第16話 次の鐘まで
直人が目を覚ましたのは、夜明け前だった。
毛布がかけられている。
そばには、美咲が座っていた。
「……ずっと、ここにいたの?」
「うん」
「眠らなかったの?」
「少しだけ」
美咲は笑おうとした。
けれど、目の下には濃い隈ができていた。
「ごめん。心配をかけたね」
「謝らないで」
美咲は、静かに言った。
「直人さんがいつも言っていることだよ。傷ついた人が悪いわけじゃないって」
直人は、返す言葉を失った。
自分が誰かにかけてきた言葉を、今度は自分が受け取っている。
それが、少し不思議だった。
「……ありがとう」
直人は上半身を起こした。
まだ体は重い。
けれど、昨日よりは動けそうだった。
管理人が近づいてきた。
「次の鐘まで、あと半日ほどだ」
直人は顔を上げた。
「もう、そんなに時間がないんですか」
「時計が正しければな」
管理人は壁の時計を見た。
鐘が鳴る時刻は、これまでの二回とも午前零時だった。
だが、次も同じとは限らない。
地下で見つけた記録には、最初の鐘の時刻が予測より早かったと書かれていた。
「次の鐘に備えましょう」
直人は言った。
食料を分ける。
水を確保する。
負傷者を安全な場所へ移す。
扉を補強し、外へ出る必要がある人間を減らす。
やるべきことは多かった。
直人は、千尋を探していた男にも声をかけた。
「あなたは、次の鐘までここにいてください」
「だが、千尋が……」
「今、一人で外へ出るのは危険です。記録を調べれば、もっと手掛かりが見つかるかもしれない」
男は迷った。
やがて、うなずいた。
「……分かった」
直人は、地下で見つけた記録の写しを広げた。
そこには、鐘が鳴った時刻と、人々の変化についての記述があった。
だが、凶暴化する人間と、そうでない人間の違いは分からない。
記録は途中で途切れている。
まるで、書き手が突然いなくなったかのように。
直人は最後のページを見つめた。
そのとき、美咲がそっと隣に座った。
「直人さん」
「うん?」
「私、怖い」
直人は彼女を見た。
「次の鐘が鳴ったら、また誰かが傷つく。お父さんも、直人さんも……私だって、どうなるか分からない」
美咲は、自分の手を握りしめた。
「私の手が光る理由も分からない。あの声が何なのかも分からない」
直人は、ゆっくりとうなずいた。
「僕も怖いよ」
美咲が顔を上げた。
「直人さんも?」
「うん。分からないことばかりだから」
直人は窓の外を見た。
崩れた街。
遠くに見える建物。
その屋上に、あの小さな光はもうなかった。
「でも、分からないからって、何もしないわけにはいかない」
美咲は、少しだけ笑った。
「……うん」
その瞬間だった。
美咲の手が、淡く光った。
直人は息を止めた。
光は、今までよりもはっきりしていた。
美咲自身も気づいている。
彼女は手を見つめたまま、かすれた声で言った。
「……また、声がする」
「何て?」
美咲は目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと口を開いた。
「鐘が鳴る前に……地下へ行って」
直人は、地下の記録を見た。
最初の鐘より前の日付。
千尋の名前。
そして、鐘の影響を受けない人間がいる可能性。
断片だったものが、少しずつつながっていく。
しかし、その答えを確かめる時間は残されていなかった。
壁の時計が、午前十一時五十分を指していた。
次の鐘まで、あと十分。
直人は立ち上がった。
「地下へ行こう」
管理人が驚いて顔を上げた。
「今からか?」
「鐘が鳴る前に確かめたいことがあります」
直人は美咲を見た。
「一緒に来てくれる?」
美咲は、恐怖を押し殺すようにうなずいた。
二人は、地下への扉に向かった。
暗い階段の先から、かすかな音が聞こえた。
鐘の音ではない。
誰かが、扉を叩いている音だった。
直人は足を止めた。
美咲の手が、さらに強く光る。
そして、暗闇の向こうから声がした。
「……やっと来たか」
直人は息を呑んだ。
その声は、明らかに自分たちへ向けられていた。
午前零時まで、あと十分。
次の鐘が鳴るまでに、彼らは何を知ることになるのだろう。
そして。
地下にいるのは、一体誰なのか。




