第131話「第一王子」
森の中に、ざわめきが広がっていた。
第一王子。
帝国視察中に襲撃され、重傷を負い、行方不明になったとされていた男。
そのアルヴェルト・フォン・レグナが、今、ルークとリアの前に立っている。
騎士たちは剣を構えたまま動けず、ハンターたちも互いに顔を見合わせていた。誰かが息を呑み、誰かが小さく名を漏らす。
「第一王子……?」
「アルヴェルト殿下は、行方不明だったはずだろ……」
「本物なのか?」
「だが、レオルドもマスクドブレイブも反逆者扱いだぞ……」
「それに、あの女は……」
いくつかの視線が、セシルへ向いた。
セシルはリアに支えられたまま、かろうじて膝をついている。胸元から腕にかけて浮かんでいた黒い筋は薄くなりつつあったが、完全に消えたわけではない。
第一王子の帰還。
王子と王女。
指名手配中のハンターたち。
そして、魔人と疑われるセシル。
あまりにも多くの情報が一度に突きつけられ、包囲していた側の動きは完全に止まっていた。
その沈黙を破ったのは、ゼインだった。
新騎士団長は、先ほど白い乗り物に跳ね飛ばされ、木の根元で倒れている。意識があるのかどうかも分からず、少なくとも今この場を指揮できる状態ではない。
だからこそ、ゼインは一歩前に出た。
「落ち着きなさい」
低いが、よく通る声だった。
「第一王子殿下を名乗る者が現れただけです。本物である保証はありません」
その言葉に、騎士たちの何人かが我に返る。
ゼインは淡々と続けた。
「反逆者どもが用意した偽物の可能性もあります。現時点で、我々が剣を下ろす理由にはなりません」
「おい、偽物だってよ」
ユウヤが、土を払いながらアルヴェルトを見る。
アルヴェルトは微妙な顔をした。
「いや、本物なんだけど……」
その横で、レオルドがゼインをじっと見た。
「ところで、この方は誰ですか? 偉そうですが……」
ヘルガが片眉を上げる。
「後任のハンターギルドマスターだよ」
「後任?」
レオルドは少しだけ首を傾げた。
「そうですか。ヘルガさんの後任にしては、ずいぶん弱そうですね」
「おい、レオルド」
ユウヤが小声で制した。
「そういうことは思ってても言うもんじゃねえぞ」
ヘルガは鼻で笑う。
「まあ、私の足元にも及ばないね」
「あんたも乗るなよ……」
重かった空気が、ほんの一瞬だけ歪む。
だが、ゼインの顔色は変わらなかった。侮辱されても怒鳴らず、言い返しもせず、ただ冷めた目でユウヤたちを見ている。
その冷静さが、かえって面倒だった。
レオルドはふと思い出したように、騎士たちを見回す。
「それより、騎士団長のクリスはどこですか?」
その一言に、騎士たちの間へ気まずい沈黙が落ちた。
ヘルガが短く答える。
「クリスは騎士団長から降ろされたよ。この場にはいない」
「そうなのですか」
「新しい騎士団長なら、さっきあんた達がぶっ飛ばしただろ」
ユウヤの顔が固まる。
「……あれ、騎士団長だったのかよ」
アルヴェルトが半眼で見る。
「だから、人を轢いたって言ったじゃないか」
「敵ならセーフって話だったろ」
「誰もそんな話は認めてないよ」
レオルドは倒れている新騎士団長の方を見て、少しだけ残念そうに言った。
「兄なら面白かったのですが」
「兄貴の扱いひどくね!?」
ユウヤが思わず突っ込む。
そのやり取りに、アルヴェルトが小さく息を吐いた。
そして、一歩前へ出る。
それだけで、周囲の空気が変わった。
今までの軽い調子が消える。
そこに立っていたのは、酒場で女主人にこき使われていた軽薄な男ではない。
王族だった。
アルヴェルトは騎士たちとハンターたちを見渡し、はっきりと名乗った。
「私はアルヴェルト・フォン・レグナ」
その声は、森の中によく響いた。
「レグナ王国第一王子だ」
誰も口を挟まなかった。
アルヴェルトはさらに続ける。
「この場の全員に命じる。剣を下ろせ」
騎士たちの間に動揺が走る。
剣先がわずかに下がる者もいれば、逆に握り直す者もいる。ハンターたちも判断を迷い、ゼインの顔色を窺っていた。
無理もなかった。
目の前の男が本物かどうか、即座に判断できる者は少ない。
セドリック側からは王命が出ている。ルークとリアは国家反逆罪の容疑者であり、レオルドとマスクドブレイブも指名手配されている。さらに、セシルは魔人と疑われる力を見せたばかりだ。
アルヴェルトの一言だけで、全員が従うほど状況は単純ではない。
それでも、場は止まった。
少なくとも、誰もすぐには剣を振れなくなった。
「兄上……」
ルークが、よろめきながら身体を起こす。
アルヴェルトが振り返ろうとしたが、ルークはそれを制するように懐へ手を伸ばした。
汚れた服の内側から、小さな革袋を取り出す。
何度も逃亡し、何度も追われ、それでも肌身離さず持ち続けていたものだった。
「これを……」
ルークは震える手で、それを差し出す。
「父上から……兄上へ……」
アルヴェルトの表情が変わった。
ゆっくりと革袋を受け取る。
中から出てきたのは、王家の印で封をされた文書だった。封蝋には、レグナ王家の紋章が刻まれている。
騎士たちがざわついた。
王家の印。
騎士団に属する者なら、その重みを知らないはずがない。
アルヴェルトは封を開け、中の文書へ目を落とした。
最初は静かだった。
だが、読み進めるにつれて、その顔から血の気が引いていく。
「父上……」
低く、絞り出すような声だった。
文書には、王の筆跡で記されていた。
もし王の身に異変があった場合、第一王子アルヴェルトを正統な王位継承者と定めること。
第三王子ルークと王女リアを保護せよということ。
そして、王家の内側に迫る異変への警戒。
そこには、王家の印と署名が確かにあった。
アルヴェルトは目を閉じる。
ほんのわずかな沈黙の後、彼は文書を掲げた。
「これは、父王の正式な文書だ」
森の空気が揺れた。
「父は、私を正統な王位継承者と定めている。そして、ルークとリアの保護を命じている」




