第110話「魔人化薬」
救出した人々を騎士団へ預けた後。
ユウヤはそのまま、第一騎士団本部にあるヴォルクハルトの執務室へ向かった。
扉を開くと、ヴォルクハルトは机の上の書類へ目を落としていた。
「戻ったか」
「ああ」
ユウヤは短く答え、椅子へ腰を下ろす。
そして、懐から回収した資料の束を取り出した。
だが、その前に。
「まず報告だ」
ヴォルクハルトが顔を上げる。
ユウヤは昨夜の出来事を順番に話した。
ヴァンデル商会。
裏口から出た荷馬車。
帝都の外れにあった集落。
地下研究施設。
捕らわれていた人々。
そして。
商人の正体。
「蛇架第十席ガレス、か」
ヴォルクハルトが低く呟く。
「まさか、レグナ王国だけでなく、ヴァルディア帝国にも潜んでいたとは……」
ユウヤは腕を組んだ。
「たぶん、レグナに戦争を仕掛けようとしてるのも蛇架の戦略の一部だ」
ヴォルクハルトは重く頷く。
「あり得るな」
そして視線が机の上へ落ちる。
「それで?」
「その資料だ」
ユウヤは頷いた。
「あの研究所からかっぱらってきた」
資料の束を机へ置く。
かなりの量だった。
研究記録。
経過観察。
投薬実験。
様々な書類が乱雑に混ざっている。
ヴォルクハルトは無言で最初の一枚を手に取った。
ユウヤも隣から覗き込む。
数分。
紙をめくる音だけが響く。
やがて。
ヴォルクハルトの手が止まった。
『研究報告書 第三十四号』
『魔人化薬の完成について』
その文字が目に入る。
ユウヤも眉をひそめた。
「魔人化薬?」
ヴォルクハルトは続きを読む。
「先代魔王遺体より採取した魔王の血液成分、及び今代魔王由来サンプルの研究により、魔人化薬の実用化に成功した」
部屋が静まる。
ユウヤの顔が引きつった。
「……魔王の血で作ってんのかよ」
ヴォルクハルトも眉をひそめたまま読み進める。
「本薬品は、魔王の血を加工・希釈することで瘴気適応を促進し、服用者の闘気及び魔力を大幅に増幅する」
「同時に肉体へ瘴気適応を進行させ、最終目的は完全魔人化である」
ユウヤは舌打ちした。
「やっぱりそうかよ……」
「強化薬などではない」
ヴォルクハルトが低く言う。
「最初から、人を魔人へ変えるための薬だったということだな」
さらにページをめくる。
そこには適応条件について記されていた。
「魔力が低い者」
「闘気を扱えない者」
「肉体強度が不足する者」
「これらは魔王因子へ適応できず、肉体崩壊に至る」
ユウヤはレグナや地下で見た異形を思い出した。
腕が溶けていた男。
身体が膨れ上がっていた女。
檻の中で呻いていた、半ば魔人のようなもの。
「あいつらか」
「恐らくな」
ヴォルクハルトも頷く。
さらに資料を読む。
「適応個体には核の形成を確認」
「核形成後は高確率で完全魔人化へ移行」
「核?」
ユウヤが首を傾げる。
ヴォルクハルトは次の行へ目を落とした。
「核のみを破壊した場合、魔人化解除の可能性を確認」
「ただし、精神障害、肉体損傷、依存症状等の後遺症が残る場合あり」
沈黙。
ヴォルクハルトが呟く。
「戻すこと自体は可能なのか」
「完全に元通りってわけじゃなさそうだけどな」
ユウヤは肩を竦めた。
だが、救いが全く無いわけではない。
それだけは分かった。
さらに別の資料を開く。
今度は観察記録だった。
『今代魔王観察記録』
そのタイトルに、二人の視線が止まる。
しばらく読み進める。
やがて。
同じ箇所で手が止まった。
『これまで確認された魔王個体は全て魔物種である』
『人間への魔王発現は史上初』
静寂。
ユウヤは資料を見つめた。
「……人間?」
見間違いではない。
確かにそう書いてある。
ヴォルクハルトも黙っていた。
さらに下へ目を落とす。
『人間個体であるため、長期観察及び各種実験が可能』
その一文を読んだ瞬間。
部屋の空気が重くなった。
「魔王は……人間だったのか」
ユウヤが呟く。
「らしいな」
ヴォルクハルトも短く答える。
「魔王と勇者は百年ごとに現れる、という話は聞いたことがある。だが、人間が魔王になったという話は聞いたことがない」
今まで現れた魔王は全て魔物。
それが常識だった。
だが今回は違う。
資料には確かにそう書かれていた。
ユウヤは腕を組む。
「しかも蛇架はそれを研究してる」
「ああ」
ヴォルクハルトの表情が険しくなる。
「想像以上に研究が進んでいる」
さらにページをめくる。
そして。
二人の視線が止まった。
『投与開始から三十日前後で完全魔人化を確認』
沈黙。
数秒。
誰も口を開かなかった。
ユウヤが先に声を出す。
「一ヶ月か」
ヴォルクハルトは資料を閉じた。
重い音が執務室へ響く。
「薬の使用者は全員隔離する」
即断だった。
「残っている薬も回収だ」
「間に合うか?」
ユウヤが聞く。
ヴォルクハルトは窓の外を見る。
「間に合わせる」
短い返事だった。
だが、その声には迷いがなかった。
一ヶ月。
残された時間は、あまりにも短かった。




