第12話「入院と別れ」
ユーリに肩を貸されながら、俺はなんとか歩いていた。
路地を曲がるたびに肋がきしみ、息を吸うだけで胸が痛む。
足も地面に着くたび、小さく痺れた。
「……っ、く……」
声にすると負けた気がして、歯を食いしばる。
ユーリが横目で見る。
「無理に強がるな。歩けないなら止まれ」
「強がってねぇ……ただ、しゃべると……痛ぇ……」
「なら、黙れ」
「……嫌だね……」
ユーリが小さくため息をついた。
その時、ふと俺を見る。
「ところで」
「……ん?」
「その格好は、一体なんなんだ?」
言われて、俺はようやく自分の状態を思い出した。
キラキラマスクに黄ばんだタンクトップ、赤いブリーフ。
手には臭い軍手、足には穴の空いた靴下。
おまけに身体は血と土で汚れている。
「……っ、やべ……」
声が掠れた。
「あっぶね……! まだこの格好だったわ……!」
俺は震える手で腰のベルトを叩く。
「解除……解除だ……!」
『変身解除します』
光が引き、元の服が戻ってきた。
布が肌に触れただけで、妙な安心感が込み上げてくる。
「……はぁ……文明……」
ユーリが淡々と言う。
「何度見ても、不思議な現象だな」
「不思議じゃねぇ……悪夢だ……」
「どちらにせよ、急ぐ」
俺は呻きながら頷き、そのまま数歩黙って歩いた。
すると、胸の奥に引っかかっていた言葉が勝手に出た。
「……バルツだっけか。あいつ、黒いモヤ出して、魔物みてぇになりやがった……ありゃ何だ」
ユーリは前を見たまま、即答した。
「魔人だ」
「……なんだそりゃ」
「瘴気に呑まれた人間だ。……だが、こんな街に現れるようなものじゃない」
俺は呻きながら歩く。
「……じゃあ俺、とんでもないところに喧嘩売ったってことか」
ユーリの声が冷える。
「これ以上首を突っ込むな。死ぬぞ」
「……俺だって突っ込みたくねえよ」
「とにかく、よく考えて行動しろ」
「……はいはい……」
*
ハンターギルドの灯りが見えた瞬間、膝が少しだけ軽くなった気がした。
扉を押し開けると、
「ユウヤさん!!!」
デンが真っ青な顔で駆け寄ってくる。
その横から、
「ユウヤ兄ちゃん!!」
ロウが飛びついてきた。
「ぐっ……!」
腹に直撃し、肋が悲鳴を上げる。
「いでぇ……! 離れろ……! そこ折れてる……!」
ロウが慌てて離れた。
「ご、ごめん!!」
「ごめんで骨は戻らねぇ……」
デンが俺の顔を見て、歯を食いしばる。
「……本当に……生きてて良かった」
「お前がユーリを呼んでくれたんだってな……おかげで助かった」
俺はデンの頭を撫でた。
だが、撫でた瞬間に気恥ずかしくなって手を引っ込める。
「まぁ……よくやった」
デンはきょとんとしてから頷いた。
ユーリが一歩前に出る。
「ユウヤと、ガイという少年。早く治療院へ行くぞ」
デンが言い淀む。
「でも……金が……」
ユーリは即答した。
「私が出す」
「……え」
「子供と、子供を守った者を無碍にするわけにはいかない」
俺は息を吐きながら、口だけは動かした。
「さすが勇者様……太っ腹……」
ユーリが冷たい目で俺を見る。
「口を動かす余裕があるなら、足を動かせ」
「……はい……」
*
治療院は、ギルドより静かだった。
薬草と消毒の匂いが漂い、白い布の向こうから水の音が聞こえてくる。
奥から出てきた回復魔術師は、
……でかかった。
胸が。
布越しでも分かる圧に、視線が勝手に吸い寄せられる。
(異世界、医療レベルも胸も高ぇ……)
「ふふ。大丈夫ですよ。ちゃんと治しますから、安心してくださいね」
柔らかい声とともに、白い布衣を整えながら回復魔術師――シエラが近づいてくる。
雰囲気は柔らかいのに、怪我を見る目だけは妙に鋭かった。
隣から、ユーリの冷えた視線が飛んでくる。
「……何を見ている」
「見てねぇ……治療を……見てる……」
「嘘だな」
「うるせぇ!」
シエラは小さく笑ってから、まずガイを寝台に寝かせた。
手をかざすと淡い光が流れ、腫れが引き、裂けた皮膚が塞がっていく。
ガイの妹、ティナが息を飲む。
「……にい、ちゃん……」
「大丈夫です。痛みも、すぐに引きますよ。怖かったですね」
シエラの言葉に、ティナの肩が少し落ちた。
次に俺の番になった。
シエラは俺を一瞥すると、表情をほんの少しだけ引き締める。
「……よく生きていましたね。ここまで来られたのが奇跡です」
「褒められた?」
「はい。頑張りましたね。ですけど――次は、こうならないようにしてくださいね」
胸元に手を当てられて、俺の意識が別方向に飛びそうになる。
(やめろ、心臓が別の意味で止まる)
ユーリが低く言った。
「……集中しろ」
シエラは苦笑しながら、淡々と状態を確認していく。
「肋骨にひびが入っています。腕は筋を傷めています。出血も多いです。
