第132話「繋いだもの」
アルヴェルトは、王家の印が押された文書を掲げた。
「父は、私を正統な王位継承者と定めている。そして、ルークとリアの保護を命じている」
アルヴェルトの声が、森の中に響いた。
王家の印。
王の筆跡。
正式な署名。
その全てが揃った文書を前に、騎士たちの顔色が変わっていく。
彼らは王命によって動いていた。
反逆者を捕らえろ。
匿う者も同罪。
抵抗するなら処罰せよ。
そう命じられて、ここまで来た。
だが今、目の前にもう一つの王命がある。
しかもそれは、第二王子セドリックの名を借りた命令ではなく、王本人の署名と印を備えた文書だった。
剣先が下がる。
誰かが息を呑む。
誰かがゼインを見る。
揺れかけた空気を押し留めたのは、やはりゼインだった。
「それが本物である証明は、この場ではできません」
静かな声だった。
しかし、その声には明らかに苦しさが混じっている。
「仮に本物であったとしても、魔人を伴っている以上、あなた方を無条件に信用することはできない。一度、王都へ戻り、正式に確認を取るべきでしょう」
「さっきは、王都へ戻す必要はないって言ってたろうが」
ヘルガの声が飛んだ。
ゼインの視線がわずかに動く。
ユウヤも肩を回しながら前へ出る。
「さっきまで殺そうとしてたくせによ。都合悪くなったら確認かよ。便利な口してんな、お前」
ゼインは答えなかった。
その沈黙が、何よりも雄弁だった。
王都へ戻す必要はない。
前回の混乱を繰り返すわけにはいかない。
そう言っていた男が、アルヴェルトと王の文書を前にした途端、確認を口にした。
その場にいた者たちにも、その矛盾は伝わっていた。
「はぁ……めんどくせえな。疑うのは勝手だけどよ」
ユウヤが言った。
全員の視線が、彼へ向く。
ユウヤは土まみれの服を軽く払うと、面倒くさそうに首を鳴らした。
「お前ら、本気で俺らとやり合うつもりか?」
森の空気が止まる。
ユウヤは騎士たちを見渡し、次にハンターたちを見る。
「そこにいるのは、アホみたいだが王国最強のハンター様だ」
「もうアホではありません」
レオルドが静かに剣を構えた。
「計算だってできます」
「そこは威張るところじゃねえよ」
ユウヤは言いながら、自分の腰に巻かれたベルトを軽く叩く。
「一応、俺もいる」
ベルトが、かすかに光った。
それだけで、何人かのハンターが息を呑む。
王都の魔人騒ぎ。
処刑場の乱戦。
そして、パルマの英雄譚。
マスクドブレイブの名は、ふざけた響きとは裏腹に、すでに軽いものではなくなっていた。
ユウヤはさらに、ヘルガを親指で示す。
「で、ゴリ……元Aランクハンターもいる」
ヘルガの目が細くなる。
「ゴリ?」
ユウヤは咳払いをした。
「んんっ……頼れる元Aランクハンター様もいる」
「最初からそう言いな」
「はい」
レオルドが真顔で頷く。
「ヘルガさんは非常に頼れる方です」
「お前は黙ってろ」
ユウヤは再び前を見る。
「そこの王子様が本物かどうかは置いといてだ」
アルヴェルトが困った顔をする。
「いや、本物なんだけど……」
ユウヤは無視した。
「この場にいる連中だけで、勝てると思ってんのか?」
誰も答えない。
ユウヤは一歩踏み出す。
「王国中の騎士とハンターをかき集めても勝てないと思うけどな」
その言葉に、ハンターたちの間で息を呑む音がした。
大げさな脅しではない。
レオルドは王国最強のAランクハンターだ。ヘルガも、引退したとはいえ元Aランクであり、先ほどまで実際に追っ手を叩き伏せていた。そしてマスクドブレイブは、魔人騒ぎを止めた異質な存在として知られている。
この三人が、ルークとリアの前に立っている。
本当に戦えば、どれほどの被害が出るのか。
その想像が、騎士たちの足を止めた。
「疑うなら疑え」
ユウヤは低く言う。
「でも、まだルークとリアに剣を向けるってんなら――全員まとめて叩き潰す」
森の中に、静かな圧が落ちた。
怒鳴ったわけではない。
変身したわけでもない。
だが、その場にいた誰もが理解した。
これは脅しではなく、宣告だ。
ゼインはしばらく黙っていた。
その顔に浮かんだのは怒りではない。悔しさでもない。冷静に損得を計算している者の顔だった。
やがて、彼はゆっくりと息を吐く。
「……撤退します」
ハンターたちがざわついた。
