第111話「束の間」
演習の後始末は、予想以上に長引いていた。
暴走した騎士たちは全員拘束。
薬の使用者は隔離。
事情聴取、被害報告、残っていた薬の回収。
訓練どころではない。
兵舎は、どこも重苦しい空気に包まれていた。
当然、見習いたちの訓練も全面中止になった。
そんな中。
ユウヤとレオルドは、騎士団本部を出てアルヴェルトのいる酒場へ向かっていた。
「今日くらい一日中寝ようかと思ってたのによ……」
ユウヤがぼやく。
その横で、レオルドはいつも通り真面目な顔をしていた。
「仕方ありません……ユウヤが色々とやらかしましたから」
「……てめえもだろうが」
「ユウヤの方が目立ってたでしょうに……」
「お前が原因でバレたんじゃねえか!」
レオルドは少しだけ考えた。
「……恐らく、私は悪くありません」
「……ダメだこりゃ」
やがて二人は、帝都の外れにある酒場へ辿り着いた。
扉を開く。
昼を過ぎた店内はそこそこ賑わっていたが、奥のカウンターではアルヴェルトが腕を組んで立っていた。
二人の姿を見るなり、アルヴェルトは大きく息を吐く。
「やっと来たね」
「忙しかったんだよ」
「顔を見れば分かるよ。相当面倒なことになってそうだ」
アルヴェルトは二人を奥の席へ座らせた。
「それで?」
真顔になって続ける。
「騎士団はどうだったんだい?」
レオルドが真顔で答えた。
「正体がバレました」
アルヴェルトが固まる。
「……えっ?」
「騎士団長達に知られています」
「えっ??」
「私達がレグナで追われる身になっていることも」
「えっ???」
アルヴェルトの動きが止まる。
数秒。
完全停止。
そして勢いよく立ち上がった。
「待って待って待って!」
「何があったんだい!? 君たち、数日前に見習い騎士になったばかりだよね!?」
ユウヤも頷く。
「そうなんだよな……」
「そうなんだよな……じゃないよ!」
レオルドはさらに続けた。
「あとユウヤは第五騎士団のボスになりました」
沈黙。
「……ん?」
アルヴェルトが聞き返す。
「第五騎士団のボスです」
さらに沈黙。
「ごめん」
アルヴェルトが額を押さえた。
「ちょっと何を言ってるのか分からないんだけど」
「安心しろ」
ユウヤが真顔で言う。
「俺も分からん」
アルヴェルトはしばらく天井を見つめ、それから深くため息を吐いた。
「……分かった。とりあえず順番に話してくれるかい」
そこから、ユウヤはこれまでの出来事をまとめて話した。
大規模演習。
ヴァンデル商会。
帝都外れの集落。
地下研究施設。
蛇架第十席ガレス。
回収した研究資料。
そして――魔人化薬。
話が進むにつれて、アルヴェルトの顔から呆れが消えていく。
「魔王の血を加工して薬にしていた、だって……?」
「ああ」
ユウヤが頷く。
「しかも、投与開始から三十日前後で完全魔人化だとよ」
レオルドも静かに続けた。
「既にかなりの人数が服用している以上、残された時間はほとんどありません」
アルヴェルトは無言で額を押さえた。
「蛇架の連中の狙いは、レグナだけじゃなかったってことだね……」
「だろうな」
ユウヤは椅子へもたれかかる。
「騎士団の中も今はぐちゃぐちゃだ。しばらくは演習も訓練も中止らしい」
アルヴェルトは二人を見た。
「で、君たちは?」
「しばらく自由だ」
ユウヤが言う。
「正確には、自由に見えて面倒事待ちだな」
「それを自由とは言わないよ」
アルヴェルトが呆れたように返した、その時だった。
入口の扉が開いた。
「やっほー」
明るい声と共に入ってきたのは、カレンだった。
軽い足取りで店内に入ってきたかと思うと、すぐにレオルドを見つけて目を輝かせる。
「あ、レオルドくんいるじゃん。ラッキー」
その瞬間、レオルドの背筋が妙に伸びる。
「カレンさん」
カレンはそのまま席の近くまで来ると、レオルドを見下ろしてにっと笑った。
