後に門前へ火を落とすな。味方が残っていないか確認しろ!」
「西側、ハンター隊が到着!」
その報告に、クリスが視線を向ける。
門の下では、ハンターたちが武器を構えていた。
先頭に立つ職員が、声を張り上げる。
「ギルドマスターより伝達! 現場指揮は騎士団に合わせます!」
クリスは短く頷いた。
「門前に出た魔物を叩け! 深追いはするな!」
「了解!」
ハンターたちが散る。
騎士団が壁を作り、その隙間をハンターが埋める。
弓兵が上から削り、魔術師が群れの中心へ魔術を叩き込んだ。
普段なら別々に動く者たちが、今は王都を守るために同じ敵へ向かっていた。
*
最初の波は、なんとか押し返せていた。
結界が外壁を覆い、魔物たちの接近を押し止める。
ウルフが光の膜に爪を立て、ゴブリンが石を投げ、オークが棍棒を叩きつけるたびに、結界はわずかに揺れた。
だが、まだ破れてはいない。
「撃て!」
外壁上から矢が降る。
魔術師の火球がゴブリンの群れを吹き飛ばし、氷の槍がオークの足を貫く。
灰熊が結界へ体当たりしたところへ、ハンターが投げた槍が目に突き刺さった。
「南側、押し返しています!」
「西側も持ちこたえています!」
「地下水路、結界維持! 水門封鎖完了!」
報告が重なる。
息を切らしながらも、騎士たちの顔にわずかな希望が見え始めた。
その時、空から巨大な影が落ちてきた。
「上空!」
大きな翼が、王都の上に広がる。
ワイバーンだった。
黒い鱗を光らせ、結界へ向かって一直線に降下してくる。
「魔術師、迎撃!」
クリスの声と同時に、外壁上の魔術師たちが一斉に魔術を放った。
火球が飛び、氷槍が突き刺さり、風の刃が翼を裂く。
それでも、ワイバーンは止まらなかった。
巨大な身体が、王都の結界へ叩きつけられる。
パキッ。
嫌な音が響いた。
光の膜に、細いヒビが入る。
外壁上の騎士たちの顔が強張った。
「怯むな!」
クリスが叫ぶ。
「翼を狙え! 次の体当たりをさせるな!」
門前では、ゼインがハンターたちへ指示を出していた。
「弓を扱える者は南側へ。魔術師の詠唱時間を稼ぎなさい」
「了解!」
ワイバーンが再び空へ上がる。
その口が開き、熱を帯びた息が漏れた。
「来るぞ!」
炎が結界を舐める。
光の膜が揺らぎ、ヒビが広がった。
だが、その隙を王都側も逃さない。
矢が翼へ突き刺さり、雷撃が胸を焼く。
風魔術で姿勢を崩したところへ、ハンターの投げた槍が首筋に食い込んだ。
最後に、外壁上の魔術師が放った雷がワイバーンの胸を貫く。
巨体が傾いた。
「落ちるぞ!」
ワイバーンは結界の外へ崩れ落ち、地面を大きく揺らした。
一瞬の静けさの後、歓声が上がる。
「落ちたぞ!」
「やった!」
「まだ守れる!」
騎士もハンターも、住民たちも顔を上げた。
まだ戦える。
そう思いかけた時だった。
*
西の空を見ていた騎士が、震える声で呟いた。
「……まだいる」
隣の騎士が振り返る。
「何?」
「一体じゃない!!」
西の空には、黒い点がいくつも浮かんでいた。
一つや二つではない。
数え切れないほどの翼が、王都へ向かってくる。
ワイバーンの群れだった。
さらに、その奥には巨大な影があった。
雲ではない。
ゆっくりと羽ばたくたびに、周囲の空気が揺れる。
ワイバーンとは比べものにならないほど大きい。
「竜……?」
誰かが、そう呟いた。
その声に答えられる者はいなかった。
地上では、東の森が大きく揺れた。
木々が押し倒される音が、外壁まで届く。
ずしん。
大地が震える。
やがて森の奥から、一つ目の巨人が姿を現した。
