↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
次の鐘が鳴るまで  作者: パルパル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/40

第32話 最初の鐘を鳴らす者

 ゴーン。


 その音は、これまで聞いてきた鐘とは違っていた。


 耳を塞いでも消えない。


 壁を隔てても遠ざからない。


 頭の中ではなく、もっと深い場所――自分の存在そのものを揺さぶるような音だった。


 直人は、その場に立ち尽くした。


「……これが、最初の鐘?」


 老人は頷いた。


「そうだ」


「どうして、こんな場所にあるんですか」


「ここにあるわけではない」


 老人は、天井を見上げた。


「この施設は、鐘につながっている。正確に言えば、鐘の音を世界へ届けるために造られた場所だ」


「鐘を鳴らすために……?」


 美咲が顔を上げた。


「でも、世界中で同じ時刻に鐘が鳴っているんですよね。それを、一つの施設からどうやって?」


「時計の仕組みを想像してほしい」


 老人は答えた。


「針を動かす歯車は一つでも、その動きを伝える先は無数にある。ここは、その歯車の一つだ」


「つまり、この施設が鐘の中心なんですか?」


「中心ではない。中心に触れるための場所だ」


 老人の言葉は、説明になっているようで、何も説明していなかった。


 直人は苛立ちを抑えられなかった。


「じいちゃん。どうして俺が鐘を鳴らさなきゃいけないんだ」


 老人の顔が曇った。


「お前にしかできないからだ」


「理由になってない!」


 直人の声が、鐘の余韻を切り裂いた。


「俺は、ただの人間だ。人を治す力があるだけで、世界をどうにかできるような人間じゃない!」


「そうだな」


 老人は否定しなかった。


「お前は、ただの人間だ」


「だったら――」


「だからこそ、お前でなければならない」


 直人は言葉を失った。


 老人は続けた。


「鐘は、人間を記録している。名前、記憶、行動、そして、誰かと結んだ約束までな」


 直人の掌に、黒い文字が浮かび上がった。


 ――第一記録者。


 その文字を見た老人の表情が、わずかに変わった。


「お前は、最初に記録された人間の一人だ」


「一人……?」


「そうだ。お前だけではない」


 老人は少女に視線を向けた。


「この子もまた、最初の記録に関わっている」


 少女は、知らない人を見るような目で老人を見つめていた。


「……私のことを知っているの?」


「ああ」


「じゃあ、教えて。私は誰なの?」


 老人は答えられなかった。


 唇を引き結び、ただ少女を見つめている。


「教えてよ」


 少女の声が震えた。


「みんな、私を知っているみたいな顔をする。でも、誰も名前を教えてくれない。私が何をしたのかも、どうしてここにいるのかも、誰も話してくれない!」


 彼女の目から涙がこぼれた。


「私、何か悪いことをしたの?」


「違う!」


 直人は反射的に叫んだ。


 少女が驚いて振り返る。


「君は何も悪くない」


 直人は、自分でも不思議なほど強く言い切った。


「少なくとも、今の俺には、君が悪いことをしたなんて思えない」


「でも……」


「わからないことは、これから調べればいい。君が誰なのかも、どうして記録から消されたのかも」


 直人は一歩、少女に近づいた。


「だから、自分を責めないでくれ」


 少女は直人を見つめた。


 その目に、ほんの一瞬だけ、懐かしさのようなものが戻った。


「……あなたは、優しいんだね」


「そうかな」


「うん。知らない人なのに、私のことを信じてくれる」


 直人は答えられなかった。


 知らない人。


 その言葉が、胸に刺さった。


 約束したはずだった。


 何があっても忘れないと。


 それなのに、彼女は自分を知らない。


 そして、自分も彼女の名前を知らない。


 残っているのは、忘れたくないという感情だけだった。


「話を戻そう」


 老人が口を開いた。


「鐘を鳴らせば、第三段階を止められる可能性がある」


「可能性?」


 美咲が問い返した。


「確実ではないんですか?」


「確実ではない」


 老人は正直に答えた。


「鐘を鳴らすということは、記録の仕組みに干渉するということだ。成功すれば、今進行している消去を止められるかもしれない。だが、失敗すれば――」


「どうなるんですか」


「記録者に、お前の存在を完全に消される」


 直人は自分の手を見た。


 ――記録対象、朝霧直人。


 その文字は、まだ消えていない。


「それなら、俺が鐘を鳴らせば、みんなを救えるんですか?」


