第50話:確信犯と、メンタルが減るモブ
「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
自分の腕の中にすっぽりと収まっている、見慣れたショートヘアのつむじ。
恐る恐る布団の中を覗き込むと、そこには俺のパジャマを着て、気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている彩の姿があった。
(……やばすぎる。この状況はマジでやばすぎるだろ)
何がやばいって、来週末のお泊まりを許可してくれた彩のお母さんに、これっぽっちも顔向けができない。
門限をきっちり守る真面目なモブとして勝ち取ったあの信頼が、一瞬で台無しになる事態だ。
おそらく俺が眠っている間に、合鍵を使って静かに部屋に入ってきたんだろう。そこまではいい。いや良くないけど百歩譲っていいとして、なんで俺の布団の中にまで入ってきてるんだ。
パニックになりながらも、とりあえずこの状況をどうにかしないといけない。
「あ、あの……彩さん。あやかさん、起きてください」
テンパりすぎて距離感のおかしくなった呼び方で、俺は肩をそっと揺すった。
「……んぅ」
彩が目をこすりながら、少し眠たそうな目でこっちを見た。
そして、こちらの焦りなど全く気にしていない様子で、平然と口を開く。
「おはよう、渉くん。……どう? ラブコメイベントは。ドキッとした?」
(確信犯だ、こいつ……。最初から俺が目を覚ますのを狙って、わざと腕の中に潜り込んでいたらしい)
「……素直に、心臓に悪いです」
俺が引きつった顔で答えると、彩は布団の中から少しだけいたずらっぽく笑った。
「ふふっ。でも、手は離さないんだね」
「えっ……」
言われてハッとする。
俺の左腕は、いまだに彩の細い体をガッツリとホールドしたままだった。
抱き枕と勘違いして三度寝まで堪能していた時の名残だ。
「うおっ、わりぃ!」
慌てて手を離し、ベッドから飛び出す。彩は少し不満そうに起き上がった。
「……もう少し寝てても、良かったのに」
「よくないわ! というかお前、なんでここにいるんだよ!」
今日は俺が彩の家に行く予定だったはずだ。まさか彩がこっちの家に来るなんて一ミリも想定していなかった。朝早く合鍵で入って、わざわざ俺の部屋着に着替えて布団に入ってきたってことだろう。
「なんで布団の中にいるの?」
俺が問いただすと、彩はいつも通り平然と答えた。
「眠かったから」
「眠かったら彼氏でもない男の布団に入るか?」
「彼氏じゃないけど、信用してるから。……あと、寒かった」
「寒かったなら……って、そうじゃなくて!」
一瞬『それならしょうがないか』と納得しかけた。危ない危ない
「俺も一応男だから、その辺はちゃんと気をつけてもらいたいの。あと、こういうことが続くと、来週のお泊まり自体を考え直さなきゃいけなくなるから。マジで心臓に悪いので、もうやめてください」
真面目に説教をする俺に対し、彩はベッドの上で膝を抱えながら呟いた。
「……別に、減るもんじゃないし」
「減るんだよ! 俺のメンタルが減るんだよ!」
朝からエネルギーを使い果たし、俺はガックリと肩を落とした。
時計を見ると、もう午前十時を過ぎている。
朝ごはんを食べるには遅い時間だが、無性にお腹が空いてきた。
「……腹減ったな」
「……うん。私も、朝ごはん食べてない」
「なんでだよ」
結局、二人で並んでキッチンに立ち、サクッと作れる卵かけご飯を食べることにした。
熱々の白米に卵を落とし、醤油を少したらして一気にかき込む。
さっきまで同じ布団に入っていたとは思えないほど、地味で普段通りの時間が流れる。
「……で、冷静になって聞くけどさ」
俺はご飯を飲み込んで、お冷を口にした。
「今日、何時にお前んちに行けばいい?」
「お昼ご飯を食べてから行こう」
「お昼何食べるんだ?」
「……実は、近くで行ってみたいラーメン屋さんがあって。そこに行きたい」
それなら、お昼時になって混む前に出発した方が良さそうだな。
俺たちは急いで準備を済ませ、十一時過ぎにアパートを出発した。
十一時半前、彩のお目当てだというラーメン屋に入る。
まだ店内はそこそこ空いていて、俺たちはカウンター席に並んで座った。注文した特製醤油ラーメンが運ばれてくると、出汁のいい匂いがする。
「いただきます」
ズズッと麺をすする。普通に美味い。
ただ、ラーメンを食べている間も、俺の頭の片隅にはまだあの「布団の中の感触」が残っていて、なんとなくドギマギしていた。
隣をチラッと見ると、仕掛け人であるはずの彩は、フーフーと器用に麺を冷ましながら、至極普通にラーメンを堪能している。
(こっちだけが一方的に意識させられて、メンタル削られてる気がする……。なんか、ちょっとムカつくな)
俺は少しだけ悔しい気持ちになりながら、チャーシューを口に放り込んだ。
昼過ぎ。
ラーメン屋を出て少し歩き、俺たちは彩の住むアパートの前に到着した。
いつもの送り迎えのゴール地点。だけど今日は、ここで終わりじゃない。
「じゃあ、入りますか」
彩がバッグから鍵を取り出し、ドアを開ける。
朝のパニックとはまた違う変な緊張感を抱えたまま、俺はモブとして初めて、女子の部屋へと足を踏み入れた。
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