第126話「追われる者たち」
王都郊外の森の奥。
人目につかないよう木々に囲まれた古びた小屋の中で、ルークは浅い眠りから目を覚ました。
外はまだ薄暗い。
湿った木の匂いと、薬草を煎じた苦い匂いが、部屋の中にじっとりと残っている。
視線を横へ向ける。
部屋の隅では、セシルが簡易ベッドの上に横たわっていた。
胸は上下している。命はある。だが、あの日からまだ一度も目を覚ましていない。
その傍らにはリアが座っていた。
眠っているというより、限界まで起きていて、意識だけが落ちたような浅い眠り方だ。目の下には濃い隈ができている。
反対側では、エマが壁にもたれて膝を抱えていた。
グレッグとトムも、それぞれ剣を手の届く場所へ置いたまま休んでいる。
誰もが疲れ切っていた。
ユウヤとレオルドが帝国へ向かってから、まだ一週間も経っていない。
それなのに、ずいぶん長く感じた。
隠れ家を変え、追っ手を避け、最低限の食料と水を確保しながら、ただ耐えるしかない日々だった。
王都は近い。
だが、もう帰れる場所ではない。
「起きたか」
入口の方から低い声がした。
ルークが顔を上げると、ヘルガが小屋へ入ってくるところだった。
外套には土埃がついている。いつものように強い目をしているが、その奥に隠せない疲労が見えた。
「……何か分かりましたか?」
ルークが問う。
ヘルガは扉を閉め、しばらく無言で室内を見回した。
起きている者も、起きかけている者も、皆その顔を見るだけで答えを察してしまう。
「悪い話ばかりだ」
その一言で、部屋の空気が一段重くなった。
リアも目を覚まし、セシルの手を握ったまま顔を上げる。
エマ、グレッグ、トムもゆっくりと体を起こした。
ヘルガは壁際に立ち、腕を組んだ。
「まず確認しておくが、お前とリアが国家反逆罪になってるのは今さら言うまでもないな」
ルークは黙って頷いた。
処刑場から逃げた、その日からだ。
もうとっくに王都の壁にも街道沿いにも、自分たちの手配書は貼られている。
「レオルドも同じだ。王族に味方し、処刑を妨害し、国外逃亡を幇助したってことになってる」
「マスクドブレイブも重要指名手配のまま。賞金首だ」
トムが悔しそうに拳を握った。
「そこまで徹底するんすか……」
「するさ」
ヘルガは淡々と続ける。
「問題は、その包囲網がこの数日でほぼ完成したってことだ」
ルークの表情が変わる。
ヘルガは指を折るように告げた。
「王都周辺の検問は倍以上。街道も監視が増えた。手配書はもう地方にも回ってる」
「加えて、王命で“反逆者を匿った者も同罪”って布告まで出た」
リアが小さく息を呑む。
「そんな……」
「市民も怯えてる。今の王都じゃ、王族の名前を口にするだけでも周りを確認する始末だ」
ヘルガの声には露骨な嫌悪が滲んでいた。
「セドリックが実権を握った。王は表に出てこない。重臣どもは皆、第二王子殿下のご意志だと抜かしてる」
「王都は今、半ば恐怖政治だ」
部屋が静まり返る。
ルークは握った拳に力を込めた。
セドリックが本気で国を掌握しにきている。
疑いようのない現実だった。
「……父上は、まだ目を覚ましてないんでしょうか」
ルークの問いに、ヘルガは即答しなかった。
少しだけ間を置き、短く答える。
「残念だが、情報はないな……」
それだけで十分だった。
悪い想像はいくらでもできる。
いや、想像したくないからこそ、ルークはそれ以上聞けなかった。
ヘルガはさらに続ける。
「それと、私はもう元ギルドマスターだ」
エマが目を見開く。
「解任、されたんですか……?」
「数日前にな」
ヘルガは肩をすくめた。
「理由は王族匿いの疑い、処刑騒動への関与疑惑。まあ、要するに粛清だ」
「セドリック派にとっちゃ、私は邪魔だったんだろうさ」
