第103話「小さな戦場」
嫌な予感は、ずっとしていた。
見習いたちが入ったばかりのこの時期に、大規模な軍事演習が急に組まれた。
表向きは、騎士団全体の連携確認。
だが、そう都合よく受け取れるほど、ヴォルクハルトは甘くない。
国の上の連中が、戦をしたがっている。
そう考えれば、最近の動きはすべて繋がった。
入隊試験は以前より緩い。
身元確認も甘い。
質より量を取り始めているのは明らかだった。
人数が増えた分、装備も増やしている。
騎士団の給金が劇的に上がったわけでもないのに、軍備へ回る予算だけは目に見えて増えていた。
そして、その裏で騎士団内部を回り始めたのが、あの薬だ。
強化薬。
「リスクなく強くなれる」
「希望者のみ購入可能」
そんな甘い言葉で流されているらしいが、飲んだ者を見れば分かる。
確かに身体能力は上がる。
闘気は増し、魔法の威力も上がる。
だが、目が死んでいる。
意識が濁る。
好戦的になり、力に酔う。
あれは、人が使っていい力ではない。
魔物や魔人に近い力だ。
昔、魔人と刃を交えた時に感じた、あの本能が嫌悪する感覚に酷似している。
さらに厄介なのは依存性だった。
一度でも薬を使い、あの力の快楽に触れた者は、次を欲しがる。
使わずにはいられなくなる。
第一騎士団では完全に排除している。
第五も、ベルグが「薬より酒が効く」と突っぱねているらしく、使う者はいない。
だが、第二、第三、第四は違う。
特に第三は、事務能力に長けた者が多いぶん、純粋な戦闘能力に劣る者も少なくない。
そこへ「手軽に強くなれる」と囁かれれば、揺らぐ者は出る。
嫌な予感はあった。
そしてそれは――的中した。
黄隊の禁止された火炎魔法を抑え込んだ時点で、ヴォルクハルトは確信していた。
あれは暴発ではない。
強化薬を服用した者が、加減を失って放った攻撃だ。
白隊の前線を押し返し、ヴォルクハルトは短く命じた。
「白隊は黄隊の監視と負傷者の保護を優先しろ。伝令は演習中止を全隊へ伝え続けろ。私は青と黒の交戦地へ向かう」
返事を待たず、ヴォルクハルトは駆けた。
重い鎧を着ていても、その足に淀みはない。
何度も戦場を生き残ってきた。
小さな綻びを見誤れば、そこから一気に崩れることも知っている。
そして今、向かう先にあるのは――もはや演習ではなかった。
黒隊と青隊の交戦地帯。
そこへ赤隊まで絡み始めた一角は、規模こそ小さいが、戦場そのものだった。
土煙。
飛び交う魔法。
乱れる陣形。
地面に転がる騎士。
「下がれ! そのまま突っ込むな!!」
グレゴールが怒鳴る。
グレゴールも、黒隊と青隊の戦いを見てすぐに異変に気づいていた。
赤隊を引き連れて両隊を止めに入ったが、戦いの熱に当てられた者たちが自隊からも出始めている。
目を血走らせた第二の騎士が、命令を無視して前へ出る。
第三の騎士が、敵味方の区別も曖昧なまま木剣を振り回す。
第四の魔法騎士は、詠唱を短縮した高威力魔法を無理やり撃とうとしていた。
グレゴールは赤隊の陣形を保ちながら、まず自隊の暴走者を盾で弾き飛ばす。
その直後には、青隊から突っ込んできた騎士も受け止め、前線の崩壊を防いでいた。
守りながら抑え込む。
それができる男だが、それでも手が足りていない。
「ガハハッ! どいつもこいつも、酔っ払いみてえに暴れやがって!!」
ベルグは笑っていた。
だが、その目は笑っていない。
黒隊でも、暴走している者が出ていた。
混成された第二、第三、第四の騎士たちの一部が、完全に加減を失っている。
黒隊の味方を殴り飛ばそうとした第三の騎士の腕を、ベルグが横から掴んで地面へ叩きつける。
そのまま振り向きざまに、青隊から斬り込んできた暴走者を真正面から殴り倒していく。
だが、本当の問題はそこではなかった。
青隊の中心。
ライナーだ。
第三騎士団長ライナーは、隊を立て直そうとしている。
声を飛ばし、陣を組み直そうとしている。
だが、その動きに濁りがあった。
闘気の質。
目の色。
息の荒さ。
見間違えようがない。
――服用者の動きだ。
ヴォルクハルトの目が細まる。
「ライナー……貴様までか」
理性を完全に失ってはいない。
だが、明らかに使っている者の気配だ。
だからこそ最悪だった。
団長自身が薬に手を出しているせいで、青隊の暴走を止め切れていない。
いや、止める側と煽る側の境界が曖昧になっている。
青隊では、第二の騎士が重装のまま異様な速度で突進していた。
第三の見習いや若手が、木剣とは思えぬ膂力で相手を吹き飛ばしている。
第四の魔法騎士は、演習で禁じられている威力の魔法を乱発していた。
目が血走っている。
動きが粗い。
それでも、強い。
「止めろ!! 演習は中止だ!!」
まともな騎士の叫びは、もう届いていなかった。
ヴォルクハルトは短く息を吐く。
このままでは死者が出る。
赤隊も黒隊も、青隊を抑え込むために動いている。
だが同時に、自隊の暴走者まで制御しなければならない。
誰もが手一杯だった。
しかも、青隊の崩壊に引きずられるように、赤と黒の内部まで荒れ始めている。
一箇所を断てば済む段階では、もうない。
ヴォルクハルトが踏み込もうとした、その瞬間だった。
戦場の中央に、轟音と共に巨大な氷の壁が出現した。
「――ッ!?」
黒、青、赤が入り乱れていた戦場を、無理やり断ち切るように氷壁がそびえ立つ。
魔法の熱が一瞬で押し返される。
暴走した騎士たちの足が止まる。
武器を振り上げていた者たちの動きが、そこで途切れた。
続いて、戦場の中心に風が吹き荒れた。
ただの風ではない。
切り裂くような鋭さを持った風圧。
その中を、緑の閃光が駆け抜ける。
速い。
あまりにも速い。
黒隊の暴走者が一人、二人、三人と地面へ沈む。
第四の魔法騎士の杖が弾かれる。
第二の騎士の懐へ潜り込み、一撃で意識を刈り取っていく。
「な……」
ベルグですら、わずかに言葉を失った。
ヴォルクハルトは目を見開く。
氷は、誰のものか分からない。
だが――
緑の闘気。
あの剣速。
あの、認識すら許さない加速。
聞いたことがある。
王国の最終兵器。
世界最強の一角。
そして、勇者の座に最も近かった男――
緑の閃光、レオルド・フォン・アルヴェイン。
何故そんな男が、ここにいる……?
戦場が、そこでようやく止まった。




