第53話:モーニングコールと、密かな焦燥
日曜日。
いつもより少し早めに目が覚めた。
(……あー、早いな)
ベッドの中でぼーっと天井を見つめていると、玄関の方からガチャ、と鍵が開く音が聞こえた。
(……なんか来たな)
泥棒ではない。
この合鍵を持っている人物なんて、この世に二人しかいない。
リビングにコトッと荷物を置く音がして、パタパタと寝室に足音が近づいてくる。
(もしかして)
そう思っていると、ドアの隙間からひょっこりと彩が顔を出した。
バッチリと目が合う。
「おはよう……」
俺が声をかけると、彩も静かに返した。
「おはよう」
「なにしてるん?」
俺が素のトーンでツッコミを入れると、彩はしれっとした顔で言った。
「朝、女の子が起こしに来るっていう、ラブコメイベントを起こしてあげようと思って」
(なんで!? 昨日あんなに心臓削られたばっかりなのに!)
「いやいや、心臓保たないから!」
俺が抗議すると、彩は少しだけ上目遣いになって小首を傾げた。
「……嫌?」
「嫌ではない……けど、この頻度だともう通い妻みたいになるぞ」
俺がため息混じりに言うと、彩はハッとしたように目を見開いた。
そして、いつもはからかうような余裕の表情を崩さない彼女が、珍しくポッと頬を赤くした。
なんだか急に、気まずいような甘いような空気が流れた。
◇ 彩 視点 ◇
(……『通い妻』って……)
休日の朝。
私は渉くんの部屋のキッチンで、二人分の目玉焼きを焼きながら小さくため息をついた。
昨日も一日中一緒にいたのに、朝起きたらもう会いたくなっている自分がいた。
だからって合鍵を使って朝から突撃するなんて、我ながらかなり大胆に行動している自覚はある。
でも、相手はあの頑固な「自称モブ」の渉くんだ。
私からガンガン行かないと、一生あの安全圏から出てこない。
だから、これは彼を落とすための、必要なアピールなのだ。
『朝、女の子が起こしに来るっていう、ラブコメイベントを起こしてあげようと思って』
あんな冗談めかした言い方をしたのも、半分は照れ隠しだ。
なのに、渉くんは「通い妻みたいになるぞ」なんて、核心を突くようなことを言うから。
(……そこまで分かってるなら、もうちょっとモブのバリアを解いてくれてもいいのに)
本人は無自覚なのが本当に焦れったくて、むず痒い。
それでも、こうして二人で並んで朝ごはんを作って、向かい合って食べているこの時間は、私にとってたまらなく好きだった。
「ごちそうさま。じゃあ、俺はバイトの準備するわ」
「うん」
食後、カフェのエプロンをカバンに詰める渉くんの背中を見つめる。
彼の中で、私がもっと『特別な存在』になれたらいいな。
そんな淡い期待を込めて、私は玄関に向かう彼の背中へ声をかけた。
「渉くん、行ってらっしゃい!」
できる限りの満面の笑顔で送り出す。
渉くんは一瞬ビクッとしてから、「お、おう……行ってきます」と少し顔を赤くしてドアを閉めた。
◇ 渉 視点 ◇
(いや、夫婦か!)
アパートの階段を降りながら、俺は内心で激しくツッコミを入れていた。
『行ってらっしゃい』なんて、休日の朝に笑顔で見送られるモブなんて、少なくとも俺が読んでいるラノベのモブにはいない。
顔のニヤけを必死にごまかしながら、俺はバイト先であるカフェへと向かった。
昨日の密室イベントのせいでラブコメ疲れを起こしているはずなのに、いざバイトが始まると、なぜか今日の俺はすこぶる調子が良かった。
「アイスコーヒー、お待たせいたしました」
「あ、ありがとうございます……」
次々と入るオーダーを、流れるような手際で捌いていく。
俺は重い前髪で顔を隠した地味なモブのつもりだが、最近、彩に「よく見たら顔立ち整ってるし、スペック高い」と言われたせいか、妙に自分の動きに迷いがなくなっている気がする。
ただ淡々と労働をこなしているだけなのに、なぜか女性客からの視線をチラホラと感じるような……いや、気のせいだろう。
(まあいい。今はひたすら労働という名の癒やしに集中だ)
カラン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー……」
声を出して入り口を見ると、そこには見慣れた黒縁メガネの相棒が立っていた。
彩だ。
彼女は慣れた様子で、俺の仕事の邪魔にならないフロアの隅の席へと歩いていく。
俺はお冷とおしぼりを持ち、彼女のテーブルへと向かった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ふふっ。アイスティーでお願いします、店員さん」
店員と客という体裁を装いながら、注文を取る。
今日は午後から、ペアルックのための服探しデートが控えている。
昨日までは「モブには荷が重い」とあれほど怯えていたはずなのに。
不思議なことに、今の俺は午後からの予定に向けて、どこか足取りが軽くなっているのを自覚していた。
第53話をお読みいただき、ありがとうございました。




