第107話「潜入調査」
翌日。
帝都中央区。
巨大な石造りの建物を見上げながら、ユウヤは小さく息を吐いた。
「……思ったよりデカいな」
ヴァンデル商会。
急速に勢力を伸ばしている帝国有数の商会だ。
昨日の演習の件もあって、本来なら騎士団が正式に踏み込んでもおかしくない。
だが、今の騎士団にはそんな余裕がなかった。
演習で暴走した騎士たちへの事情聴取。
負傷者への対応。
被害報告。
薬の使用者の洗い出し。
特に第二、第三、第四は完全に混乱状態だった。
暴走した騎士たちの中には、正気へ戻った後に泣き崩れる者までいる。
記憶が曖昧な者も多く、事情聴取だけでも地獄らしい。
団長たちも後処理に追われ、ほとんど身動きが取れなかった。
そして、何より厄介なのは、国の上とこの商会が繋がっていることだった。
その結果――比較的自由に動ける見習いであるユウヤへ、調査役が回ってきた。
「……まあ、こうなるとは思ってたわ」
ぼやきながら、ユウヤは商会の入口へ向かう。
『第五騎士団所属見習い騎士ヒムロ』
しかもユウヤは、闘気も魔力もほとんど無い。
見た目だけなら、薬に縋りたがる半端者にしか見えない。
レオルドは、見る奴が見れば強者だと分かってしまう。
というより、余計なことを言ってボロを出しそうだから置いてきた。
ユウヤは深呼吸をして、店の扉を開いた。
*
店内は広かった。
魔導具。
薬品。
香料。
さらには上流階級向けらしい装飾品まで並んでいる。
普通の商会より、明らかに品揃えが良い。
以前、アルヴェルトからは、表向きは香辛料と薬草を扱う中堅商会だと聞いていたが――とてもそうは見えなかった。
「いらっしゃいませ」
奥から、一人の男が歩いてくる。
細身。
整えられた黒髪。
柔らかな笑み。
一見すると、ただの感じの良い商人だった。
だが、ユウヤはその瞬間、ほんの少しだけ目を細めた。
――何か嫌な感じがする。
言葉にするのは難しい。
だが、どこかざらつくような違和感があった。
男は笑みを崩さないまま、ユウヤを見た。
「ふむ……騎士見習いの方ですか?」
「そうだが……何で分かるんだ?」
「最近は騎士見習いの方がよく来られるんですよ。初めて見る顔ですしね」
ユウヤは面倒くさそうに返す。
「そうか……ヒムロだ。少し前に第五騎士団に入団した」
男は返事をする前に、一度だけユウヤをじっと見た。
値踏みするような視線だった。
男は柔らかく笑う。
「第五騎士団、ですか。あそこは大変だと聞きます」
「大変なんてもんじゃねえよ。訓練もキツいし、殴られたり蹴られたりなんてのはしょっちゅうだ」
ユウヤは露骨に嫌そうな顔をした。
「そんで最近、第二とか第三のやつらが妙に強くなってるって聞いてよ。何か薬があるって噂も聞いた」
男は少しだけ目を細める。
「……なるほど。そういうことでしたか」
「あの理不尽な先輩騎士どもに、少しでも仕返しできたらと思ってな」
その言葉に、男は内心で小さく笑った。
焦燥感。
劣等感。
力への渇望。
実に分かりやすい。
男は周囲を軽く確認してから、声を潜めた。
「ここでは何ですから。少し奥へどうぞ」
ユウヤはわざと少し迷うふりをしてから頷く。
「……ああ」
案内されたのは、店の奥にある小部屋だった。
表の華やかさとは違い、ここは質素だ。
だが、扉が閉まった瞬間、空気がわずかに変わった。
男は改めて笑みを浮かべる。
「確かに、あります」
ユウヤは露骨に食いついた顔をした。
「マジか!?」
「ええ。闘気も魔力も上がる。疲労回復効果まである、特別製です」
「へぇ……」
「現在、騎士団関係者限定で取り扱っています」
男は営業用の笑みを崩さない。
「特に、向上心の高い騎士の方々には好評ですね」
(向上心っていうか依存だろ……)
ユウヤは内心だけで呟いた。
だが、表情には出さない。
「それって本当に効果とかあんのか? それに副作用とかねえのか?」
男の目が少しだけ細まる。
「ほう?」
ユウヤは困ったように頭を掻いた。
「だから、ちゃんと後ろ盾あるなら安心できるなーって。変なもん掴まされて首になったらたまったもんじゃねえ」
数秒、沈黙。
やがて男は、少しだけ笑みを深めた。
「なるほど。慎重なのですね」
「せっかく死に物狂いで頑張って騎士になれたんだ。当然だろ?」
「ははは……確かにそうですね」
男はわずかに身を乗り出す。
「では、ここだけの話ですが……私たちを支援してくださっている方々の中には、騎士団強化に前向きな貴族様もいらっしゃいます」
ユウヤも少しだけ身を乗り出した。
「へぇ」
「宰相派に近い方々、と言えば分かりやすいでしょうか」
ユウヤの目がわずかに細くなる。
やはり繋がっている。
「……本当にそんな大物が?」
「疑うのも無理はありません」
男はそう言うと、懐から小さな金属製の証票を取り出した。
黒い金属板。
そこには帝国の紋章と、宰相府の認可印らしき刻印が刻まれている。
「騎士団納入業者の認可証です」
男は柔らかく笑う。
「我々は、国の方針に従っているだけですよ」
ユウヤは驚いたように目を丸くする。
「……マジかよ」
だが内心では、はっきり舌打ちしていた。
――思ったより根が深いな。
それでも、表情は崩さない。
むしろ安心したような顔を作る。
「なら安心か……」
「ええ。ですので、安心してお使い頂けます」
男は机の引き出しを開け、小瓶を一本取り出した。
薄紫色の液体。
見ているだけで、皮膚の下をざらつくような嫌悪感が走る。
ユウヤはそれを見つめながら、あえて少しだけ逡巡した。
「……高いのか?」
「見習いの方でも手が届く価格です。まずは一本、お試し頂ければ十分かと」
男は柔らかい声で続けた。
「効果を実感して頂ければ、次からは迷わず手が伸びますよ」
(言い方が完全に終わってんだろ……)
ユウヤは内心で舌打ちした。
だが、表では素直に釣られたふりをする。
「……じゃあ一本だけ」
「ありがとうございます」
男が小瓶を差し出す。
ユウヤはそれを受け取り、わざと軽く振って見せた。
「第五でも、興味あるやつには話しとくわ」
その瞬間だった。
男の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「ええ。ぜひ、お願いします」
その目を見た瞬間。
ユウヤの背中を、ぞわりと嫌な感覚が走った。
――こいつ。
やっぱり、ただの商人じゃねえ。
しかも、あの認可証。
宰相派。
騎士団限定販売。
国公認同然の流通。
騎士団は動かせない。
下手に報告すれば、先に証拠を消される可能性すらある。
「……」
ユウヤは表情を崩さないまま、小瓶を懐へしまった。
(動くなら早い方がいいな……)
男はそんなユウヤの内心など知らず、穏やかな笑みを浮かべていた。
「またいつでもお越しください、ヒムロ様」
ユウヤも適当に手を振る。
「ああ」
商会を出たユウヤは、そのまま帰るふりをしながら、建物の裏路地へ回り込んだ。
そして、裏口をじっと見た。




