第100話「ノンデリカシー」
朝。
第三騎士団の兵舎は、今日も静かだった。
起床の時間になれば皆きっちり起きる。
身支度も整っている。
寝台も乱れていない。
物も散らかっていない。
第五騎士団とは何もかもが違った。
見習いだからといって、誰かの世話をすることもない。
自分のことは自分で管理する。
それが騎士として当然――第三では、そういう空気が徹底されていた。
レオルドは制服の襟を整えながら、小さく息を吐いた。
「困りました……」
ユウヤと顔を合わせる機会が、なかなかない。
各騎士団ごとに兵舎が違う。
訓練も別々。
行動時間も微妙にずれている。
しかも第五騎士団は、特に嫌われていた。
荒くれ者が多く集められている。
規律が緩い。
喧嘩沙汰が絶えない。
関わると面倒。
そんな噂が第三の兵舎でも普通に囁かれている。
実際、廊下で第五の名が出るたびに、第三の騎士たちは揃って顔をしかめていた。
「また第五が揉めたらしい」
「いつものことだ」
「関わるなよ。面倒が移る」
そんな会話が聞こえてくるたび、レオルドは少しだけ眉を下げる。
「ユウヤは、大丈夫でしょうか……いや、彼は大丈夫そうですね。周りが大丈夫ではない気もしますが……」
とはいえ、どちらにせよ困る。
今のところ、訓練中に感じたあの嫌な力について、ユウヤに話せていない。
話したい。
だが、その機会がない。
しかも第五は近寄りづらい空気まである。
「本当に困りました……」
二度目だった。
同室の見習いが少しだけ怪訝そうな顔をしたが、レオルドは気づいていなかった。
午前。
第三騎士団は相変わらず整然としていた。
点呼。
装備確認。
軽い走り込み。
基礎訓練。
どれも無駄がない。
怒鳴り声はあるが、第五みたいな雑さはない。
内容そのものは厳しくても、理不尽ではない。
そこだけ見れば、ここはかなりまともな場所だった。
ただし――レオルドは相変わらず目立っていた。
目立たないようにしているつもりだった。
本当に、そのつもりではいた。
だが、王国最強のハンターが、目立たないように力を抜くというのは、思っていた以上に難しかった。
いや、もっと正確に言えば、レオルドはそういう器用なことがあまり得意ではない。
木剣を振るだけで剣圧が飛ぶ。
軽く踏み込めば消えたように見える。
組手をやれば、どうしても相手が崩れてしまう。
結果として――目立っていた。
「……なんなんだ……あいつは」
遠くで先輩騎士が小さく呟いた。
レオルドは気づかないふりをした。
いや、実際はあまり分かっていなかった。
「ふむ……上手く溶け込めていますね」
十分目立っていた。
そんな中、見習いの何人かが名前を呼ばれた。
「アルス、来い」
「ミハイル、お前もだ」
「ルード、お前も」
三人ほどが先輩騎士に連れられて、訓練場の端から建物の中へ消えていく。
レオルドは首を傾げた。
近くにいた見習いへ、普通に聞く。
「何で呼び出されたんですか?」
聞かれた見習いは一瞬だけ嫌そうな顔をした。
「お前には関係ねえよ」
「そうですか」
レオルドは素直に引き下がった。
だが、少しだけ気になった。
戻ってきた三人の様子が、ほんの少しだけ変だったからだ。
顔色が悪いわけではない。
ふらついているわけでもない。
ただ、妙だった。
目の焦点が合っているようで合っていない。
呼吸が少し荒い。
そして、どこか張りつめている。
「……?」
レオルドが見ていると、一人がこちらを睨んだ。
レオルドは思わず首を傾げる。
「やはり、変ですね」
その言葉に、相手はさらに不機嫌そうな顔になった。
午後の訓練は、木剣を使った実戦形式だった。
一対一で順に組んでいく。
ただの素振りや型ではなく、かなり実戦寄りの内容だ。
レオルドは木剣を構えながら、内心で考えていた。
(こんなに勝ちすぎてしまうと、おそらく目立ってしまいます……)
目立たないようにしなければならない。
そのためには、少しくらい苦戦して見せた方がいいだろう。
そう結論づけた、その時だった。
相手の見習いが気合いと共に踏み込んでくる。
「はあっ!」
レオルドは反射で木剣を合わせた。
甲高い音が鳴る。
「うおっ!?」
相手の木剣が弾かれ、本人までたたらを踏んで大きく仰け反る。
しまった、とレオルドは思った。
思ったが、もう遅い。
(……いけません。今のは少し上手く受けすぎました)
だからレオルドは、慌ててわざとらしく後ろへ倒れた。
「う、うわー。負けました」
沈黙。
訓練場の空気が一瞬止まる。
相手の見習いが、顔を真っ赤にして震えた。
「……は?」
どう見ても、弾き返されたのは自分の方だった。
周囲の見習いたちもざわつく。
「いやなんだ今の……」
「何で倒れたんだ?」
