第39話 鐘を鳴らす部屋
鐘制御室へ続く通路には、古い配線と金属製の扉が並んでいた。
壁に埋め込まれた小さな表示灯が、一定の間隔で明滅している。
次の鐘まで、残り十五分。
直人は歩きながら、何度も母の言葉を思い返していた。
『鐘を止めるのではなく、鐘が必要なくなる世界を作って』
母は、鐘を止めることだけが解決ではないと言った。
ならば、この施設には鐘を鳴らす以外の仕組みもあるのかもしれない。
「じいちゃん。鐘制御室には、何があるんだ?」
「鐘の発生条件と、記録への干渉を管理する装置があるはずだ」
「はず、か……」
「何度も言うが、私はすべてを知っているわけではない」
「そこはもうわかったよ」
直人は苦笑した。
こんな状況なのに、少しだけ気持ちが軽くなった。
祖父もまた、知らないことを恐れているのだ。
やがて、通路の先に大きな扉が現れた。
扉の中央には、鐘のような形をした紋様が刻まれている。
その周囲を、六本の線が取り囲んでいた。
「また六本……」
直人が呟くと、祖父は頷いた。
「記録を守る印なのか、それとも管理する印なのか。まだわからない」
扉の脇には、小さな端末が設置されていた。
直人が手を近づけると、画面に文字が浮かび上がる。
『第一記録者を確認』
『入室を許可』
扉が開いた。
中は、想像していたよりも広かった。
中央には円形の装置。
壁一面には端末が並び、その奥には巨大なガラス板が設置されている。
ガラス板の向こうには、何もない暗闇が広がっていた。
「……鐘はどこにあるんだ?」
直人は周囲を見回した。
鐘そのものは見当たらない。
あるのは、配線と端末と、中央の円形装置だけだった。
祖父が装置の表示を確認する。
「この施設では、鐘の音を直接鳴らしているわけではないのかもしれない」
「どういうこと?」
「音そのものではなく、世界中の人間に何かを伝える信号として機能している可能性がある」
直人は顔をしかめた。
「鐘が、ただの音じゃないってことか」
「そうだ。あの音を聞いた人間の一部が変化する。そして、その行動が記憶される」
毎日、鐘が鳴る。
同じ人々が変化し、暴力に走る。
そして、翌日には自分がしたことを覚えている。
直人は、その恐ろしい仕組みを改めて思い出した。
「だったら、この装置を止めれば……」
「簡単にはいかない」
祖父が首を振った。
「母親が最初の鐘を鳴らしたときも、ただ装置を動かしただけではないはずだ。世界の記録そのものに干渉したのだろう」
そのとき、美咲が円形装置の前で立ち止まった。
「……ここ、知っています」
「美咲さん?」
彼女は装置に触れようとして、途中で手を止めた。
「来たことがある。たぶん、昔……」
掌の文字が淡く光る。
『記録者候補、白石美咲』
直後、端末が反応した。
『第二記録者の接触履歴を検出』
直人は息を呑んだ。
「美咲さんが、ここに?」
「わかりません。でも、私はここで誰かに言った気がするんです」
美咲は目を閉じた。
「『この子の記録は、私が守る』って」
少女が彼女の袖をつかんだ。
「私を守ってくれたの?」
美咲は答えられなかった。
ただ、少女の手をそっと握り返した。
端末に新たな文字が表示される。
『第二記録者の承認条件を確認』
『記録保護対象との再接続』
『第一記録者による独立記録の維持』
直人は画面を見つめた。
「独立記録の維持……。二人の記録を一つにまとめないことか」
祖父が頷く。
「お前の力で、二人を別々の存在としてつなぎ直す。それが承認の条件なのかもしれない」
「でも、俺の力はさっき一度止まっただけだ」
「だからこそ、ここで試す必要がある」
直人は少女と美咲を見た。
二人とも、不安を隠せない表情をしていた。
それでも、逃げようとはしなかった。
「……やってみる」
直人は円形装置の中央に手を置いた。
白い光が掌から広がる。
今度は、黒い線が弾かれることはなかった。
光の中に二本の細い線が浮かび、それぞれ別の方向へ伸びていく。
一つは美咲へ。
もう一つは少女へ。
線は互いに交わることなく、しかし、同じ光の中でつながっていた。
『記録干渉を確認』
『独立記録、維持』
装置が低い音を立てた。
画面が切り替わる。
『第二記録者の承認、部分成立』
「部分成立……?」
直人が呟いた瞬間、画面に新たな文字が現れた。
『第二記録者、白石美咲』
美咲が息を呑んだ。
祖父は驚きに目を見開いていた。
「やはり……君が第二記録者だったのか」
美咲は首を横に振った。
「でも、私は自分のことを何も覚えていません」
「それでも、記録は君を認識した」
直人は、少しだけ安堵した。
第二記録者の正体がわかった。
だが、その瞬間。
『警告』
『第四段階、最終処理へ移行』
装置の光が赤く変わった。
『次の鐘まで、残り五分』
直人は画面を見つめた。
「最終処理って、何をするつもりだ?」
端末に、最後の一文が表示された。
『独立記録を維持できない場合、第二記録者を消去します』
美咲の顔から血の気が引いた。
直人は彼女の手を握った。
「大丈夫です。今度は、必ず方法を見つけます」
しかし、円形装置の奥で、低い振動が始まっていた。
鐘が鳴る準備をしている。
そして、その音が響いたとき、世界のどこかで、また誰かが変わってしまう。
残り五分。
直人たちは、最後の処理を止める方法を探し始めた。




