第14話 千尋を探す男
階段に立っていた人物は、敵ではなかった。
少なくとも、その場では。
男は中年で、疲れ切った顔をしていた。手には何も持っていない。
「俺は、この地下のことを少し知っている」
「この記録を書いた人なんですか?」
直人が尋ねると、男は首を横に振った。
「違う。俺がここへ来たのは、もっと後だ」
「なら、どうして読むなと言ったんですか」
男はノートを見つめた。
「知らない方がいいこともある」
「そんな答えでは納得できません」
直人の声が強くなった。
男は、しばらく黙っていた。
やがて、疲れたように息を吐いた。
「……俺にも、娘がいる」
直人は顔を上げた。
「千尋という名前だ」
千尋を探していた男だった。
「鐘が鳴った日から、ずっと探している。ここに来れば何か分かるかもしれないと思った」
「千尋さんの手掛かりが、ここに?」
「まだ分からない。ただ、以前ここに出入りしていた人間が、娘の名前を知っていた」
男の声がかすれた。
「俺は、娘を探したい。それだけなんだ」
直人は、男の両手を見た。
あの夜、男は理性を失い、人を傷つけた。
その事実は消えない。
だが、娘を探したいという願いまで嘘だとは思えなかった。
「一緒に記録を調べましょう」
直人は言った。
男は驚いたように目を見開いた。
「……俺を信用するのか?」
「信用できるかどうかは、まだ分かりません。でも、あなたが何を探しているのかは分かります」
直人はノートを差し出した。
「だから、一緒に調べましょう」
男は震える手でノートを受け取った。
ページをめくる。
そして、ある箇所で指が止まった。
「……これだ」
そこには、いくつかの名前が書かれていた。
その中に、千尋という名前があった。
男の顔から血の気が引いた。
「どうして……」
名前の横には、日付と数字が記されていた。
だが、それが何を意味するのかは分からない。
「この数字は何でしょう」
直人が尋ねた。
「分からない……」
男は首を振った。
「俺は、こんな場所に娘が来たなんて聞いていない」
そのとき、ノートの隙間から小さな紙が落ちた。
直人が拾い上げる。
そこには、手書きの文章があった。
『鐘の影響を受けない人間がいる可能性』
その下には、名前ではなく、短い記号が書かれていた。
男が紙をのぞき込んだ。
「……まさか」
「何か知っているんですか?」
男は答えなかった。
ただ、紙を見つめたまま、かすれた声で言った。
「千尋は……鐘が鳴っても、何も変わらなかったんだ」
直人は息を止めた。
「どういう意味ですか?」
「最初の鐘が鳴ったとき、娘は俺の隣にいた。周りの人間が暴れ始めたのに、千尋だけは……普通だった」
男の声が震えた。
「俺は、そのことを誰にも話さなかった。話せなかったんだ」
直人は、手の中の紙を見つめた。
鐘の影響を受けない人間。
美咲の光。
直人の治癒能力。
そして、最初の鐘より前から存在していた記録。
それぞれが、少しずつつながり始めている。
だが、全体像はまだ見えない。
直人はノートを閉じた。
「千尋さんを探しましょう」
男は、深くうなずいた。
その目には、希望と恐怖が同時に浮かんでいた。




