第116話「アップグレード」
轟音と共に、レオルドの身体が建物へ叩き込まれた。
石壁が砕け、二階部分までまとめて崩れ落ちる。
広場が、静まり返った。
誰もが見ていた。
先頭で斬り込んだレオルドの全力。
王国最強と呼ばれる男の渾身の一撃が、あの竜にはほとんど通じなかった。
そしてそのレオルドが、たった一撃で吹き飛ばされた。
竜は何事もなかったかのように、ゆっくりと首を巡らせる。
赤い瞳が、地上の人間たちを見下ろした。
その視線だけで、背筋が凍る。
「……総員迎撃!!」
最初に動いたのはヴォルクハルトだった。
大剣を振り上げ、真正面から竜へ突っ込む。
「グレゴール! 足を止めろ!」
「イルゼ! 視界を奪え!」
「ライナー、左右を回せ! ベルグは好きに暴れろ!!」
「言われなくてもそうする!!」
ベルグが吠えた。
次の瞬間、団長たちが一斉に飛び出す。
ヴォルクハルトの大剣が、竜の前脚へ叩き込まれる。
凄まじい衝撃音。
だが、砕けたのは石畳の方だった。
竜の巨体が、わずかに揺れる。
同時にグレゴールが下から踏み込み、竜の脚へ重い一撃を叩き込む。
ベルグは笑いながら側面へ飛びつき、拳で鱗へ衝撃を通す。
「がははっ!! デカけりゃいいってもんじゃねえぞ!!」
だが、どれも致命打には程遠い。
鱗の表面で火花が散るだけ。
足を止めることはできても、傷らしい傷にはならない。
ライナーは第三の騎士たちへ怒鳴った。
「右翼側へ回れ! 足を止めろ! 正面に立つな!!」
イルゼの魔法が夜空へ広がる。
無数の光槍。
氷槍。
拘束の鎖。
第四騎士団の魔法が一斉に竜へ降り注ぐ。
だが――
「……駄目、効いてない!!」
イルゼが顔を歪めた。
光槍は弾かれ、氷槍は鱗の表面で砕け、拘束の鎖も一息で千切られる。
竜は鬱陶しそうに翼を振った。
その一振りだけで暴風が生まれ、騎士たちがまとめて吹き飛ばされた。
「ぐあっ!!」
「くっ……!」
さらに尾が唸る。
石畳を抉りながら横薙ぎに払われたそれを、グレゴールが大盾で受ける。
だが威力を殺しきれず、ライナーごと後方へ弾かれた。
ベルグが吠えながら飛び込む。
「おらぁっ!!」
拳を竜の顎へ叩き込む。
首が、ほんのわずかに揺れる。
だが次の瞬間、前脚が振り下ろされ、ベルグの巨体が広場の端まで吹き飛んだ。
「団長!!」
第五の騎士たちの悲鳴が上がる。
それでも竜は、まだ本気ですらなかった。
*
「……厄介だな」
黒焔を纏ったユウヤが、竜の側面を睨む。
「ならば、この黒焔で喰らい尽くしてくれよう」
地面を蹴る。
漆黒のコートを翻し、竜の胴へ飛び込む。
「漆黒ブレイブパンチ!!」
拳が鱗へめり込む。
黒焔が爆ぜる。
熱に焼かれた表面が黒く焦げる。
さらに蹴り。
肘。
回し蹴り。
竜の首筋、腹部、翼の付け根へと黒焔を叩き込んでいく。
黒焔は確かに消えずに残っている。
鱗を焼き、煙を上げさせ、竜の動きにわずかな苛立ちを生む。
だが――
「……我の漆黒の炎が効いていない」
浅い。
黒焔は表面を舐めるだけで、致命へ至らない。
焼けた箇所も、次の瞬間には内側から何かが蠢き、元へ戻っていく。
再生以前に、深く通っていない。
ユウヤの表情が険しくなる。
「このままでは……」
竜の尾が再び唸る。
ユウヤは跳んでかわす。
だが衝撃波だけで背後の建物が吹き飛んだ。
悲鳴が上がる。
瓦礫が降る。
騎士たちが市民を庇って倒れていく。
ユウヤは歯を食いしばった。
「……仕方あるまい」
このままじゃ駄目だ。
今の漆黒勇装では、届かない。
ならば――
ユウヤは腰のベルトへ手を当てた。
「我の新たなる力を見せてくれよう! アップグレード!!」
直後、ベルトが淡く発光する。
『アップグレードを開始します』
一瞬、ユウヤの表情が緩む。
だが、次の表示を見て固まった。
『予想所要時間:10分』
「……なに?」
『安全なアップグレードのため必要です』
「十分だと!? 長すぎる!! 先に告げよ!!」
『聞かれませんでした』
「そこは気を利かせぬか!!」
その叫びに、すぐ近くで竜と斬り結んでいたヴォルクハルトが振り向く。
「何だ!? 何か手があるのか!!」
ユウヤは黒焔を揺らしながら怒鳴り返した。
「あるにはある!! だが、十分必要だ!!」
周囲の騎士たちが一瞬絶句した。
「十、分……?」
「長すぎるだろ……!」
ライナーが血を拭いながら叫ぶ。
「何をするつもりだ!?」
「補償はできぬが、手はある!! だから――」
ユウヤは竜を睨む。
「十分だけ耐えるのだ!!」
