第71話:ラノベ7巻のテンプレと、俺たちのラブコメ
「……冷めちゃうから。とりあえず、お昼にしよっか」
涙を拭いながら彩が微笑み、俺たちは一旦、キッチンからリビングのローテーブルへと移動した。
テーブルの上には、彩が俺のために作ってくれていた生姜焼き定食が並んでいる。
向かい合って座り、箸をつける。
一口食べると、甘辛いタレと豚肉の旨味が口いっぱいに広がった。
相変わらず、めちゃくちゃ美味い。
今までもこの手料理を食べて「美味い」と言い合ってきたけれど、今日からは少し違う。
俺たちはもう「ただの相棒」じゃない。
「彼氏と彼女」として、この向かい合わせの席に座っているんだ。
そう自覚した途端、モブには勿体ないくらいの圧倒的な幸福感が押し寄せてきて、心臓の奥がくすぐったくなった。
「……どうしたの、ニヤニヤして」
「いや、やっぱり彩のご飯は最高だなと思ってさ。これ、ずっと食えるのかと思うと嬉しくて」
「……っ、もう。急にそういうこと言う」
彩が黒縁メガネの奥の瞳を逸らし、耳まで真っ赤にして俯く。
いつも冷静で理屈っぽいこいつが、俺の何気ない一言でこんなに分かりやすく照れる。
たまらなく可愛くて、俺まで顔が熱くなった。
食後のまったりとした時間。
コーヒーを飲みながら、俺はふと気になっていたことを口にした。
「そういえばさ。月曜日からの、海斗と一条さんの見守りなんだけど」
「うん。どうする?」
俺は小さく笑って、コーヒーカップを置いた。
「……もう、俺たちの出番はないだろ。あいつらもくっついたし」
「そうだね」
「だからさ。これからは他人のラブコメじゃなくて……俺たちのラブコメを、普通に楽しめばいいんじゃないか」
少しだけカッコつけたセリフに、彩は一瞬目を丸くした後、ふふっと楽しそうに吹き出した。
「……うん。そうだね。裏方は、これで完全に卒業」
二人で頷き合い、俺たちの任務は、名実ともに完全に終了した。
食器を片付けた後、俺たちは狭いソファに並んで座り、それぞれ持参したラノベを読んでくつろいでいた。
肩と肩が触れ合う距離。
彩のシャンプーの甘い匂いが、すぐ隣から微かに香ってくる。
ふと横を見ると、彩が読んでいる文庫本のページを開いたまま、ピタリと動きを止めていた。
「ん? どうした?」
覗き込もうとすると、彩はバサッと音を立てて本を閉じた。
顔が茹でダコみたいに真っ赤になっている。
「な、なんでもないっ」
一瞬見えた挿絵は、たしかメインカップルがキスしているシーンだった。
なるほど。
とはいえ、恋人同士になったからといって、いきなり俺から手を出したら引かれるかもしれない。
まずはゆっくり手を繋ぐところからか……なんて、相変わらずヘタレなことを考えていると。
彩が突然、バタンと本をローテーブルに置いた。
「……渉くん」
「え?」
ドサッ。
俺の膝の上に、彩が跨るようにして乗ってきた。
「おまっ、急にどうし――」
至近距離。
真っ黒なショートヘアが揺れ、綺麗な瞳が俺を真っ直ぐに射抜く。
彩の両手が俺の肩にポンと置かれ、逃げ道を塞がれるような体勢になった。
「私たち……もう、恋人だよね?」
「お、おう。そうだけど」
彩は少しだけ目を伏せ、唇をギュッと噛む。
そして、意を決したように顔を上げた。
「私、今このラノベの『7巻』を読んでるんだけどさ」
「は?」
「……渉くん。ラノベの7巻で、大体どういうイベントが起きるか……分かるよね?」
俺の長年のラノベ知識が、瞬時にその答えを弾き出す。
俺たちが読んでる日常ラブコメにおいて、7巻というのは大きな節目だ。
ヒロインとの関係性が決定的に変化し、甘さが一気に跳ね上がる……つまり。
「まさか……」
俺が呆然と呟くと。
彩は少しだけ勝ち誇ったような、でも今にも恥ずかしさで泣き出しそうに照れた顔で、ふわりと微笑んだ。
「……そのまさか、だよ」
言うが早いか、彩の腕が俺の首に回され、そのままギュッと顔が近づいて――。
ちゅ、と。
リップクリームの甘い匂いと一緒に、柔らかい感触が俺の唇に重なった。
頭の中が真っ白になる。
でも、数秒の硬直の後、俺はすぐに我に返った。
いくらヘタレなモブとはいえ、大好きな彼女にここまでされて、黙って受け身でいるのはさすがに男としてダサすぎる。
俺は彩の細い腰に両腕を回し、離れようとした彼女の背中を抱き寄せて、今度は俺の方から深く唇を塞いだ。
「……んっ」
彩が小さく肩を震わせ、俺のパーカーの胸元をギュッと強く握りしめる。
少しだけ長めの、静かな時間が流れる。
ゆっくりと唇を離すと、至近距離の彩は、目元を潤ませて顔を真っ赤にしていた。
「……大胆すぎだろ、お前」
「だって……渉くん、待ってたら絶対自分からしてこないと思ったから。……恋人としての行動をしたくて」
息を乱しながら、いかにもクーデレで理屈っぽい言い訳をする彩。
でも、その声は嬉しそうに甘く震えていた。
「……大好き」
ぽつりとこぼされたその言葉に、俺の胸の奥が熱くなる。
俺はもう一度、愛おしくてたまらない俺だけのヒロインを強く抱きしめた。
「俺も。大好きだ」
他人の恋を応援して、観客席から眺めているだけだった俺たち。
でも今は、この狭いソファの上が、世界中のどんな物語よりも甘くて、一番幸せな場所だった。
第71話までお読みいただき、本当にありがとうございました。
これにて『裏方モブ』たちの物語、本編完結となります!
他人のラブコメを特等席で観測し、裏から応援していたただのモブと相棒。
そんな二人がついに観客席を飛び出し、自分たち自身の物語の「主人公とヒロイン」になることができました。
本編はこれにて完結となりますが、次回は【エピローグ】を更新します!
晴れて恋人同士となった二人の、その後を描いた甘い後日談となる予定です。
引き続き、次回のエピローグも最後までお楽しみいただけますと幸いです。
面白かった、二人が幸せになってよかった! と思っていただけましたら、ぜひ下部の【☆☆☆☆☆】から応援やレビューをよろしくお願いいたします!




