第66話:ラブコメと、ただのクラスメイト
青白い光に照らされた円柱型の水槽。
その少し離れた陰から、俺と彩は息を潜めて前方の二人を見守っていた。
距離があるため、一条さんの声は聞こえない。
でも、真っ赤な顔で一生懸命に何かを伝えている様子や、それを受けて海斗が驚いたように目を丸くしているのを見れば、何が起きているのかなんて一目瞭然だった。
少しの沈黙の後。
海斗が、憑き物が落ちたような優しい顔で小さく頷いた。
その瞬間、一条さんが嬉し泣きのような、ホッとしたような顔になり、そのまま海斗の腕にギュッと抱きついた。
海斗も少し戸惑いながら、ゆっくりと彼女の背中に手を回す。
「……おー、やってるな」
「うん。……大成功、だね」
俺たちは顔を見合わせ、満足げに笑い合った。
ずっと裏から見守ってきたメインカップルが、ついに結ばれた瞬間。
やっぱラブコメはこうじゃないとな、と謎の達成感が胸を満たしていた。
これで、俺たちの見守り任務は完全達成だ。
水族館を出た頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。
駅へ向かう道すがら、並んで歩きながら俺たちはこれまでの裏工作を振り返っていた。
「いやー、なんかあっという間だったな。終わってみると」
「うん。色んなこと、あったね」
「海斗に無理やり風邪引かせて、一条さんにプリント届けに行かせた時は、さすがにちょっと罪悪感あったわ」
「ふふ、あったねそんなこと。でも、あの日から一気に二人の距離縮まったよね」
そんな風に笑い合いながら、彩の家へと向かう。
だけど、彩の家が近づくにつれて、俺の口数は少しずつ減っていった。
(……これからは、どうするんだ?)
喉の奥まで出かかっているその一言が、どうしても聞けない。
任務が終わった今、俺と彩を繋いでいた明確な理由はなくなってしまった。
「もう用はないでしょ」とあっさり言われてしまうのが怖くて、俺は結局、その言葉を飲み込むしかなかった。
「……着いた」
彩の家の前に到着した。
彩はくるりと振り返り、こちらを見上げた。
少しだけ寂しそうな、でもどこかスッキリしたような、そんな不思議な表情だった。
「今日は、ありがとう」
「……おう。お疲れさん」
「じゃあ、またね。月曜、学校で」
「月曜、学校で」。
ただのクラスメイトなら、ごく当たり前の別れの挨拶だ。
でも、今の俺にとってそれは、「明日の休日はもう会えない」という残酷な宣告のように聞こえた。
「……おう、またな」
それだけ返すのが精一杯だった。
彩が家の中に入っていくのを見届けてから、俺は一人で来た道を引き返した。
翌日の日曜日。
俺はアパートの一階にあるカフェで、朝からアルバイトに入っていた。
カランコロン。
ドアベルが鳴るたびに、俺は無意識のうちに入り口の方へ視線を向けてしまう。
(……いや、今日は来ないって言ってたし)
頭では分かっているのに、もしかしたら先週みたいに、ふらっと入ってきていつもの席に座るんじゃないか。
そんなあり得ない期待を捨てきれずにいた。
「渉くん、3番テーブルにアイスコーヒーね。……渉くん?」
「あ、はい! すみません、今行きます」
マスターに呼ばれて慌ててトレイを持つ。
さっきからオーダーを取り間違えそうになったり、グラスを拭く手が止まったりと、自分でも引くくらい全く身が入っていなかった。
結局、その日は一日中お店に立っていたけれど、彩が姿を見せることはなかった。
「……お疲れ様でした」
シフトを終えて自分の部屋に戻る。
静かで、誰の匂いもしないただの部屋。
休日に誰の予定もなく、一人の時間を過ごすなんて、少し前までは当たり前のことだったはずなのに。
なんだかひどく久しぶりな気がして、同時に、どうしようもない寂しさが込み上げてきた。
そして、月曜日の朝。
「……よし」
俺は鞄を持ち、少しだけ期待を込めてアパートのドアを開けた。
もしかしたら、また何食わぬ顔で迎えに来ているんじゃないか。
しかし、ドアの向こうには誰の姿もなかった。
「……だよな」
小さく息を吐き出し、一人で駅へと向かって歩き出す。
いつもなら隣に黒髪ショートの女子がいて、適当な世間話をしながら歩いていた通学路。
隣に誰もいないことが、こんなにも静かで、寂しいことだとは思わなかった。
プロデューサーの役目を終え、ただのクラスメイトに戻ってしまった『空白の1週間』が、ここから始まろうとしていた。
第66話をお読みいただき、ありがとうございました。




