第115話「災厄」
巨大な影が、広場へ落ちた。
次の瞬間。
轟音。
地面が跳ねた。
石畳が割れ、衝撃波が四方へ走る。
広場を囲む建物の窓が一斉に砕け、市民たちの悲鳴が夜へ突き刺さった。
「きゃああああっ!!」
「逃げろ!!」
「何が起きてんだ!!」
土煙が噴き上がる。
帝都全体が揺れたような感覚だった。
立っていた騎士たちですら、衝撃に膝を折りかける。
ユウヤは黒焔を揺らしながら、目の前の砂煙を睨んだ。
「……何だ、今のは」
重い。
土煙の向こうから、ただならぬ圧が押し寄せてくる。
風ではない。
魔力でもない。
もっと生理的に嫌悪感を抱かせる、濁った何か。
やがて。
砂煙の奥で、二つの赤い光が灯った。
騎士の一人が息を呑む。
「目……?」
次の瞬間、巨大な翼が土煙を吹き払った。
現れたのは、竜だった。
黒紫の鱗。
広場を覆い尽くすような巨体。
建物よりなお高く伸びる首。
赤く濁った瞳。
吐息ひとつで空気が震え、地面へ瘴気が染み出していく。
ただ、そこにいるだけで息が詰まった。
騎士も、市民も、誰もが言葉を失う。
「な……」
ヴォルクハルトが広場へ駆け込み、その姿を見た瞬間、顔色を変えた。
「なぜドラゴンが、こんな所にいる……」
後方から、グレゴール、ライナー、イルゼ、ベルグも集まってくる。
別地点で戦っていた騎士たちも、異変を感じ取って広場へ流れ込んでいた。
レオルドもまた広場へ姿を現す。
全員の視線が、竜へ釘付けになる。
その時だった。
「あなた方は、先代の魔王と勇者の戦いを知っていますか?」
白衣の男――メルキオが、竜の前へ歩み出た。
まるで自分の作品でも披露するような口ぶりだった。
ヴォルクハルトが目を細める。
「……当然だ」
低い声が落ちる。
「先代勇者は、人類史上最強と呼ばれた存在だ。あらゆる魔を討ち、最後には自らの命を賭して、世界を滅ぼしかけた魔王を倒した」
広場が静まり返る。
騎士たちの顔が青ざめていく。
ベルグが唾を吐き捨てるように呟いた。
「おいおい……まさかとは思うが……」
メルキオは、穏やかに微笑んだ。
「ええ。蛇架はその遺骸を、かなり前から回収していました」
その一言で、空気が変わる。
「魔人化薬。魔王因子。核形成の研究。全ては、この復活研究へ繋がっていたのです」
ユウヤの黒焔が揺れる。
「……つまり、最初からこれが狙いだったってことか」
「ええ」
メルキオは頷いた。
「ガレスの核を用い、不完全ながら先代魔王の復活体を完成させました。もちろん、核が不十分ですので全盛期には遠く及びません」
そこまで言って、メルキオは竜を見上げた。
「ですが――世界を滅ぼす程度なら十分でしょう」
周囲の騎士たちが息を呑む。
イルゼの顔から血の気が引いた。
「冗談じゃ……」
グレゴールが歯を食いしばる。
「こんなものを何故帝都に……!」
メルキオは淡々と続けた。
「本来は魔人の選別が終わった後、残った人類を滅ぼすために投入する予定でした。ですが、あなた方が想定以上に邪魔をしたもので」
その視線が、ユウヤとレオルドへ向いた。
「予定を早めました」
レオルドの表情が険しくなる。
ヴォルクハルトも、大剣の柄を強く握った。
その中で、ひとりだけ。
ユウヤが前へ出る。
黒焔を揺らしながら、竜を見上げる。
「……要するに、あの禍々しき巨竜を消し炭にすれば良いのだろう?」
メルキオが初めて、少しだけ笑った。
「出来るものなら」
次の瞬間。
竜の赤い瞳が、ぎろりと動いた。
視線の先にいたのは――レオルドだった。
本能。
あるいは記憶。
先代勇者に討たれた魔王の残滓が、レオルドの中にある“勇者の血”を感じ取ったのだろう。
竜がゆっくりと口を開く。
喉の奥で、赤黒い光が膨れ上がっていく。
ヴォルクハルトの表情が変わった。
「レオルド!!」
遅い。
次の瞬間、光が解き放たれた。
轟ッ――!!
一直線のブレス。
熱と瘴気を混ぜたような、赤黒い奔流が空間そのものを焼きながらレオルドへ襲いかかる。
レオルドは即座に前へ出た。
緑の闘気が全身を包む。
「風よ!!」
両腕の前へ風魔法を叩きつける。
圧縮された風が壁のように立ち上がり、ブレスへぶつかる。
だが、止まらない。
勢いすら鈍らない。
「なっ……!?」
レオルドの目が見開かれる。
ヴォルクハルトが怒鳴った。
「 急げ!! 魔法を使える者は総動員で障壁を張れ!!」
イルゼが即座に反応する。
「全員、魔力障壁展開!! 重ねなさい!!」
第四の魔法騎士たちが一斉に杖を掲げた。
さらに第一、第三、第五の中で魔法を扱える者まで前へ出る。
幾重もの障壁が、レオルドの前へ展開された。
ブレスが直撃する。
轟音。
障壁が勢いよく十枚、二十枚と砕け散る。
火花と瘴気が広場を舐め、周囲の建物を吹き飛ばす。
なんとか止めた。
本当に、ギリギリで。
だが、その代償は大きかった。
広場周辺の建物が半壊し、衝撃だけで通りの石畳がめくれ上がる。
騎士たちが何人も吹き飛び、魔力を絞り出した魔法騎士たちがその場へ膝をついた。
イルゼが息を荒げる。
「こんなの……反則でしょ……!」
ユウヤの黒焔が揺らぐ。
「……凄まじい力だ」
それでも。
止めるしかなかった。
ヴォルクハルトが大剣を構える。
「総員、迎撃準備!!」
グレゴールが前へ出る。
ベルグが笑いながら拳を鳴らす。
ライナーが剣先を上げる。
レオルドは口元の血を拭い、竜を睨んだ。
「では、行きます」
次の瞬間。
緑の闘気が爆発した。
本気だった。
今までとは比べ物にならないほど濃い緑のオーラが、レオルドの全身を包む。
空気が裂ける。
レオルドの姿が消えた。
一瞬後には、もう竜の首元まで踏み込んでいる。
「はあああああっ!!」
全力の斬撃。
緑の閃光が、竜の鱗を断ち切ろうと叩きつけられる。
高い金属音のような音が響いた。
レオルドが目を見開く。
鱗の表面を浅く裂いたに過ぎなかった。
「……ッ!?」
その瞬間。
長大な尾が、視界を埋めた。
速い。
空中では避け切れない。
レオルドは即座に剣を両手で構え、防御姿勢を取る。
だが――
轟音。
尾の一撃が、剣ごとレオルドを吹き飛ばした。
緑の光が、夜空を弾ける。
そのまま数十メートル先の建物へ激突。
建物の壁が砕け、レオルドの身体ごと崩れ落ちる。
「レオルド!!」
ユウヤの叫びが響いた。
広場が凍りつく。
先頭で斬り込んだ最強の一撃が、ほとんど通じなかった。
その事実だけで、騎士たちの顔から色が消える。
そして竜は、何事もなかったかのようにゆっくりと首を巡らせた。
赤い瞳が、次の獲物を探していた。




