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次の鐘が鳴るまで  作者: パルパル


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第4話 午前九時、救えない命

 人の傷を治せるなら、死にかけた人間だって救える。


 俺は、どこかでそう思っていた。


 傷が塞がる。


 血が止まる。


 苦しそうな呼吸が落ち着く。


 それなら、もっと重い傷だって治せるのではないか。


 そう考えるのは、自然なことだったのかもしれない。


 午前九時。


 建物の外で、誰かが叫んだ。


「医者はいませんか!」


 続いて、女性の泣き声が響いた。


「お願いです! 誰か、助けてください!」


 俺は立ち上がった。


 美咲の父親は、まだ十分に動けない。


「行くんですか?」


 父親が尋ねた。


「はい。すぐ戻ります」


「危険ですよ」


「……わかっています」


 そう答えて、俺は入口へ向かった。


 扉を開けると、女性が一人、男性を抱きかかえていた。


 男性の服は血で濡れていた。


 腹部に深い傷がある。


 女性は泣きながら、何度も男性の名前を呼んでいた。


「お願い……お願いだから、目を開けて……」


「救急車は?」


「つながらないんです! 何度かけても……!」


 俺は男性のそばに膝をついた。


 顔色が悪い。


 呼吸は浅い。


 意識があるのかどうかもわからない。


「俺が見ます」


 女性が、すがるような目で俺を見た。


「治せるんですか?」


 俺は答えられなかった。


 治せる。


 そう言えば、彼女は希望を持つだろう。


 でも、もし治せなかったら。


 その希望を裏切ることになる。


「……やってみます」


 俺は男性の腹部に手を当てた。


 淡い光が広がった。


 皮膚の裂けた部分が、少しずつ閉じていく。


 出血が弱まる。


 だが、男性の呼吸は戻らなかった。


「もっと……もっと、お願いします!」


 女性が叫んだ。


 俺は手に力を込めた。


 何かが流れ出していく。


 指先が冷たくなり、頭がくらくらした。


 それでも、手を離せなかった。


 治せ。


 頼むから、治ってくれ。


 俺は必死に祈った。


 だが、男性の胸は動かなかった。


「……どうしてだよ」


 声が漏れた。


 傷は塞がっている。


 目に見える出血も止まった。


 なのに、何も変わらない。


 女性が男性の頬に触れた。


「ねえ……起きてよ……」


 返事はなかった。


 俺はもう一度、男性の胸に手を当てた。


 淡い光が広がる。


 それでも、男性は目を開けなかった。


 やがて、女性の泣き声が小さくなった。


 男性の顔を見つめたまま、彼女は何度も首を横に振っていた。


「うそ……」


 それだけを繰り返した。


 俺は手を離した。


 何もできなかった。


 傷を治せる。


 その力は確かに存在する。


 でも、命を戻すことはできない。


 俺の力は、死者を生き返らせる奇跡ではなかった。


 ただ、傷を治すだけの力だった。


 それがどれほどの意味を持つのか。


 この瞬間まで、俺は本当には理解していなかった。


「……すみません」


 俺は頭を下げた。


 女性は俺を見なかった。


 責めることも、怒ることもしなかった。


 ただ、男性の手を握っていた。


 その沈黙が、何よりもつらかった。


 俺は何も言えず、その場を離れた。


 建物の壁に背中を預ける。


 手が震えていた。


 人を救う力がある。


 そう思っていた。


 でも、救えなかった。


 俺の目の前で、一人の人間が死んだ。


 俺は、その死を変えることができなかった。


「お兄ちゃん……」


 美咲が近づいてきた。


 俺の顔を見て、何かを察したのだろう。


 何も尋ねなかった。


 ただ、俺の手をそっと握った。


 小さな手だった。


 温かかった。


 俺はその手を握り返した。


 すると、指先に淡い光が生まれた。


「……え?」


 俺は慌てて手を離した。


 美咲は驚いた顔で、自分の手を見つめている。


「今の、何?」


「わからない……」


 俺自身にもわからなかった。


 だが、ひとつだけ気づいたことがある。


 力を使ったあと、俺の体は確実に消耗していた。


 頭痛。


 冷え。


 強い疲労。


 そして、指先に残る奇妙な感覚。


 人を治すたびに、何かを失っているような気がした。


 その正体は、まだわからない。


 俺はもう一度、自分の手のひらを見つめた。


 この力には、限界がある。


 その限界を知らないまま使い続ければ、いつか自分自身が倒れるかもしれない。


 それでも、目の前で助けを求める人間がいたら。


 俺は、また手を伸ばしてしまうのだろう。


 午前九時。


 世界が壊れてから、まだ九時間しか経っていない。


 それなのに俺は、ひとつの事実を思い知らされていた。


 どれほど不思議な力を手に入れても、人間はすべてを救えるわけではない。


 そして、救えなかった命は、二度と戻らない。


 俺は、その事実を忘れないだろう。


 忘れてはいけないのだと思った。

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