「わからない」


「また、それか……」


 直人は深く息を吐いた。


 祖父が自分を守ろうとしていたことは、少しだけわかった。


 だが、守るために何をしたのか。


 少女の記録を消した理由は何なのか。


 なぜ自分が第一記録者なのか。


 何一つ、解決していない。


「じいちゃん」


 直人は老人を見た。


「一つだけ、答えてくれ」


「何だ」


「この鐘を最初に鳴らしたのは、誰なんだ?」


 老人は沈黙した。


 その沈黙が、答えよりも雄弁だった。


「……俺なのか?」


 直人が尋ねる。


 老人は、ゆっくりと首を横に振った。


「違う」


 そして、苦しそうに目を伏せた。


「最初に鐘を鳴らしたのは、お前の母親だ」


 直人の呼吸が止まった。


「……母さん?」


「あの子を守るためだった」


 老人は少女を見た。


「お前の母親は、世界から一人の人間を消そうとした。そうしなければ、その子だけでなく、多くの人間が失われると信じていたからだ」


「それで、少女の記録を消したのか?」


「そうだ」


 老人の声がかすれた。


「だが、記録を消すことと、存在を消すことは違う。記録から消された人間は、誰からも思い出されなくなる。それでも、その人間が生きている限り、世界とのつながりは残る」


「そのつながりを、鐘が切ろうとしている?」


 美咲が尋ねた。


「そうだ。第三段階は、記録から消された存在を、世界そのものから切り離すための処理だ」


 直人は少女を見た。


 彼女の姿は、まだそこにある。


 だが、彼女を見つめるたび、自分の記憶が削られていく。


「じゃあ、俺が鐘を鳴らせば……」


「記録を止められるかもしれない」


 老人は答えた。


「だが、忘れてはならない。鐘は、願いを聞くためのものではない。記録を書き換えるためのものだ」


「書き換える?」


「何かを救うなら、何かが失われる可能性がある」


 その言葉に、美咲が直人の腕をつかんだ。


「直人さん。待ってください」


「美咲さん?」


「今の話が本当なら、鐘を鳴らすことで、別の誰かが消されるかもしれないんですよね」


「……ああ」


「だったら、簡単に決めてはいけません」


 美咲の手のひらには、黒い文字が残っていた。


 ――代替消去対象、白石美咲。


 彼女はそれを見つめてから、直人に微笑んだ。


「私を救うために、ほかの誰かを犠牲にするのは嫌です」


「そんなことはさせない」


「どうやって?」


 直人は答えられなかった。


 美咲は責めるような口調ではなかった。


 ただ、同じ場所に立って、同じ問題を見つめていた。


「だから、一緒に考えましょう」


 美咲は言った。


「鐘を鳴らす以外の方法が、本当にないのか」


 老人は目を閉じた。


「……お前たちなら、そう言うと思っていた」


「何か知っているんですか?」


 直人が尋ねる。


 老人は、記録室の奥を指さした。


「鐘のそばに、最後の記録がある」


「最後の記録?」


「お前の母親が、鐘を鳴らす直前に残したものだ。そこに、あの子の名前も記されている」


 少女が顔を上げた。


「私の名前……?」


「ああ」


 老人は頷いた。


「ただし、そこへ行くには、記録室の奥にある扉を開けなければならない」


 そのときだった。


 警報が、突然止まった。


 赤い照明が消え、室内が静寂に包まれる。


 直人の掌から、黒い文字がゆっくりと消えていった。


「……止まったのか?」


 美咲が呟いた。


 老人は首を横に振った。


「違う」


 その顔から、血の気が引いていた。


「記録者が、次の処理を始めたんだ」


 壁の端末に、新しい文字が表示される。


『第三段階、保留』


『第四段階、開始準備』


 その下に、見覚えのある名前が並んだ。


 朝霧直人。


 白石美咲。


 そして、空白だったはずの少女の欄。


 そこに、初めて文字が浮かび上がった。


『対象者、朝霧直人の母』


 直人は息を呑んだ。


「……母さんが、対象?」


 老人は何も答えなかった。


 ただ、震える指で端末を指さした。


 画面の最後に、一行だけ文章が表示されていた。


『第四段階の開始条件――最初の記録者の帰還』


 直後。


 記録室の奥から、女性の声が聞こえた。


「直人……」


 直人は振り返った。


 そこには誰もいない。


 それでも、声はもう一度、はっきりと響いた。


「今度こそ、私を見つけて」


 そして、直人の掌に新たな文字が浮かび上がった。


 ――記録対象、朝霧直人。


 ――母親の記憶、復元開始。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。