第38話 二つ目の記録
『復元には、記録者本人の承認が必要です』
端末の文字を見つめながら、直人は腕を組んだ。
「本人の承認って……その人は、今どこにいるんだ?」
祖父は端末を操作した。
「記録者が生きているのか、すでに記憶を失っているのか。それすらわからない」
「じゃあ、どうやって承認を取るんだよ」
「それを調べている」
「じいちゃん、こういうときだけ説明がふわっとしてるよな」
「私も万能ではないんだ」
祖父は真剣な顔で答えた。
その様子に、直人は思わずため息をついた。
こんな状況でなければ、もう少し落ち着いて話せたのかもしれない。
だが、次の鐘まで残り十八分。
のんびりしている時間はなかった。
「美咲さん。さっき、何か聞こえたんですよね?」
「はい。『二人で覚えていて』という言葉です」
「その声、母さんの声でしたか?」
美咲は目を閉じ、記憶をたどった。
「……わかりません。でも、聞いたことがある声でした。懐かしいのに、思い出そうとすると遠ざかってしまうんです」
少女が写真を見つめた。
「この人も、同じ声だった気がする」
写真に写っている女性。
幼い直人と少女のそばに立つ、もう一人の人物。
直人は写真を端末の前に置いた。
「この人を調べられないか?」
祖父が画像を読み込ませる。
画面に解析結果が表示された。
『人物照合、開始』
『一致する記録を検索中』
数秒後。
『該当記録なし』
「またかよ……」
直人は肩を落とした。
しかし、祖父は画面を見つめたまま動かなかった。
「いや、待て」
「何かあった?」
「該当記録なし、ではない。照合対象そのものが制限されている」
「どう違うんだ?」
「存在しない記録と、見せないようにされている記録は違う」
祖父は画面の隅を指さした。
そこには、小さな鍵の形をした印が表示されていた。
『保護記録』
「この女性の記録は、誰かによって守られているんだ」
直人は写真を見つめた。
「母さんが守ったのか?」
「可能性はある。だが、まだ断定できない」
そのとき、美咲が小さく息を呑んだ。
「……思い出しました」
全員が振り返った。
「何を思い出したんですか?」
直人が尋ねると、美咲は自分の胸元を押さえた。
「この女性、私に何かを渡してくれたんです」
「何を?」
「紙です。小さな紙片。そこに、何かの数字が書かれていました」
美咲の目が揺れる。
「でも、数字が何だったのかは思い出せません」
少女が美咲の手を握った。
「無理しないで」
美咲は驚いたように彼女を見た。
「あなた……」
「思い出せなくてもいいよ。私は、あなたがまた苦しそうな顔をするのは嫌だから」
美咲の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう」
そのやり取りを見て、直人は写真をもう一度裏返した。
文章の下に、小さな傷がある。
数字のようにも見える二つの線。
直人は写真を照明にかざした。
「……これ、数字じゃないか?」
祖父が近づく。
「二と六……いや、違うな。線が重なっている」
端末が反応した。
『隠し記録を検出』
『照合キー、六・二』
直人は顔を上げた。
「六と二……」
それは、写真の裏に残された印だった。
さらに画面に文字が浮かび上がる。
『二つ目の記録は、記録者の記憶ではなく、約束に保存されています』
「約束に保存?」
直人は首を傾げた。
「記録って、端末や紙に残すものじゃないのか?」
祖父は、ゆっくりと首を振った。
「記憶そのものを記録するのではなく、誰かと交わした約束を鍵にしているのかもしれない」
美咲が少女を見つめた。
「私たちが交わした約束……?」
少女は、ぎゅっと手を握りしめた。
「あなたが、いつか迎えに来るって言ってくれたこと?」
「そうかもしれません」
美咲は涙を拭った。
「でも、それだけじゃない気がします」
直人は写真を机に置いた。
「二人が約束したことを思い出せば、記録が開くのか?」
端末が一度だけ点滅した。
『記録者本人の承認を確認できません』
『承認待機を継続』
直人は拳を握った。
「結局、まだ足りないのか……」
そのとき、少女が写真の女性を指さした。
「この人、私に言ったの」
「何て?」
「『あなたが忘れても、約束は消えない』って」
部屋の空気が静まり返った。
直人の掌が、かすかに熱を帯びる。
白い光の中に、細い黒い線が一本浮かび上がった。
記録を無理に戻すのではなく、失われたつながりを結び直す光。
直人は、そっと写真に触れた。
「約束が消えていないなら、まだ取り戻せるはずだ」
光が写真を包み込む。
端末の画面に、新たな文字が現れた。
『承認の断片を検出』
『第二記録者の所在、照合開始』
直人は顔を上げた。
初めて、何かが動いた。
だが、次の瞬間、警告音が鳴った。
『警告』
『第四段階の進行により、記録保護領域が不安定化しています』
壁の照明が赤く点滅する。
祖父が端末を操作した。
「まずい。ここに長くいると、記録そのものが壊される」
「じゃあ、どうすればいい?」
「復元の手掛かりを持って、次の場所へ移動するしかない」
画面に、施設内の簡略図が表示された。
その中で、一つの区画だけが白く点滅している。
『鐘制御室』
直人は、その文字を見つめた。
鐘を鳴らす仕組みが、ここにある。
母が最初の鐘を鳴らした場所も、そこなのだろうか。
「行こう」
直人は写真を大切にしまった。
美咲と少女が頷く。
次の鐘まで、残り十五分。
第二記録者の正体を知るために、直人たちは鐘制御室へ向かった。




