第108話「誰も探さない」
夜。
帝都中央区の裏路地は、昼間とは別世界のように静まり返っていた。
表通りの喧騒も、ここまでは届かない。
積み上げられた木箱。
湿った石畳。
鼻につく排水の臭い。
その木箱の陰へ身を潜めながら、ユウヤは深いため息を吐いた。
「……長ぇ」
もうかなり待っている。
だが、ヴァンデル商会の裏口は一向に動く気配がない。
時折、使用人らしき人影が出入りする程度。
薬を運び出している様子も無ければ、怪しい動きも見えなかった。
「マジでいつまで待たせんだよ……」
足も痺れてきた。
しかも、見習い騎士の格好のまま何時間も裏路地へ居座っている時点で、十分怪しい。
ユウヤは空を見上げ、小さくぼやく。
「……タバコ吸いてぇ」
当然、この世界に煙草は無い。
だから吸えない。
余計に吸いたくなった。
「くそ……張り込みとか刑事ドラマじゃねえんだぞ……」
その時だった。
――ギィ。
裏口が、ゆっくり開いた。
ユウヤの目つきが変わる。
出てきたのは、昼間の商人だった。
だが、昼とは空気が違う。
柔らかな笑みは消え、目だけが妙に冷たい。
その後ろから、数人の男たちが木箱を運び出してきた。
かなり大きい。
しかも重そうだ。
「丁寧に扱ってください」
商人が静かに言う。
「今回はまだ貴重な検体ですので」
「へいへい」
護衛らしき男が乱暴に返した。
その瞬間。
――コン。
木箱の中から、小さな音がした。
ユウヤの目が細まる。
さらに。
「……ぁ……」
微かな呻き声。
(おいおい……)
人間か。
護衛たちは気にした様子もない。
慣れている。
木箱は次々に荷馬車へ積み込まれていく。
最後の箱を載せ終えると、商人は静かに荷台へ乗った。
「出します」
馬車がゆっくり動き始める。
ユウヤは気配を殺したまま、その後を追った。
*
馬車は帝都を抜けた。
人気の少ない裏道ばかりを選び、街道からも外れていく。
完全に人目を避けている。
「障害物が全然ねえ……バレてねえよな……」
ユウヤは小さく呟く。
だが、足は止めない。
やがて。
馬車は帝都からかなり離れた場所へ辿り着いた。
そこにあったのは、小さな集落だった。
だが――妙だった。
灯りはある。
建物も残っている。
なのに、人の気配が薄い。
静かすぎる。
まさにゾンビゲームの村みたいな雰囲気だ。
「……薄気味悪ぃな」
馬車は集落の奥へ進み、一番大きな建物の前で止まった。
男たちが木箱を運び込んでいく。
ユウヤも屋根の上を移動しながら、静かに近づいた。
窓の隙間から中を覗く。
地下へ続く階段。
護衛。
そして。
「ぎ……ぁ……」
苦しそうな呻き声。
ユウヤの目が鋭くなる。
「地下か……」
数秒だけ周囲を確認し、音も無く建物の裏へ回る。
窓。
裏口。
警備。
視線を走らせ、最も人の薄い場所を見つける。
「……よし」
静かに侵入した。
*
地下へ降りた瞬間。
鼻を刺すような臭気が広がった。
血。
薬品。
腐臭。
そして――瘴気。
「っ……」
ユウヤが顔をしかめる。
地下室には、何人もの人間が転がされていた。
痩せ細った男。
鎖で拘束された女。
まだ子供にしか見えない者。
咳き込み続ける老人。
全員、薄汚れている。
まともな服すら着ていない。
中には、ボロボロになった騎士制服の切れ端を纏った男までいた。
紫色の血管が皮膚へ浮かび、身体の一部が異形化している。
「こっちはもう駄目だな」
白衣姿の男が、転がっていた異形を無造作に蹴った。
「外へ捨ててこい」
「またかよ……」
護衛の男が嫌そうに顔をしかめる。
「帝都近くに捨てるなよ。騒ぎになる」
「へいへい」
護衛たちは慣れた様子で、異形の腕を掴んだ。
もう人間には見えなかった。
それをまるで荷物みたいに引きずっていく。
別の檻では、老人が震えながら壁際へ縮こまっていた。
「た、助けてくれ……あんなの人の死に方じゃねえ……」
その隣では、痩せた子供が虚ろな目で天井を見つめている。
ユウヤの目つきが変わる。
奥では白衣姿の男たちが、平然と記録を書いていた。
「19番は三日で発狂」
「こっちの騎士崩れは適応率が高いですね」
「若年個体は瘴気耐性が低すぎるか」
まるで家畜だ。
人間として扱っていない。
白衣の男が薄く笑う。
「やっぱり、身寄りの無い者は便利だな」
ペンを走らせながら続ける。
「落ちぶれた元騎士、スラムの浮浪者、孤児……誰も探さない」
「消えても騒ぎにならない人間というのは、本当に便利です」
「騎士個体はデータが取りやすいですねぇ。元々鍛えられていますし」
「発狂後の戦闘力も高い」
淡々としていた。
命を扱っている感覚すらない。
ユウヤの拳が、ゆっくり握られる。
「……クズが」
低い声だった。
その瞬間。
ベルトが鳴る。
『観測されました』
「勝手に覗き見るのは感心しませんよ」
後ろから、声。
地下室の空気が変わった。
ユウヤがゆっくり振り返る。
そこには。
昼間の商人が立っていた。
柔らかな笑み。
だが、その目はまるで笑っていない。
その背後には、護衛たち。
さらに。
地下の奥から、異形の影まで現れた。
紫色の闘気を漏らしながら、理性を失った男が呻いている。
商人は昼間と同じ営業用の笑みを浮かべたまま、軽く肩を竦めた
「まさか、見習い騎士の方がこんな所まで着いてくるとは思いませんでした」
軽い口調だった。
まるで世間話でもしているみたいに。
「普通なら薬を買って帰って終わりなんですが」
ユウヤは小さく息を吐く。
「そりゃどうも」
商人はゆっくり一礼した。
「改めまして」
その瞬間。
地下室の空気が変わる。
瘴気が、ゆっくりと満ちていく。
「蛇架第十席――ガレスと申します」
ガレスは笑ったまま続けた。
「はぁ……まったく、本当に困りますよ」
疲れた商人みたいに肩を落とす。
「仕事が増えたじゃないですか」
そして、後ろへ下がりながら護衛たちへ視線を向けた。
「では、処理してください」
まるで、荷物処理でも頼むような口調だった。