騎士の一人が声を上げる。
「しかし、王命が――」
「この場で交戦すれば、騎士団とハンターギルド双方に甚大な損害が出ます」
ゼインは淡々と告げる。
「今ここで戦うべきではありません」
ユウヤが鼻で笑った。
「損害ねぇ」
ゼインは返さなかった。
彼はアルヴェルトへ視線を向ける。
「王都でお会いしましょう、アルヴェルト殿下」
その言葉に、また周囲が揺れた。
殿下。
ゼインは、少なくともその可能性を否定しきれなくなっていた。
それでも、膝を折ることはない。
ゼインは踵を返す。
「包囲を解きなさい。負傷者を回収します」
命令を受け、ハンターたちが動き出した。
騎士たちも戸惑いながら剣を下ろしていく。全員が納得したわけではなかったが、今この場で剣を振る者はいなかった。
何人かはセシルを警戒したまま距離を取り、何人かはレオルドから目を離せずにいる。
新騎士団長は、木の根元で倒れたままだった。
ユウヤがちらりとそちらを見る。
「……あいつ、大丈夫か?」
アルヴェルトも同じ方向を見た。
「すごい勢いで吹っ飛んでたよね……」
レオルドが冷静に確認する。
「生きてはいるようです」
ユウヤは頷いた。
「よし、ならセーフ」
「だからセーフじゃないって」
アルヴェルトが疲れたように突っ込んだ。
やがて、騎士たちとハンターたちは森の奥へ退いていく。
松明の灯りが、少しずつ遠ざかる。
完全な勝利ではない。
ただ、今この場での死は遠ざかった。
それだけだった。
敵が去ったのを確認してから、アルヴェルトはルークとリアのもとへ向かった。
ルークは立ち上がろうとしたが、足元がふらつく。
アルヴェルトはすぐにその身体を支えた。
「無理をするな」
「兄上……」
ルークの声は震えていた。
「何も……できませんでした。すみません……」
アルヴェルトは静かに首を横に振る。
「謝るのは私の方だ」
ルークが顔を上げる。
アルヴェルトは、泥と血に汚れた弟の顔を見つめた。
「よくここまで耐えてくれた。リアを守って、父上の文書を私に繋いでくれた」
「でも……」
「お前は逃げていたんじゃない。繋いでいたんだ」
その言葉に、ルークの目が揺れた。
リアも、もう我慢できなかった。
「アルヴェルト兄様……」
アルヴェルトはルークを支えたまま、リアの方へ手を伸ばす。
リアはセシルを支えていたが、エマがそっと代わった。
その瞬間、リアはアルヴェルトへ駆け寄る。
アルヴェルトは二人をまとめて抱きしめた。
「もう大丈夫だ」
優しい声だった。
「よく生きていてくれた」
ルークも、リアも、何も言えなかった。
王都はまだセドリックの手の中にある。王も目を覚ましていない。騎士団もハンターギルドも完全に敵ではなくなったわけではない。
それでも、この瞬間だけは、三人は家族だった。
その時、背後で小さな音がした。
「セシル!」
リアが振り返る。
セシルの身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちていた。
エマが慌てて支える。
黒い筋はほとんど消えている。
顔色は悪く、呼吸も弱い。
だが、息はある。
ヘルガが舌打ちした。
「無茶しやがって……」
ユウヤもセシルの前にしゃがむ。
以前なら、すぐに何かを言えたかもしれない。
怒鳴ることも、皮肉を言うこともできたかもしれない。
だが、今のセシルを見て、ユウヤは少しだけ黙った。
そして、短く言う。
「……よく守ったな」
セシルに聞こえているかは分からない。
それでも、その一言で十分だった。
アルヴェルトは顔を上げる。
「まずは安全な場所へ移動しよう。ここに長く留まるのは危険だ」
全員が頷いた。
だが、すぐに問題が見えた。
ルークは負傷している。
セシルは意識を失っている。
ヘルガも肩を射抜かれ、血を流していた。
グレッグとトムは疲労で息が上がり、エマとリアも限界に近い。
そして、移動手段は――。
レオルドが、少し離れた場所でキラキラと光っている白いセグウェイを見た。
「乗れますか?」
全員が沈黙した。
ユウヤも、その白い乗り物を見る。
三人乗るだけで地獄だった。
そこへ負傷者を含めて全員乗るなど、考えるまでもない。
ユウヤは深くため息を吐いた。
「……無理に決まってんだろ」
森の中に、妙に現実的な沈黙が落ちた。