本来なら、一ヶ月は安静にしていただきたい状態ですね」
「一ヶ月!?」
「はい。普通なら、です」
シエラが俺の腰にあるベルトをちらりと見る。
「そのベルト……微量の魔力が、ずっと流れているみたいです」
「は?」
「その魔力が治癒を促進し続けています。だから生きてここまで来られたのでしょうね」
(お前、そんな機能あったのかよ……)
シエラは続ける。
声は優しいままだが、言っていることは重い。
「完治は早まると思います。ですが――無理をしたら、治るものも治りません。
あなたは、いざという時に、後先考えない顔をしています。そういう方ほど危ないんです」
俺は言い返したかったが、言葉が出ない。
ユーリが俺を見て釘を刺す。
「聞いたな。もう危険に首を突っ込むな」
「……善処……」
シエラが、ふわっと笑った。
「善処ではだめです。約束してください。守らないと、次は怒りますからね」
「……はい……」
「はい、よくできました。では、治療を続けますね」
*
三日後。
「……すごい回復能力です。もう退院できそうですね」
シエラがにこやかに言う。
俺は布団を掴んだ。
「いや、まだ痛い」
「どこが?」
「お腹が痛い!!」
「肋骨でしょう」
「そう! 肋骨も!!」
ユーリが隣で無言のまま、冷めた目をしている。
(やめろ、その目は効く)
シエラがため息を吐いた。
「……嘘ですね」
「嘘じゃない!」
「顔が元気ですよ?」
俺が食い下がろうとすると、シエラは諦めたように首を振り、他の患者の元へ行った。
ユーリが呆れたようにこっちを見る。
「で、なんで退院しないんだ?」
「入院中、飯出るし……格安宿より環境いいし……」
「本音は?」
俺は一瞬だけ迷って、正直に言った。
「……シエラさんがいるし」
ユーリが即座に言った。
「最低だな」
「褒め言葉?」
「違う」
俺はそこから、さらに一日粘った。
そして翌日。
五日目も居座ろうとしたが、シエラがついにキレた。
「他にも怪我人はいるんです!! 退院してください!!」
「っ、はい!!」
追い出された。
扉の外で、ユーリが淡々と言う。
「当然の結果だ」
「冷てぇ……」
ユーリはフードを直しながら告げた。
「一応伝えておくが、私はこの街を出る」
「え?」
「目的がある。あの魔人についても、少し調べる必要がある」
淡々とした口調だったが、その目には迷いがなかった。
俺は少しだけ口を開きかけて、やめる。
今の俺じゃ、ついて行っても足手まといだ。
「いろいろと、ありがとな。マジで」
ユーリは一瞬だけ間を置いて言った。
「礼なら、生きて返せ」
「はいはい。生きて返す」
ユーリは踵を返し、そのまま歩いていった。
*
宿も金も仕事も必要なので、俺は結局ハンターギルドに戻った。
受付カウンターにはミレイがいる。
俺を見るなり、少しだけ困った顔をした。
「……マスクド・ブレイブさん」
「ユウヤだ! まず名前を覚えろ!!」
「そうは言われましても、登録名が……」
俺は深呼吸する。
(ここでキレたら負けだ。毎回負ける)
ミレイが咳払いした。
「勇者ユーリ様から伝言です。『気にかけてやってくれ』と」
「……ったく、あいつは」
ミレイは業務に戻りながら言う。
「改めて説明します。ハンターにはランクがあります。
F、E、D、C、B、A、S。上がるほど依頼も報酬も危険度も上がります。
マスクド・ブレイブさんはFランクになります」
「ユウヤだ! ……ここで一番上のやつは?」
「Dランクの方が一人います。小さな街ですから」
俺は周囲を見回した。
「今さらだけど、この街って名前あるんだよな?」
「グレンの街です。ここはグレン支部」
「今知った……」
ミレイが続ける。
「最近、ゴブリンが増えています。
増えすぎると上位個体が出現する可能性が上がります」
「やめろ、嫌な話だ」
「間引きのため、魔石の買取を上げています。
魔石一つにつき、大銅貨五枚です」
「……五枚? それ、どのくらい?」
ミレイは慣れた調子で答える。
「銅貨十枚で大銅貨一枚。大銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚です」
「金貨より上もあんのか?」
「白金貨がありますが、今のマスクド・ブレイブさんには、まだ縁がありませんね」
「ユウヤだ! あと地味に煽んじゃねえ!」
ミレイはにこりと微笑んだ。
「ゴブリンなら、魔石は胸の中心にあります。取り出してから納品してください」
「解体込みかよ……」
「それでは、いってらっしゃいませ。マスクド・ブレイブさん」
「ユウヤだ!!」
俺の叫びが、ギルドの天井に虚しく響いた。
でも、稼がなきゃ死ぬ。
俺はベルトを叩く。
「……頼むから、次は普通の仕事寄越せ」
ベルトは何も答えなかった。
(答えろよ)
俺はため息を吐いて、扉を押した。




