第35話:お昼の包囲網と、アシストという名の共同作業
「……ふぅ。行ったぞ」
風間と一条さんの背中が雑貨屋の出口に消えていくのを見届けてから、俺は小さく息を吐いた。
俺の胸に顔を埋めていた鈴木さんも、ゆっくりと体を離す。
お互いの顔は、鏡を見なくても分かるくらい真っ赤に茹で上がっていた。
「……完璧な、隠密行動だった」
「お、おう。そうだな。特訓の成果が出たな」
俺たちは必死に平静を装いながら、変な汗を拭った。
緊急カモフラージュという言い訳があったとはいえ、あそこまで密着するのは心臓に悪すぎる。
右腕には、まだ彼女の柔らかい感触と温もりがはっきりと残っていた。
時刻は正午を回り、ショッピングモール内はさらに人が増え始めていた。
「あいつら、一階の方に降りていくぞ」
「……お昼、食べるのかも」
少し距離を開けてついていくと、二人は昨日俺たちが下見で利用した、あのカジュアルな洋食カフェの前で立ち止まった。
どうやら風間が店を提案し、一条さんが笑顔で頷いているようだ。
「やっぱりあそこか。俺たちの読み通りだな」
「……うん。見守りには最適な場所」
俺たちは二人が入店してから数分ほど時間を潰し、自分たちも「普通の客」を装ってカフェのドアをくぐった。
店員さんに案内されたのは、奇跡的にも主役カップルが座っているすぐ隣のボックス席だった。
背もたれが高く、すりガラスの仕切りがあるため姿は全く見えないが、声はばっちり聞こえてくる、という裏方としては絶好のポジションだ。
俺たちは声を潜め、昨日と同じオムライスとパスタを注文した。
そして、耳だけを隣の席へと全集中させる。
しかし、隣の席から聞こえてくるのは、カチャカチャとグラスの氷が揺れる音だけだった。
(……おいおい、完全に沈黙してるぞ)
初デート特有の、あの気まずい沈黙だ。
どうやら風間は極度の緊張でガチガチになってしまい、話題が完全に尽きてしまったらしい。
一条さんが優しく「お店、混んでるね」とフォローしているが、風間は「そ、そうだね」と返すだけで、会話が全く膨らんでいかない。
「やばいな……風間のやつ、完全にフリーズしてる」
「……このままじゃ、せっかくの初デートの空気が悪くなる」
向かいに座る鈴木さんが、深刻な顔で眉をひそめた。
俺たちも、美味しいはずの料理の味が全然入ってこない。
「……佐藤くん。ちょっとだけ、パスを出そう」
「パス?」
鈴木さんが俺を見て、小さく頷く。
そして、わざと少しだけ大きめの、隣の席にも聞こえるくらいの声で話し始めた。
「……ねえ、佐藤くん。そういえば、〇〇の最新話、見た? ヒロインがすごく可愛かった」
それは、俺たちが昨日ゲームセンターでぬいぐるみを獲った、あの人気ラノベのアニメの話だった。
風間も一条さんも、そのアニメを見ているという情報を俺たちは事前に掴んでいる。
俺は鈴木さんの意図を察し、すぐに話を合わせた。
「見た見た! あのシーンの主人公のセリフ、めちゃくちゃ熱かったよな! まさかあそこで助けに来るなんて思わなくてさ」
「……うん。あの二人は、絶対にハッピーエンドになるって信じられる」
俺たちが熱量高めに語り合っていると、隣の席から「あっ」という風間の小さな声が聞こえた。
「そ、そういえば一条さん、あのアニメ見てるって言ってたよね……? 今週の話、もう見た?」
「うん、見たよ! 私もあのシーン、すごく感動しちゃって……」
見事に話題のパスを受け取った二人の会話が、そこから堰を切ったように弾み始めた。
どうやら危機は脱したらしい。
「……ふう」
俺がテーブルの下で小さくガッツポーズをして右手を差し出すと、鈴木さんも「……成功」と口パクで微笑み、手を伸ばしてきた。
ハイタッチをして喜びを分かち合う……はずだった。
パシッ、と掌を合わせるのではなく。
鈴木さんの細くて白い指先が、俺の指の間にスッと入り込み、そのままギュッと強く絡め取ってきたのだ。
「えっ……」
驚いて顔を上げると、鈴木さんはグラスのストローを咥えながら、どこか別の方向を向いている。しかし、テーブルの下で俺の手を握る彼女の指には、確かな力がこもっていた。
伊達メガネの奥から、ほんの少しだけ俺を上目遣いで覗き見る。
(……っっ、可愛いけど心臓に悪い……!)
「……佐藤くんとの連携、ばっちりだったね」
「あ、ああ。俺たち、裏方としては良いのコンビかもな……」
俺は顔から火が出そうになるのを必死に堪えながら、テーブルの下で彼女の温かい手をそっと握り返した。
食事が終わり、店を出る主役カップルに続いて、俺たちも外へ出た。
午後一時。
ショッピングモールは、ゴールデンウィークのピークらしい激しい人混みになっていた。
家族連れやカップルが通路を埋め尽くし、少し目を離せば風間たちの背中を見失ってしまいそうだ。
「うわ、すごい人だな。これ、はぐれないように気をつけないと……」
俺が周りを見渡しながら焦っていると。
スッ、と。
俺の右手に、再び鈴木さんの手が重ねられた。
今度はテーブルの下ではなく、大勢の人が行き交う通路のど真ん中で。
彼女は俺の指の間に自分の指を滑り込ませ、しっかりと『恋人繋ぎ』の形を作った。
「す、鈴木さん……?」
驚いて隣を見ると、鈴木さんはベレー帽の鍔を少しだけ下げて、顔を隠すように俯いていた。
しかし、その耳の先は茹でダコのように真っ赤に染まっている。
「……はぐれたら、見守りに支障が出る。……だから、これは必要な措置」
震えるような小さな声で、彼女はいつもの大義名分を口にした。
俺は、繋いだ手から伝わってくる彼女の熱と、不器用すぎる言い訳に、どうしようもなく胸が甘く締め付けられるのを感じた。
「そ、そうだな。背に腹は代えられないしな。……絶対、はぐれないようにするから」
俺は彼女の手をしっかりと握り直し、風間と一条さんの背中を追って歩き出した。
完全に「手を繋いで歩くカップル」になりきった状態で。
主役たちをくっつけるための見守りは、いつの間にか、俺たち自身の関係を決定的に変えてしまう甘い時間へとすり替わっていた。
第35話をお読みいただき、ありがとうございました。




