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次の鐘が鳴るまで  作者: パルパル


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第23話 忘れられる名前

 紙に書かれた文字を、直人は何度も読み返した。


 ――次に忘れられるのは、朝霧直人。


 自分の名前だった。


「……どういう意味だよ、これ」


 声に出してみても、誰も答えなかった。


 扉の向こうにいる記録者だけが、こちらの反応を待つように沈黙していた。


 佐伯は手の中の古い鍵を握りしめている。管理人は、紙と直人の顔を交互に見つめていた。


「記録者。説明してください」


 管理人が扉に向かって言った。


「どうして直人さんなんですか。千尋という子の記録と、彼に何の関係があるんですか」


「関係があるから、名前が書かれた」


「そんな説明では納得できません」


「納得する必要はない。理解する時間が残されているかどうか、それすら分からないのだから」


 直人は小さく息を吐いた。


「つまり、俺がみんなから忘れられるってことですか」


「正確には、君がここにいたという事実が失われ始めている」


「……ずいぶん嫌な言い方をしますね」


「事実を柔らかく伝えても、起きることは変わらない」


 その言葉に、直人は苦笑した。


 こんな状況でも、目の前の相手は妙に冷静だった。


 いや、冷静なのではない。


 同じことを、何度も見てきた人間の声だった。


「直人さん」


 美咲が階段を駆け下りてきた。


「どうしてここに……」


 彼女は言いかけて、手に持った紙を見た。


 そして、直人の顔を見つめた。


「これ、本当なんですか?」


「俺にも分からない」


「でも、さっき管理人さんに聞いたんです。直人さんのこと」


「なんて?」


「……名前が、出てこなかったんです」


 直人は黙った。


「管理人さん、直人さんと一緒にここまで来たことは覚えていました。でも、誰と来たのか分からなくなったって」


 管理人が顔を伏せた。


「すみません。確かに、ほんの一瞬ですが……あなたの名前が思い出せませんでした」


「気にしないでください。俺も、自分の名前を忘れる日が来るかもしれませんし」


 冗談のつもりだった。


 しかし、美咲は笑わなかった。


 彼女は直人の手を取った。


「私は忘れません」


 強い声だった。


「何があっても、直人さんのことを覚えています」


「ありがとう。でも、無理はしないでください」


「無理じゃありません」


 美咲の手が、わずかに震えていた。


 その瞬間だった。


「……っ!」


 美咲が自分の手のひらを見つめた。


 そこには、黒い文字が浮かび上がっていた。


 今までの警告とは違う。


 短く、そして、はっきりとした文字だった。


 ――二人。


「二人……?」


 直人が呟く。


 すると、地下の奥から、何かを引きずるような音が響いた。


 ずるり。


 ずるり。


 扉の向こうで、記録者が初めて声を荒らげた。


「全員、そこから離れろ!」


 次の瞬間。


 壁に並んでいた記録用の紙が、一斉に床へ落ちた。


 その中の一枚に、直人は見覚えのある名前を見つけた。


 朝霧直人。


 その名前の上から、黒い線がゆっくりと伸びていた。


 まるで、誰かが存在そのものを塗りつぶそうとしているかのように。


 そして、その下には新しい文字が浮かび上がっていた。


 ――次は、忘れた者が忘れられる。


 直人は、佐伯の手の中にある鍵を見た。


 なぜか、その鍵だけが、かすかに震えていた。


 まるで、どこかへ帰りたがっているように。

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