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次の鐘が鳴るまで  作者: パルパル


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第28話 鳴ったのに、誰も変わらない

 ゴーン。


 二度目の鐘が、施設の壁を震わせた。


 直人は息を止めた。


 耳の奥に、あの不快な響きが残っている。


 世界を壊した鐘。


 人々から理性を奪い、昨日まで隣にいた人間を、突然、敵へと変えてしまう鐘。


 その音が、零時より前に鳴った。


「みんな、離れて!」


 直人は食堂に向かって叫んだ。


 住民たちが一斉に身を縮める。


 誰かが椅子を倒した。


 誰かが両手で耳を塞いだ。


 そして、誰もが次の瞬間を恐れていた。


 怒号。


 悲鳴。


 暴力。


 いつもなら、すぐに始まるはずだった。


 しかし。


「……あれ?」


 食堂の隅にいた青年が、恐る恐る顔を上げた。


「何も、起きないぞ」


 誰もが互いの顔を見た。


 拳を握りしめている者もいた。


 震えている者もいた。


 それでも、誰一人として他人に襲いかかろうとはしなかった。


「管理人さん。今の鐘は……」


 美咲が尋ねる。


 管理人は壁の時計を見つめたまま、答えられずにいた。


 時計は午後十一時五十九分を示している。


 秒針だけが、かすかに揺れていた。


「おかしい……」


 管理人が呟いた。


「鐘が鳴ったのに、第一段階が始まっていない」


「第一段階?」


 直人は聞き返した。


 管理人は、はっとしたように口を閉じた。


「今、何と言いました?」


「……何でもありません」


「何でもない人は、そんな顔をしませんよ」


 直人が一歩近づく。


 管理人は視線を逸らした。


「すみません。今は、説明できません」


「説明できないのと、説明したくないのは違います」


 直人は静かに言った。


「俺たちは、もう何も知らないままではいられないんです」


 そのときだった。


「……あの」


 小さな声がした。


 食堂の入口に、一人の少女が立っていた。


 年齢は十歳前後だろうか。


 薄い色の服を着て、裸足のまま床に立っている。


 直人は目を見開いた。


 見覚えのない少女だった。


 それなのに、胸の奥が強く痛んだ。


「君、どこから来たの?」


 直人が尋ねる。


 少女は答えず、住民たちを見回した。


 そして、不思議そうに首を傾げた。


「どうして、みんな私を見ているの?」


 直人の背筋に冷たいものが走った。


 少女は、確かにそこにいる。


 なのに、周囲の住民たちは彼女を見つめながら、まるで初めて見るものに戸惑っているようだった。


「お嬢ちゃん、名前は?」


 直人が尋ねた。


 少女は口を開いた。


 けれど、声が出なかった。


 自分の喉に触れ、何度も口を動かす。


 やがて、彼女は泣きそうな顔で呟いた。


「……わからない」


 その瞬間、直人の頭の中に、あの言葉が蘇った。


 ――次は、忘れた者が忘れられる。


 直人は少女の前にしゃがみ込んだ。


「大丈夫。名前がわからなくても、君がここにいることは、俺が覚えているから」


 少女は、初めて直人の顔をまっすぐ見た。


「……本当に?」


「ああ」


「じゃあ、お願いがあるの」


 少女は小さな手を差し出した。


「私の名前を、探して」


 直人がその手を取ろうとした瞬間。


 少女の姿が、わずかに透けた。


「っ……!」


 直人は反射的に手を伸ばした。


 指先が少女の手に触れる。


 その瞬間、直人の掌が淡く光った。


 治癒能力が発動したのだ。


 だが、少女の傷が塞がるような変化はない。


 代わりに、直人の頭の中へ、知らない光景が流れ込んできた。


 暗い廊下。


 閉じられた扉。


 扉の向こうで泣いている少女。


 そして、誰かの声。


『この子の名前を、記録してはいけない』


 直人は息を呑んだ。


 光景が消える直前、もう一つの声が聞こえた。


『それでも、あの子は生きている』


 直人の手から光が消えた。


 目の前の少女は、まだそこに立っていた。


 けれど、その姿は先ほどよりも薄くなっている。


「直人さん!」


 美咲が駆け寄ってきた。


「今、何をしたんですか?」


「わからない。でも……」


 直人は少女を見つめた。


「この子は、忘れられたんじゃない」


 喉が乾いていた。


「最初から、忘れられるようにされたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、少女の目から涙がこぼれた。


「……やっと、わかってくれた」


 少女は微笑んだ。


「でも、直人さん」


「何?」


「私を思い出したら、あなたも消えちゃうよ」


 直後、食堂の時計が音を立てた。


 カチリ。


 針が、午前零時を指した。


 今度は鐘の音はしなかった。


 代わりに、施設中の照明が一斉に消えた。


 暗闇の中で、少女の声だけが聞こえた。


『三度目は、もう始まっている』


 そして、直人の手のひらに、黒い文字が浮かび上がった。


 ――記録対象、朝霧直人。


 その下に、もう一行。


 ――消去まで、残り一時間。

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