第37話 記録室のさらに奥へ
記録室の奥へ続く通路は、思っていたよりも狭かった。
壁には無数のケーブルが這い、天井の照明は数秒おきに明滅している。
次の鐘まで、残り二十分。
直人は、隣を歩く美咲の様子を何度も確かめていた。
「……本当に大丈夫ですか?」
「はい。黒い文字は、今のところ広がっていません」
美咲は自分の掌を開いた。
そこには、薄くなった文字が残っている。
『記録者候補、白石美咲』
その文字を見つめるたびに、直人の胸には不安が広がった。
記録を一つにまとめれば、独立した記録が消える。
だが、二人の記録をつなぎ直すことはできた。
自分の力が何なのか、少しだけわかった気がする。
しかし、肝心の方法はわからない。
「じいちゃん。母さんは、どうしてこんな場所を残したんだ?」
前を歩く祖父は、すぐには答えなかった。
「ここは、記録を消すためだけの施設ではない」
「どういうこと?」
「残すための場所でもあったんだ。失われた記録を保管し、いつか必要になったときに取り戻せるようにするためのな」
「じゃあ、ここに母さんの記憶も残っているのか?」
「その可能性はある」
祖父の声には、確信よりも願いが込められているようだった。
やがて、通路の突き当たりに小さな扉が現れた。
扉には取っ手も鍵穴もない。
中央には、見覚えのある円形の紋様が刻まれていた。
六本の線が円を囲み、その中心に一本の縦線が伸びている。
「また、この印か……」
直人が呟くと、少女がそっと扉に近づいた。
「この印、知っている気がする」
「何か思い出したのか?」
「ううん。でも……ここに来たことがあるような気がするの」
少女が紋様に指先を触れた。
その瞬間、扉の中央が淡く光った。
『記録保護対象を検出』
機械音が通路に響く。
直人は息を止めた。
「記録保護対象って、この子のことか?」
祖父が端末を取り出した。
「間違いない。だが、名前は表示されていない」
『対象者、未登録』
『記録保護者、照合中』
文字が次々に切り替わる。
そして、最後に表示されたのは、二つの名前だった。
『第一記録者、朝霧直人』
『第二記録者、照合不能』
「……また照合不能か」
直人は唇を噛んだ。
美咲が一歩前に出る。
「私が触れれば、何かわかるかもしれません」
「待ってください。さっきみたいに消去処理が始まったら……」
「でも、何もしなければ、何もわからないままです」
美咲の声は震えていた。
それでも、彼女は目をそらさなかった。
直人は少し考え、頷いた。
「危なくなったら、すぐに離れてください」
「はい」
美咲が扉に手を触れた。
光が強くなる。
直後、彼女の表情が変わった。
「……この声」
「何が聞こえるんですか?」
「女の人の声です。すごく近くにいるのに、どこから聞こえるのかわからない」
美咲は目を閉じた。
「『二人で覚えていて』って……」
直人の胸が強く鳴った。
二人。
第一記録者と第二記録者のことだろうか。
それとも、美咲と少女のことなのか。
そのとき、少女が突然、直人の手を握った。
「直人、聞いて」
「どうした?」
「私、さっきの言葉の続きを思い出した気がする」
少女は涙の浮かんだ目で、直人を見上げた。
「一人が忘れても、もう一人が覚えていれば、全部は消えない……」
その言葉と同時に、扉が音もなく開いた。
中には、小さな部屋があった。
壁一面に並ぶ記録端末。
中央に置かれた古い机。
そして、その上に一枚の写真が置かれていた。
直人は写真を手に取った。
そこに写っていたのは、幼い自分と、少女と、美咲によく似た女性だった。
三人は並んで立っている。
女性は少女の肩に手を置き、幼い直人は二人の手を握っていた。
写真の裏には、短い文章が記されていた。
『三人の記憶がそろったとき、二つ目の記録を開け』
直人は息を呑んだ。
「……三人?」
少女が写真を覗き込む。
「この人……」
彼女の指が、女性の顔に触れた。
「私、この人を知っている」
その瞬間、写真の隅に小さな文字が浮かび上がった。
『次の鐘まで、残り十八分』
直人は写真を握りしめた。
母が残した記録の先に、まだ知らない誰かがいる。
そして、その人物は美咲と少女の過去にも関わっている。
「……絶対に、見つけてやる」
直人は写真を胸にしまった。
そのとき、部屋の奥で、誰も触れていない端末が起動した。
『第二記録者の記録を復元します』
画面には、まだ名前のない空欄が表示されていた。
その下に、赤い文字が浮かび上がる。
『復元には、記録者本人の承認が必要です』
直人は画面を見つめた。
第二記録者は、まだどこかにいる。
そして、その人物の承認がなければ、先へ進めない。
残された時間は、十八分。
直人たちは、次の記録へ手を伸ばした。




