第105話「最低限の危機管理」
重苦しい沈黙が、騎士総長室を満たしていた。
正面ではヴォルクハルトが腕を組み、こちらを見ている。
逃げ道はない。
レオルドは完全に固まっていた。
額にはうっすら汗まで浮いている。
一方、ユウヤは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「……ちょっといいか?」
ヴォルクハルトが眉を動かす。
「何だ」
ユウヤは返事もそこそこに、レオルドの首根っこを掴んだ。
「ふぎゃっ」
そのまま部屋の端へ引きずっていく。
「ユ、ユウヤ!? 首が! 首が絞まっています!」
「うるせえ」
ユウヤはレオルドを無理やり屈ませ、その耳元へ顔を寄せた。
「いいか。お前は喋るな」
レオルドは真剣な顔で何度も頷く。
「はい」
「返事もいらねえ。ずっと頷いとけ。分かったな?」
レオルドはさらに勢いよく首を縦に振った。
「よし」
ユウヤは深くため息を吐き、ヴォルクハルトの前へ戻る。
「待たせたな」
「……何をしていた」
「最低限の危機管理だ」
ヴォルクハルトは数秒だけ沈黙した。
その横で、レオルドは本当にずっと頷いていた。
「……」
「……」
「……」
無言なのに妙にうるさい。
ユウヤは頭を押さえた。
「喋ってねえ時まで頷くな……」
レオルドは慌てて動きを止めた。
ヴォルクハルトが小さく息を吐く。
「……話せ」
ユウヤは面倒くさそうに頭を掻いた。
「先に言っとくが、王国の差し金じゃねえからな」
「続けろ」
「レグナは今、かなりヤバい状態になってる」
ユウヤの目が少し細くなる。
「いろいろ不味いことになってんのは、帝国側も薄々掴んでるだろ。裏で蛇架って組織が動いてる。第二王子セドリックの裏にもいやがるし、第三王子ルークの処刑騒ぎにも絡んでた」
ヴォルクハルトの目がわずかに鋭くなる。
「蛇架……名前は聞いたことがある」
「そいつらは薬で人を魔人みてえに変えたり、レグナを大混乱に陥れたりしてた。俺たちはその処刑を止めた。で、そのまま王国側から指名手配」
横でレオルドがぶんぶん頷く。
ヴォルクハルトが低く問う。
「第三王子の処刑騒ぎも、か」
「ああ。あれも裏で糸引いてたのは蛇架だ」
「なるほどな……」
短い相槌の後、ヴォルクハルトは続きを促した。
「それで、帝国へ来た理由は」
「逃げたのもあるが、それだけじゃねえ」
ユウヤは鼻を鳴らす。
「帝国の騎士団の中に、妙な噂があった」
「強化薬か」
「やはり知ってたのか」
ヴォルクハルトは頷いた。
「存在自体は以前から把握している」
「なら何で放置してんだよ」
空気が少し張る。
だが、ヴォルクハルトは怒らなかった。
「第一騎士団では完全に禁止している」
低い声が落ちる。
「だが、国の上層部は使用を推奨している」
「……さらに上が絡んでるってわけか」
「そういうことだ」
ヴォルクハルトの視線が窓の外へ向く。
「最近、騎士団内部で急速に広まり始めた。“副作用なく強くなれる薬”としてな」
ユウヤが鼻を鳴らす。
「副作用まみれじゃねえか」
「今日の演習で私も確信した」
ヴォルクハルトの声は重かった。
「第二、第三、第四。各騎士団に相当数入り込んでいる」
レオルドが小さく手を挙げた。
ユウヤが嫌な顔をする。
「……何だ」
レオルドが口を開く。
「第三騎士団は凄く気持ち悪かったです」
ユウヤが即座に睨む。
「だから、お前は喋んじゃねえ!」
レオルドは慌てて口を閉じ、代わりに頷いた。
ヴォルクハルトが初めて少しだけこめかみを押さえた。
「……貴様ら、それでよくここに入り込んできたな」
「俺もそう思う」
即答だった。
レオルドは少し傷ついた顔をした。
ヴォルクハルトは椅子へ深く座り直す。
今度はユウヤが口を開いた。
「第五騎士団には、あんな薬を使ってるようなやつはいなかったな」
「ベルグか」
「ああ」
わずかに口元が緩む。
「“薬より酒の方が効く”だそうだ」
「……あいつらしいな」
「第一も同様だ。私が徹底的に排除している」
だが、とヴォルクハルトは続けた。
「第二、第三、第四は事情が違う」
視線が少し細くなる。
「特に第三は、事務能力に優れた者が多い。その分、純粋な戦闘能力で劣等感を抱く者も少なくない」
レオルドがまた頷く。
「確かに、第三は空気が悪――」
「喋んなっつっただろ!!」
ユウヤのツッコミが飛ぶ。
レオルドは慌てて口を押さえた。
ヴォルクハルトは深く息を吐く。
「……これが王国最強か……」
「がっかりだろ?」
「否定はせん」
しばらく沈黙が落ちる。
その後、ヴォルクハルトはゆっくり立ち上がった。
重い鎧が低く鳴る。
「これより、各騎士団の団長を集める」
ユウヤが眉を顰める。
「うわ、面倒くせえ……」
「当然だ。演習中止だけで済む問題ではない」
ヴォルクハルトは二人を見た。
「貴様らも来い」
レオルドが目を丸くする。
「我々もですか?」
「貴様らの話を聞くかぎり、今回の騒動の裏には蛇架が絡んでいる可能性が高い。ならば、貴様らの持つ情報も必要だ」
「うわぁ……」
ユウヤが露骨に顔をしかめた。
「面倒事に巻き込まれた……」
「最初から真ん中に飛び込んできたのは貴様らだ」
それは否定できなかった。
ヴォルクハルトは扉へ向かう。
「会議室へ移動する。付いてこい」
ユウヤは大きくため息を吐いた。
その横で、レオルドはまた頷いていた。
「だからお前はもう頷くな」




