第24話 鍵が覚えている
鍵は、佐伯の手の中で震え続けていた。
「……これ、どうなってるんだ」
佐伯は手を開いた。
古びた金属製の鍵。
どこにでもありそうな、小さな鍵だった。
しかし、鍵の先端には奇妙な刻印があった。
丸い円の中に、一本の線。
そして、その線を横切るように、小さな傷が三つ。
「それ、見せてもらってもいいですか」
直人が尋ねると、佐伯は迷ったあと、鍵を差し出した。
直人が指先で触れた瞬間。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
「っ……!」
「直人さん?」
美咲が駆け寄る。
直人は鍵を落としそうになりながら、何とか握り直した。
頭の中に、知らない光景が流れ込んできた。
暗い部屋。
小さな女の子。
泣きながら、誰かに鍵を渡している。
『これを、あの人に渡して』
幼い声が響いた。
『みんなが私を忘れても、あの人ならきっと分かるから』
そこで、映像は途切れた。
「……千尋?」
直人が呟くと、佐伯の顔色が変わった。
「今、何て言った?」
「千尋、です」
「どうして、その名前を……」
佐伯は頭を抱えた。
忘れてしまったはずの誰か。
顔も、声も、名前も分からない。
それなのに、胸の奥だけが、その名前に反応していた。
「俺は……誰かに、これを渡さなきゃいけないんだ」
「その誰かが、記録者の言う『あの人』なんでしょうか」
管理人が尋ねた。
佐伯は答えられなかった。
そのとき、扉の向こうから声がした。
「鍵を、床に置いてくれ」
記録者だった。
「どうしてですか」
直人が尋ねる。
「それは、君のための鍵ではない」
「じゃあ、誰のための鍵なんです?」
「忘れられた人間のためだ」
直人は鍵を見つめた。
「千尋のためですか」
「違う」
即答だった。
「千尋は、鍵を残した側だ」
その言葉に、全員が黙り込んだ。
「鍵を残した側……?」
美咲が繰り返す。
「では、開けるべき場所があるんですね」
「ある。だが、開ければ何かが戻るとは限らない」
記録者は淡々と続けた。
「君たちが失った記憶が戻るかもしれない。代わりに、今まで覚えていたものを失うかもしれない」
「それでも、進むしかないんでしょう」
直人は鍵を握った。
「俺の名前が消え始めているなら、何もしないわけにはいきません」
「君は、自分が忘れられることを恐れていないのか」
「怖いですよ」
直人は正直に答えた。
「でも、怖がっている間に、誰かのことまで忘れてしまうのは嫌です」
美咲が、そっと頷いた。
佐伯もまた、鍵から手を離した。
「俺も行く。千尋のことを思い出せなくても、約束だけは残っている気がするんだ」
直人は鍵を管理人に預けようとした。
しかし、管理人は首を振った。
「持っていてください。あなたが触れたときに反応したんです」
その瞬間。
鍵の先端から、かすかな音がした。
カチリ。
地下室の奥。
誰も触れていない壁の一部が、ゆっくりと開き始めた。
そこには、扉があった。
錆びついた金属の扉。
その中央には、鍵と同じ刻印が刻まれていた。
円の中に、一本の線。
そして、その下に小さな文字があった。
――記録されなかった者の部屋。
扉の向こうから、子供の声が聞こえた。
『やっと、鍵が帰ってきた』
直人は息を止めた。
その声は、確かに幼い女の子のものだった。
そして、次の言葉が、彼らの足を凍りつかせた。
『でも、開けないで』