数秒。
その場の誰もが、息を呑んだ。
ベルグが、口元の血を拭いながら笑う。
「がははっ!! お前ら聞いたか!!」
拳を振り上げ、第五の騎士たちへ吠えた。
「俺たちのボスの命令だ!! 死ぬ気で十分稼ぐぞ!!」
「「おおおおおっ!!」」
グレゴールが盾を構える。
「やるしかないか……!」
イルゼは折れかけた杖を握り直した。
「十分ね……ほんと無茶言うわ……!」
ライナーは歯を食いしばる。
「だが、他に勝ち筋はない……!」
ヴォルクハルトは短く息を吐いた。
「総員、時間稼ぎだ!!」
大剣を構え直す。
「帝国を守れ!! ここで退けば全て終わる!!」
*
そこからは、まさに総力戦だった。
ヴォルクハルトが先陣を切って竜の攻撃を逸らしていく。
グレゴールが第二騎士団を率い、大盾を使って足止めに徹した。
盾を連ね、突進を受け、命懸けで巨体の動きを鈍らせる。
ベルグは笑いながら真正面から殴り合う。
吹き飛ばされても立ち上がり、また飛び込む。
「まだだ!! このクソデカトカゲぇ!!」
ライナーは第三を広く散らし、竜の動きを読み切って指示を飛ばす。
「左から来るぞ!!」
「広場を空けろ! 建物に寄せるな!!」
イルゼは第四を率い、支援魔法と障壁を休みなく展開する。
拘束、減速、視界妨害、退路確保。
集中力と魔力を振り絞る。
副団長たちも走り回る。
ザックが第五をまとめ、クラウスが第一の再編を手伝い、各隊を繋ぐ。
そして――
崩れた建物の瓦礫の中から、レオルドが立ち上がった。
口元から血を流しながらも、剣を握り直す。
「……まだ、終わっていません」
ライナーが目を見開く。
「レオルド!!」
「申し訳ありません。少しだけ、寝てしまってました」
「軽口叩けるならまだ動けるな!?」
「もちろんです。よく眠れましたので」
次の瞬間には、緑の閃光が再び竜の周囲を駆けていた。
今度は深追いしない。
首、翼、脚、視界。
傷をつけることより、注意を逸らし、時間を奪うことに徹する。
竜はまたレオルドを執拗に狙おうと動く。
一方のユウヤも、アップグレードを開始したまま戦線を離れてはいない。
『アップグレード進行中』
そんな表示が出ていようが、竜は待ってくれない。
「くっ……!」
黒焔でブレスの軌道を逸らし、騎士を庇い、倒れた者を退かせる。
黒焔は相変わらず竜の表面を舐めるだけで、決定打にはならない。
だが、今はそれでいい。
時間だ。
一秒でも長く、生き延びる。
『残り8分』
まだ長い。
竜が翼を振るう。
広場の端の建物が吹き飛ぶ。
騎士たちが壁ごと地面を転がった。
『残り6分』
ベルグが膝をつき、グレゴールの盾が割れた。
イルゼの障壁も、もう一枚張るごとに色が薄くなっていく。
『残り5分』
レオルドの肩から血が流れ、ライナーの頬が裂ける。
ヴォルクハルトの鎧にも、深い爪痕が刻まれていた。
『残り3分』
広場は半壊していた。
石畳はめくれ上がり、建物は崩れ、燃え上がる瓦礫が夜空を焦がす。
騎士たちが次々に倒れる。
それでも誰も退かない。
「まだだ!!」
「抑えろ!!」
「時間を稼げ!!」
叫び声だけが、帝都に響く。
『残り1分』
もう限界だった。
グレゴールが片膝をつく。
ベルグは血だらけで笑っている。
イルゼの杖は半分焦げ、ライナーの呼吸は荒い。
レオルドでさえ、膝をつきかけていた。
ヴォルクハルトだけが、なお前に立つ。
だが、その背も大きく消耗している。
そして竜が、再び喉を光らせた。
赤黒い光が膨れ上がる。
ブレスだ。
全員がそれを見た。
もう障壁は持たない。
今度こそ止められない。
広場の空気が、絶望で凍りつく。
その瞬間だった。
カン。
乾いた音が、ユウヤの腰から響いた。
『アップグレード準備完了』
ユウヤの目が開く。
さらに、表示が切り替わる。
『警告』
『本アップグレードは従来の仕様と異なります』
『現在の漆黒勇装は削除されます』
『名乗りが変更されます』
『必殺技が変更されます』
『ヒーローポイントシステムが変更されます』
『アップグレードしますか?』
『YES/NO』
ユウヤは顔を上げた。
目の前では、竜の咆哮が膨れ上がっている。
騎士たちはもう立つのがやっとだった。
それでも。
ユウヤの口元が、わずかに吊り上がる。
「……ようやくか」
黒焔が、広がる。
「問うまでもない」
右手をベルトへ叩きつける。
「YESに決まっているだろう!!」
『新システムへ移行します』
次の瞬間。
眩い光が、ユウヤの全身を包み込んだ。