サイクロプス。
王都の外壁を見下ろすほどの巨体が、巨大な棍棒を引きずりながら歩いてくる。
「サ……サイクロプス……」
騎士の一人が、かすれた声を漏らした。
さらに北から暴風が吹く。
森の木々が横倒しになり、白銀の毛並みを持つ獣が姿を現した。
吐息だけで地面が白く凍り、周囲の魔物たちでさえ距離を取っている。
ハンターの一人が、剣を握る手を震わせた。
「フェンリル……北方の災害が、なぜ王都に……」
空にはワイバーンの群れと、その奥に竜のような巨大な影。
地上からはサイクロプスとフェンリルが迫り、その周囲には数え切れないほどの魔物が押し寄せていた。
先ほどまで顔を上げていた騎士たちから、次第に声が消えていく。
剣を握る手が震え、弓兵の指は弦に掛かったまま動かない。
魔術師の一人は、詠唱の途中で言葉を失っていた。
外壁の内側では住民たちが祈り始め、母親に抱きしめられた子供が泣いている。
老人は膝をつき、女神の名を呼んでいた。
クリスは外壁の上で、その光景を見ていた。
戦力差は明らかだった。
結界も外壁もある。
騎士団もハンターもいる。
それでも、今の戦力だけですべてを止めるのは不可能だった。
ゼインも魔物の配置を無言で見渡し、わずかに目を細める。
「……この戦況を覆すには……やはり」
その声は小さかったが、近くにいた職員には聞こえた。
王城の窓から、セドリックも同じ光景を見ていた。
「……なんなんだこれは」
唇が震える。
「こんなの……聞いていない」
警鐘だけが、王都中で鳴り続けていた。
*
ブォォォォォォォン!!
南の方角から、奇妙な音が響いた。
魔物の咆哮でも、馬の蹄でも、風の音でもない。
外壁にいた者たちが、思わず南を見る。
直後、南側の魔物の群れが一直線に吹き飛んだ。
「は?」
誰かが間の抜けた声を出す。
土煙の中で、ウルフが宙を舞い、ゴブリンが横へ弾かれ、巨大な蜂のような魔物がぐるぐる回転しながら飛んでいく。
その中心には、白い光があった。
「魔物が多すぎて前が見えねえ!!」
叫び声が聞こえた。
「何がどうなってるんだい!?」
別の声が続く。
「ユウヤ、今轢いたのはアーマーホーネットです。巣から取れる蜂蜜が絶品です」
「んなこと言ってる場合か!! 魔物の量ヤバすぎだろ!!」
白く輝く乗り物が、魔物の群れを一直線に突っ切ってくる。
その上には三人。
前でハンドルを握っているのは、手配書によって王都中に名を知られたマスクドブレイブ。
中央で必死に掴まっているのは、死んだはずの第一王子アルヴェルト。
後ろで平然と風の膜を張っているのは、王国最強のハンター、レオルド。
外壁上の騎士たちは、言葉を失った。
「あれは……」
「マスクドブレイブ……?」
クリスが息を呑む。
その視線は、白い光の中央にいる男へ向けられていた。
「アルヴェルト殿下……!」
ゼインも目を細める。
「本当に来ましたか」
王城の窓辺では、セドリックが震える指で窓枠を掴んでいた。
「なぜ……」
その声は、誰にも届かない。
「なぜ、ここで……」
白い光は南側の群れを突き破り、王都の外壁前で急停止した。
止まりきれずに土煙が舞う。
ユウヤはハンドルを握ったまま、周囲を見上げた。
空にはワイバーンの群れと竜のような巨大な影。
地上ではサイクロプスとフェンリルが迫り、見渡す限り魔物で埋め尽くされている。
「なんだよ、この地獄絵図は……」
カン。
『観測されました』
『周囲に多数の敵性反応を確認』
『変身を推奨します』
ユウヤは、ゆっくり息を吐いた。
「……やるしかねえか」
ベルトに手をかけた。