「おちょくってるようにしか見えないな……」
だが、レオルドは地面に転がったまま、内心で頷いていた。
(ふむ……上手く負けられましたね)
レオルドは大根役者だった。
「ふざけんな!!」
相手の見習いが木剣を握ったまま怒鳴る。
「今の、どう見てもお前――」
「落ち着け」
すぐに先輩騎士が間に入った。
「訓練中に感情的になるな」
「次だ、次」
相手はまだ納得していない顔だったが、先輩に睨まれて渋々引き下がる。
レオルドは立ち上がり、服についた砂を払った。
(やはり、こういう細かい工夫が大事ですね)
作戦は完全に失敗していた。
そして、さっき呼び出されていた見習いたちの番が来た。
そのうちの一人が木剣を握って前に出た瞬間、レオルドは眉をひそめた。
「……やはり」
気持ちが悪い。
魔人そのものではない。
だが、近い。
あの嫌な感じ。
ざらついた、まとわりつくような圧。
しかも、呼び出される前より明らかに強くなっている。
さっきまでなら簡単に崩されていたはずの見習いが、第三の中でもそこそこ強い相手と互角に近い打ち合いをしていた。
構えは荒い。
足運びも雑だ。
なのに、押し負けない。
「……変です」
レオルドはその試合を見ながら、小さく呟いた。
別の呼び出し組も同じだった。
動きが変わっている。
身体能力そのものが底上げされているように見える。
そして、どの相手からもあの気持ち悪い感じがする。
レオルドの番になった。
相手は、さっき呼び出しを受けていた見習いの一人だった。
木剣を構える。
相手は明らかに敵意を剥き出しにしていた。
「お前、さっきから何なんだよ」
「何がですか?」
「いちいち見てんじゃねえよ」
「それはすみません。つい、気持ち悪いので見ていました」
相手の顔が引きつった。
「……は?」
レオルドは悪意なく続ける。
「あなた方、気持ち悪いですね」
沈黙。
次の瞬間、周囲の空気が一斉に冷えた。
「おい……」
「何言ってんだあいつ……」
「イカれてる……」
見習い全員から嫌われた気配がした。
だが、レオルドは試合が始まったのでそれどころではない。
相手は荒っぽく踏み込んできた。
力任せの一撃。
速い。
重い。
だが、レオルドからすれば、それでもまだ粗かった。
木剣を流し、崩し、足を払う。
相手は地面へ転がった。
一瞬で勝負が終わる。
周囲はざわついたが、レオルドはそれより別のことが気になっていた。
「やはり、同じ感じがします……少し強くなっている」
分かっているようで、まだ少しズレていた。
訓練が終わったあとも、第三の空気は微妙だった。
見習いたちは露骨にレオルドを避ける。
話しかけても返事が薄い。
さっき戦った相手など、完全に睨みつけていた。
レオルドは周囲を見回して、少しだけ首を傾げた。
(あれ……私、もしかして嫌われてませんか……)
隣を歩いていた先輩騎士が、疲れたように言う。
「お前、友達とか少ないだろ?」
「えっ、なぜ分かるんですか?」
「なぜだと思う?」
レオルドは少しだけ考えた。
「……もしや、顔が整っているからでしょうか……」
「……そういう所だよ」
結局、レオルドはよく分からなかった。
訓練が終わった頃、別の噂が兵舎の中へ流れ込んできていた。
「聞いたか?」
「第五でとんでもないことが起きたらしい」
「新入りがベルグ団長を倒したってよ」
第三の騎士たちが半信半疑でざわつく。
「は?」
「そんなのあり得るか?」
「なんでも、試験の時に試験官倒した変身野郎だってよ」
レオルドはその話を聞いて、思わず真顔になった。
「……全く、ユウヤが目立っているではないですか。私は上手く目立っていないというのに……」
どちらも十分目立っていた。
だが、本人は本気でそう思っていた。
夕方。
片付けが終わった頃、訓練場の端から声がかかった。
「レオルド」
振り向くと、そこにいたのは第三騎士団副団長クラウスだった。
周囲の見習いたちが、わずかに空気を変える。
「はい」
クラウスはいつも通り無駄のない口調で告げる。
「明日から大規模な軍事演習がある。その際の選抜メンバーに、お前が選ばれた」
レオルドは少しだけ目を丸くした。
周囲の見習いたちもざわつく。
「は?」
「あいつが?」
「見習いなのに?」
クラウスは周囲を一瞥し、淡々と続けた。
「上の判断だ。文句があるなら結果で覆せ」
そう言って、踵を返す。
レオルドはその場に立ち尽くした。
大規模な軍事演習。
それはつまり、普段より多くの騎士たちが一度に動くということだ。
第三のあの気持ち悪い力。
呼び出された見習いたちの変化。
もしかしたらユウヤに伝えられるかもしれない。
「……ユウヤは選ばれているでしょうか……」
そう呟いたレオルドの顔は、なぜか少しだけ嬉しそうでもあった。




