第26話:私服と、出発までの待機時間
ドアノブを回し、ゆっくりと扉を開ける。
そこには、朝の清々しい空気の中に立つ鈴木さんの姿があった。
「……おはよう、佐藤くん。……早かった?」
少し照れくさそうに微笑みながら俺を見上げる彼女の姿に、俺は一瞬だけ言葉を失い、思わず見惚れてしまった。
今日の彼女の私服は、これまでに見せてくれたクール系や大人びた雰囲気とはまた違う、随分と女の子らしいコーディネートだった。
トップスは、肩のラインが綺麗に見える淡いベージュのオフショルダー。
そしてボトムスは、黒いミニスカートだ。足元にはいつもの黒いショートブーツを合わせている。
ただでさえスタイルがいいのに、そんな服装をされたら、嫌でも「女の子」を意識してしまう。
女の子慣れしていない俺は、動揺を悟られないように慌てて視線を少しだけ逸らした。
「お、おはよう。……また今日も、なんか意外な服だな」
「……そう?」
「ああ。……とりあえず、朝はまだ冷えるし、寒いから入れよ」
「……お邪魔します」
俺が促すと、鈴木さんはコクリと頷いて靴を脱ぎ、部屋へと上がってきた。
ローテーブルの前に座る彼女に温かいコーヒーを出しながら、俺は今日の予定を確認する。
「それで、今からどうする? すぐに駅に向かうか?」
「……ううん。出発は、九時半。……今日はただの下見じゃなくて、当日の『シミュレーション』。風間くんと一条さんがマンションを出発して駅に向かう時間に合わせないと、電車の混み具合や駅の雰囲気が確認できないでしょ?」
「あ、なるほど。確かにそうだな」
「……だから、それまではここで待機」
言っていることはもっともだった。
俺たちはただ遊びに行くわけではなく、あくまで主役たちを完璧に見守るためのロケハンなのだ。
「分かった。じゃあ、九時半まで適当に本でも読んで時間潰すか。集中してると時間忘れそうだから、九時十五分にアラームかけとくよ」
「……うん。お願い」
俺はスマホでアラームをセットし、鈴木さんの対角線上に座って、読みかけのラノベを開いた。
……しかし、だ。
休日の朝八時。
一人暮らしの男子高校生の部屋に、オフショルとミニスカートという可愛い私服の女の子がいる。
向かいに座って静かに本を読んでいるだけなのに、どうしても視界の端に彼女の白い肩や、ミニスカートから伸びる脚がチラついてしまう。
(だめだ、意識しすぎだろ俺……。ただの同志だぞ)
必死に文字を追おうとするものの、内容が全く頭に入ってこない。
無意識のうちに、本から少しだけ視線を上げて彼女の方をチラチラと見てしまっていたらしい。
不意に、鈴木さんがパタンと本を閉じ、こちらを真っ直ぐに見た。
「……ねえ、佐藤くん。さっきから見てるけど……私の服、何か変かな?」
「えっ!? い、いや、変じゃない! 変じゃないよ!」
唐突に見透かされたように聞かれ、俺は慌てて首を横に振った。
「変じゃないけど……なんていうか、服、すごくお洒落だなって思って」
「……お洒落?」
「うん。学校では、その…目立たないタイプだし、落ち着いた女の子なのかなって勝手に思ってたから。でも、土曜日の服も今日の服も、ことごとくお洒落で可愛いからさ……正直、ちょっと戸惑ってるというか」
俺が誤魔化しきれずに率直な感想をこぼすと、鈴木さんは少しだけ目を瞬かせ、それから視線を落として自分のオフショルの袖を指先でいじり始めた。
「……これ、言い訳みたいになるかもしれないけど」
「ん?」
「……私、ラノベ読んでて。ヒロインが挿絵とかで着てる服って、どんな感じなのかなって気になってた時期があって。それで、お店で似たような服を試着してみたの」
「ああ、なるほど。ラノベのヒロインの服か」
「……うん。そしたら、店員さんが『すごく似合う、可愛いですよ』って言ってくれて。……そのまま、つい買ってしまったやつで」
彼女はそこで言葉を区切り、少しだけ上目遣いで俺を見た。
「……この前の服も合わせて、今日で三着目だけど。実際のところ、どうかな」
「実際のところ?」
「……店員さんは、服を売るのがお仕事だから。似合ってなくても、絶対に否定はしないと思う。……だから、佐藤くんの率直な意見が欲しいなって」
少し不安そうに、でもどこか期待するような瞳で尋ねられる。
『店員さんのお世辞かもしれないから、男友達としての本当の評価を教えてほしい』という、彼女なりの照れ隠しを含んだ口実だった。
俺は顔が熱くなるのを感じながら、誤魔化すことなく、心の中で思っていたことをそのまま口にした。
「……いや、本当に可愛いよ。めちゃくちゃ似合ってる」
「……ほんと?」
「本当だって。……ただ、その、可愛すぎるから。男としては、正直、目のやり場に困るくらいには……破壊力あるけど」
俺がしどろもどろになりながらそう答えると、鈴木さんはピタッと動きを止めた。
そして、耳の先まで真っ赤に染めながら、手元にあった文庫本で自分の顔の半分を隠してしまった。
「……そっか。……なら、よかった」
本越しに聞こえたその声は、普段のクーデレな彼女からは想像もつかないくらい、甘くて柔らかい響きを持っていた。
それからの一時間。
俺たちの間には、むず痒くて甘酸っぱい沈黙が落ちていた。
お互いに本を開いてはいるものの、ページをめくるペースはあきらかに遅い。
静かな部屋の中には、時折ページを繰る音と、少し早まったお互いの呼吸の音だけが聞こえていた。
やがて、ピピピピッと、テーブルの上に置いたスマホのアラームが鳴り響いた。
時刻は九時十五分。
「……時間、だな」
俺がアラームを止めながら言うと、鈴木さんも本をバッグにしまいながら小さく頷いた。
「……うん。本番のあの二人は、きっと今頃、待ち合わせの準備をしてるはず」
「そうだな。じゃあ、俺たちもシミュレーションを開始しようか」
俺が立ち上がってカーディガンを羽織ると、鈴木さんもスッと立ち上がり、玄関へと向かった。
ただの下見、ただのシミュレーション。
そう自分に言い聞かせるための言葉は、すでに俺たちの間では、ただの照れ隠しの『言い訳』でしかなくなっていた。
第26話をお読みいただき、ありがとうございました。




