第125話「焚き火の誓い」
野営地に、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が響いていた。
国境近くの夜は冷える。
焚き火の熱は心地いいはずなのに、その前に座り込んでいるユウヤの顔色は、別の意味で死んでいた。
原因は当然――一億である。
必要ファン数、100,000,000人。
どう考えても頭がおかしい。
「……」
焚き火を睨んだまま黙り込むユウヤに、アルヴェルトがとうとう耐えきれなくなったように口を開いた。
「だから何があったんだい?」
「聞くな……」
即答だった。
だが、レオルドはこういう時ほど引かない。
「気になるじゃないですか」
ユウヤは焚き火から目を逸らさず、低く言った。
「ちっ……一億だ」
アルヴェルトが瞬きをする。
「一億?」
レオルドも首を傾げる。
「一億とは何の事ですか?」
ユウヤはゆっくりと顔を上げた。
その目は完全に据わっていた。
「今回のクソ装備が変わるのに、一億人ファンがいるんだよ!!」
沈黙。
火の爆ぜる音だけが虚しく響く。
アルヴェルトが、控えめに言った。
「……無理じゃないかい?」
「だろうな!!」
ユウヤが半ばキレ気味に返す。
レオルドは真面目な顔のまま考え込んでいたが、やがて静かに言った。
「ですが、毎日一人ずつでもファンを増やしていけばいいのでは?」
ユウヤは焚き火越しに、真顔でレオルドを見る。
「二十七万年かかるわ!!」
アルヴェルトが吹き出しそうになりながら肩を震わせる。
「いや、前向きなのはいいけど……それはもうそういう問題じゃないよね……」
ユウヤは深くため息を吐いた。
「そもそも、なんで俺がファン商売みてえなことしなきゃなんねえんだ……」
「ですが、既に六千人以上いるのですよね」
「まあ……そうだな」
「人気者ということでは?」
「そういう話じゃねえ」
レオルドはなおも真面目な顔だった。
「私は良いことだと思います。歌も踊りも、かなり完成度が高かったです」
ユウヤの額に青筋が浮く。
「てめえ、まだ言うか」
「やはり継続すべきでは――」
「殺すぞ」
真顔だった。
レオルドも真顔で頷いた。
「その時は全力で抵抗します」
「だったら最初から黙ってろ」
アルヴェルトはとうとう吹き出した。
「ふふっ……いや、ごめん。でも、なんというか……君たち、本当に大変だね」
「他人事だと思って笑ってんじゃねえ!」
「いや、今のは完全に笑う流れだったよ」
しばらくそんなやり取りが続いたあと、ようやく焚き火の周りに落ち着いた空気が戻る。
薪が崩れ、火の粉が夜へ舞い上がった。
その火を見つめながら、アルヴェルトがふと呟く。
「……王国は今頃どうなっているかな」
空気が変わった。
さっきまでの馬鹿みたいな笑いが、ふっと消える。
ユウヤは焚き火を見つめたまま聞いた。
「心配か?」
「当然だよ」
アルヴェルトは即答した。
その声音に、迷いはなかった。
「セドリックは昔から優秀だったんだ」
ぽつり、ぽつりと語り始める。
「剣も学問も優秀で、判断も早かった。正直に言えば、僕より王に向いていると思ったこともある」
レオルドは黙って聞いている。
ユウヤも、いつものように茶化さなかった。
「だから今でも信じられないんだ」
アルヴェルトの目は焚き火の向こう、もっと遠くを見ていた。
「ルークとリアを処刑しようとしたなんて……何かの間違いなんじゃないかって、今でも思ってる。蛇架に何かされたんじゃないかとか、誰かに操られてるんじゃないかとか……そんな言い訳を、つい探してしまう」
少しだけ、苦く笑う。
「兄として情けない話だけどね」
夜風が吹く。
焚き火の炎が揺れた。
アルヴェルトは続ける。
「ルークは感情をあんまり出さないけど根は真っ直ぐだ」
その言葉は、どこか懐かしさを含んでいた。
「周りをよく見てるし何をさせても優秀だ。真面目すぎるけどね」
「リアはすごく優しい子だ」
火の光が、アルヴェルトの横顔を照らす。