冒険者ギルドは王国中に網を張る大組織だ。
その長が外され、王子側に近い者が据えられる意味は重い。
グレッグが低く唸る。
「じゃあ、ギルドももう……」
「ああ。敵だ」
ヘルガははっきり言い切った。
「後任はすでに王命を受けて動いてる。冒険者どもに、お前たちの捜索協力を正式に要請した」
トムが顔をしかめる。
「賞金目当ての連中まで出てくるってことっすか」
「そういうことだ」
ヘルガは頷いた。
「兵だけじゃない。騎士だけでもない。冒険者も、傭兵崩れも、日銭に困った連中も、全部が敵になる」
「もう王国中が敵だと思っとけ」
ルークは目を伏せた。
自分たちが逃げている間にも、状況は悪くなる一方だ。
セシルは目を覚まさず、ユウヤたちはまだ戻らない。
今の自分には、何一つできていない。
その無力さが、胸の奥を鈍く抉った。
*
同じ頃。
王国騎士団本部の一室で、クリスは机の上の報告書を無言で見つめていた。
処刑騒動の顛末。
反逆者追跡の現状。
各所に配られた通達の写し。
どの紙にも、ルークとリアは反逆者であり、レオルドはそれに加担した裏切り者だと書かれている。
だが、読めば読むほど不自然だった。
証言が妙に揃いすぎている。
時系列にも噛み合わない部分がある。
何より、レオルドの行動だけが露骨に悪意をもって書き換えられていた。
「……くだらん」
クリスは低く吐き捨てた。
彼は団長の座から降ろされていた。
表向きの理由は、処刑騒動に際して騎士団の統率が乱れた責任。
だが、本当の理由など考えるまでもない。
レオルドの兄だからだ。
それでも追放されなかっただけ、まだましなのかもしれない。
あるいは、目の届く場所に置いておきたいだけか。
クリスは書類から目を離し、椅子へ深くもたれた。
ルーク殿下とリア殿下が、本当に反逆者なのか。
答えは出ている。
そんなはずがない。
だが、疑念があろうと、証拠も権限もない今の自分には動けない。
下手に動けば、それこそ周囲に目をつけられて終わりだ。
その時、机の端に置いた別の報告が目に入った。
国境付近での目撃情報。
レオルド。
そして、マスクドブレイブ。
二人は国境を突破し、帝国へ向かったとされていた。
クリスはその紙を手に取る。
「帝国へ逃亡、か……」
そんなはずがない。
レオルドが、ただ逃げるためだけに帝国へ向かうとは思えなかった。
まして今の状況で、王国を捨てて国外へ落ち延びるような男でもない。
ならば理由は一つだ。
「……アルヴェルト第一王子殿下」
小さく呟く。
帝国。
そこへ向かったということは、第一王子を探しに行ったのだろう。
国を立て直すために。
クリスはしばらく動かなかった。
窓の外では、訓練場の掛け声が聞こえる。
騎士団はまだ王国騎士団として動いている。だが、その内側はもうひどく歪んでいた。
「国のために……私はどうすればいい」
答えはまだ出ない。
だが、何もしないままでいいはずもなかった。
*
夜。
隠れ家へ戻ったヘルガは、相変わらず沈んだ空気の小屋を見回した。
ルークは壁際に座り込み、リアはセシルの手を握っている。
エマもトムもグレッグも、疲れた顔のまま黙っていた。
誰も口を開かない。
希望が薄いことなど、皆わかっている。
だからこそ、ヘルガはあえて強い声で言った。
「耐えろ」
全員が顔を上げる。
ヘルガは腕を組み、いつものように言い切った。
「もう王国中が敵だ……だが、まだ終わってない」
その目に宿る光は、少しも折れていなかった。
「ユウヤ達がしくじるとは思えん」
「だから、それまで生き残れ」
ルークは静かに目を閉じた。
まだ一週間も経っていない。
焚き火もない暗い小屋の中で、皆がただ小さく息を吐く。
王国の夜は、まだ明けない。




