第31話:俺の家の鍵と、手料理のぺぺたま
「いらっしゃいませ!」
木曜日。
ゴールデンウィークの合間の平日だが、学校は休みだ。
俺は朝から、駅前のカフェでアルバイトに勤しんでいた。
世間はすっかり連休モードで、朝から客足が絶えない。
フロアとキッチンを慌ただしく行き来しながら、俺の頭の片隅には「今日も鈴木さんが俺の部屋に来るんだな」という事実がふわりと浮かんでいた。
ただのクラスメイトの女子が連日家にやってくるという異常事態。
それなのに、俺はなぜかそのことに変な安心感と、心地よい日常感すら覚え始めている自分がいた。
時計が十一時を少し回る前。カラン、とドアのベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、一名様で……あ」
入り口に立っていたのは、鈴木さんだった。
今日の彼女の私服は、これまでに見せた大人っぽいものや可愛い系とはまた違う、バチバチにクールなストリート系のファッションだった。
白のクロップド丈のTシャツに、少しオーバーサイズの黒いテーラードジャケット。
ボトムスはスタイルが良く見える黒のハイウエスト・ダメージワイドデニムで、目深に黒のキャップを被っている。
(……なんだあの完成度。)
俺が内心でツッコミを入れていると、鈴木さんはキャップの鍔を少し上げ、俺を見て小さく手を振った。
しかし、店内を見渡して彼女はすぐに状況を察したらしい。
「ごめん、鈴木さん。今、満席で……座るところがないんだ」
俺が申し訳なく伝えると、彼女は少しだけ目を伏せた。
「……そっか。じゃあ、どこかで時間潰してくるね」
踵を返そうとしたその横顔が、まるで雨に濡れた捨て猫のように、ひどく寂しそうに見えた。
(……っ、そんな顔されたら、放っておけるわけないだろ)
「あ、ちょっと待ってて!」
俺は鈴木さんを引き止めると、小走りでバックヤードの更衣室へ向かった。
自分のロッカーを開け、リュックの中から『自分の家の鍵』を取り出してフロアに戻る。
そして、他のお客さんから見えないようにカウンターの影で、彼女の手にそれをこっそりと握らせた。
「……え?」
「これ、俺の部屋の鍵。外で時間潰すのも大変だろ。家上がって、適当に本でも読んでていいから」
鈴木さんは目を丸くし、手の中の金属の鍵と俺の顔を交互に見つめた。
「……え、いいの?」
「何度も来てるだろ。部屋着にもなれていいじゃん」
「……それは、そうだけど」
「それに、貴重品なんてないし……鈴木さんのこと、信用してるからさ」
俺が笑って言うと、鈴木さんはギュッと鍵を握りしめ、小さく頷いた。
「戸締まりだけしっかりな。終わったら電話するから開けてくれ。……あ、それと」
俺は声をひそめ、彼女にだけ聞こえるように付け足した。
「今日の服も、めちゃくちゃカッコよくて似合ってるぞ」
その言葉に、鈴木さんはキャップの奥で分かりやすく目を見開き、耳の先をパァッと赤く染めた。
「……っ。……うん。じゃあ、部屋で待ってる」
彼女はそれだけ言い残し、足早に店を出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は再び仕事へと戻った。
昼過ぎ。
激務のピークを乗り越え、バイトを終えた俺は、少し早足で自分のアパートへと向かっていた。
(……しかし、よく考えたら自分の部屋の鍵渡すって、完全に同棲一歩手前なやつのイベントだよな)
歩きながら冷静になり、今更になって顔が熱くなってくる。
アパートの階段を上がり、自分の部屋の前へ。
スマホを取り出して「今着いた」と電話をかけようとした、その瞬間だった。
ガチャリ、と内側からドアが開いた。
「……お疲れ様」
ドアの隙間から顔を出したのは、すっかりあの『置き部屋着』のグレーのパーカーとショートパンツに着替えた鈴木さんだった。
「おっ、おう。ただいま。……って、なんで俺が帰ってきたの分かったんだ?」
「……足音。あと、時間的にそろそろ帰ってくる頃かなって思って」
彼女はクールな表情のまま、少しだけ誇らしげにふっと笑った。
(……新婚か何かですか?)
俺は理性を総動員して動揺を抑え込み、「ただいま」と自分の部屋に上がった。
部屋の中は、俺が朝出た時よりも少しだけ片付いていて、微かに彼女の甘いシャンプーの香りが漂っていた。
「昼飯、どうする?」
俺が着替えながら尋ねると、鈴木さんはローテーブルの前に座ったまま首を傾げた。
「明日の本番(見守り)で、もしかしたら何かとお金使うかもしれないだろ? だから、今日は自炊で節約しようかと思うんだけど」
「……賛成。じゃあ、私、作る。キッチン貸して」
「え? 鈴木さんが?」
「……ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど。冷蔵庫、大したもの入ってないぞ?」
鈴木さんはスッと立ち上がり、冷蔵庫を覗き込んだ。
「……卵と、ニンニク、ベーコン……パスタもある。じゃあ、ぺぺたまでいい?」
「ぺぺたま? ペペロンチーノと卵のやつか。美味そうだな、お願いしていいか?」
「……うん。任せて」
鈴木さんは器用にエプロンを身につけ、手際よく調理を始めた。
フライパンからニンニクとベーコンの香ばしい匂いが漂い、卵を絡めるまろやかな音が部屋に響く。
俺はローテーブルで麦茶を飲みながら、キッチンに立つ彼女の背中をぼんやりと眺めていた。
(……モブの休日にしては、あまりにも充実しすぎている)
「……お待たせ。できたよ」
数分後、湯気を立てる二つのお皿がテーブルに並べられた。
ニンニクのパンチが効いた香りに、とろとろの卵がパスタに絡んでいて、見ているだけで喉が鳴る。
「うわ、めっちゃ美味そう。いただきます」
俺は早速フォークでパスタを巻き取り、口に運んだ。
「……っ! 美味い! なんだこれ、お店で出せるレベルじゃん!」
「……本当?」
「本当本当。ニンニク効いてるのに卵でまろやかになってて、無限に食えるわ」
(料理までできるのか…。)
俺が夢中で食べ進めると、向かいに座る鈴木さんはホッとしたように頬を緩め、自分もパスタを口に運んだ。
「……よかった」
二人で向かい合って食べる、手料理のぺぺたま。
テレビの音だけが静かに流れる部屋で、俺たちは時折「美味しいな」と言い合いながら、穏やかなお昼の時間を過ごした。
第31話をお読みいただき、ありがとうございました。