「今ヒマ? ちょい付き合ってよ」
ユウヤがぴくりと眉を動かす。
レオルドは一瞬固まったあと、真顔で聞き返した。
「前回に続き、デートのお誘いという解釈でよろしいでしょうか」
「何その堅い言い方。ウケるんだけど」
カレンは肩を揺らして笑う。
「ただの買い物だし。でも一人で行くのダルいし、レオルドくんいたからちょうどいいなーって」
レオルドの表情が、ほんの少しだけ分かりやすく明るくなった。
本人は隠しているつもりだった。
全く隠せていなかった。
「なるほど。では、ご一緒します」
「うん、素直で助かる」
「お前、嬉しそうすぎんだろ……」
ユウヤが呆れたように言う。
カレンはレオルドの腕を軽く引く。
「じゃ、行こっか」
「はい」
そのまま二人は酒場を出ていった。
しばらく沈黙。
ユウヤは扉の方を見たまま、小さく呟く。
「……あいつ、今ので三日は機嫌いいだろ」
アルヴェルトが苦笑する。
「単純だからね」
その時だった。
カウンターの奥から、低くよく通る女の声が飛んだ。
「アルー! そろそろ開店準備するわよ」
ユウヤが振り向く。
そこに立っていたのは、この酒場の店主ミレナだった。
腕まくりしたまま、いかにも忙しそうな顔でこちらを見ている。
「ついでにあなたも手伝って」
「は?」
ユウヤが間抜けな声を出す。
ミレナは容赦なく続けた。
「いいじゃない。暇そうだし」
「いや、俺は報告に来ただけで――」
「ご飯も付けるわよ?」
ユウヤは騎士団で出されるまずい食事に我慢の限界だった。
「……食う」
「じゃあ働きなさい」
理不尽だった。
ユウヤは露骨に顔をしかめる。
「何で俺だけこんな目に……」
「カレンが金髪のバイトの子を連れて行っちゃったし」
「レオルド、バイト扱いなのかよ……」
アルヴェルトが横で肩をすくめる。
「まあ、頑張って」
「他人事みてえに言いやがって……!」
だが、結局断れなかった。
数分後。
ユウヤはエプロンを着せられ、配膳用の盆を持たされていた。
「はい、二番テーブルに酒三つ!」
「三番、皿下げて!」
「そっちの料理、早く運んで!」
「何で俺が酒場の手伝いなんか……!」
「口より手を動かしなさい!」
「くそっ……!」
ユウヤは不機嫌そのものの顔で酒を運ぶ。
客の一人が顔を上げる。
「おっ、新人か?」
「違う」
「愛想わりぃな!」
「元々だ」
別の席では皿を下げろと呼ばれ、さらに奥では料理まで運ばされる。
完全に雑用だった。
ミレナはそんなユウヤを見て、少しだけ口元を上げる。
「アンタ、意外と動けるじゃない」
「一応、店持ってるからな……」
ブレイブ亭のことが頭をよぎる。
「あいつら無事に生きてるよな……」
そんなことを考えながら、ユウヤは働いた。
ほんの少し前まで、帝国の裏で魔人化薬の研究施設が動いていた。
騎士団の中では、まだ混乱が続いている。
それでも今この瞬間だけは、妙に平和だった。
だが――
その夜。
帝都郊外の隔離施設では、別の異変が起きていた。
石造りの廊下。
鉄格子。
拘束具。
薬を服用し、暴走した騎士たちが隔離されている病棟。
見張りの騎士が、重い扉の前で小さくあくびを噛み殺した。
その時。
奥の独房から、妙な音が聞こえた。
ガリ。
ガリガリ。
何かを引っ掻くような音。
見張りの騎士が顔をしかめる。
「おい……何だ?」
返事はない。
ただ、暗闇の中で何かが動いた。
次の瞬間。
鉄格子の隙間から伸びた腕が、見張りの首を掴んだ。
「がっ!?」
紫色の血管が浮き出た腕。
人間のものとは思えない力。
騎士は為す術もなく鉄格子へ叩きつけられた。
警鐘が鳴るより早く、奥の独房でも次々に音が響く。
鎖が軋む。
鉄が歪む。
呻き声が重なる。
そして――
最初の鉄格子が、内側から引き裂かれた。
夜の隔離施設に、悲鳴が響いた。
暗闇の奥で、赤い目が開いた。