「王族とは思えないほど優しいんだ。見知らぬ相手すら疑えないくらいに」
その表情が、少しだけ曇る。
「そんな二人が、今も逃げ回っている」
拳が強く握られる。
「守るべき立場だったのに」
短い沈黙が落ちた。
その時、ユウヤがぽつりと言う。
「……まあ、ルークとリアのとこには、ゴリラ女……じゃねえや、元Aランクのギルドマスターもついてるし、大丈夫だろ」
アルヴェルトが少しだけ瞬きをした。
「ゴリラ女……?」
レオルドは真顔で頷く。
「確かに。ヘルガさんは引退されたとはいえ、そこら辺の騎士にも魔人にも負けるとは思えませんね」
「それはまあ、そうなんだけど……」
アルヴェルトが苦笑する。
「君たち、ヘルガさんをどういう目で見てるんだい……」
「強ぇ女」
「頼れる方です」
「雑だなぁ……」
だが、その一言で少しだけ空気が和らいだのも確かだった。
アルヴェルトは小さく息を吐く。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、もう迷いだけではないものが宿っていた。
「絶対に取り戻す」
静かな声だった。
だが、確かな決意の音だった。
「ルークもリアも」
拳を握る。
「そしてレグナ王国も」
火の粉が夜空へ消えていく。
アルヴェルトは、まっすぐ二人を見た。
「だから、私に力を貸して欲しい」
沈黙。
短いが、重い沈黙だった。
最初に口を開いたのはユウヤだった。
「あったり前だろ」
ぶっきらぼうに言う。
「ルークとリアは、一緒に暮らしてた仲間だ」
少しだけ、口元を上げる。
「うちの従業員もいるしな。急がねえと」
レオルドも、迷いなく頷いた。
「当然です。また、レグナ麺食べたいですしね」
アルヴェルトが少しだけ笑う。
「ありがとう」
その後、話題は自然とブレイブ亭へ移った。
アルヴェルトが首を傾げる。
「そういえば、君たちが時々話しているレグナ麺って何なんだい?」
ユウヤが焚き火へ薪を放り込む。
「レグナ麺ってのは、俺が考えてうちの従業員のグレッグが形にした料理だ。今はブレイブ亭で出してる」
アルヴェルトが少し目を丸くする。
「君が考えたのかい?」
「まあな。麺料理がなかったから、食いたくなって作った」
レオルドも真顔で頷く。
「かなり美味しいですよ。私は好きです」
「スープも結構美味いぜ」
「へえ……それは気になるね」
アルヴェルトが少しだけ笑う。
「王都に戻ったら、ぜひ食べてみたいな」
「そん時は、王族お墨付きって宣伝するわ」
ユウヤがニヤッとする。
レオルドが静かに頷く。
「アルヴェルト殿下」
「ん?」
「レグナ麺は本当に美味しいですよ」
アルヴェルトが苦笑した。
「そこまで言われると気になってくるね」
ユウヤは焚き火へ薪を放り込む。
「だから王国を取り戻すぞ」
「話はそれからだ」
アルヴェルトは少しだけ笑い、
「ああ」
と頷いた。
そうして三人は、王国のことを、ルークとリアのことを、そしてブレイブ亭のことをしばらく語り続けた。
焚き火は静かに燃え続け、夜は少しずつ更けていった。
*
翌朝。
ユウヤはまだ少し眠そうな顔のまま立ち上がり、大きく伸びをした。
「よし、出発だ」
その声に、アルヴェルトがげんなりした顔で振り向く。
「また……あれに乗るんだよね……」
視線の先には、朝日を受けて妙に眩しく輝く白いセグウェイがあった。
無駄にキラキラしている。
どう考えても旅向きの乗り物ではない。
ユウヤはその絶望的な見た目から目を逸らしながら言った。
「乗るしかねえだろ」
アルヴェルトは心底嫌そうな顔で空を見上げた。
「王都に着くまで生き残れますように……」
「大げさだな」
「いや、全然大げさじゃないよ!?」
その後ろで、レオルドだけがやる気に満ちた顔をしていた。
「絶好の旅日和です! ユウヤ、停止するときは気をつけてくださいね」
「そういや、急停止しかわかんねえんだよな……」
ユウヤは深くため息を吐く。
王国への道は、まだ始まったばかりだった。




