第19話:オタク部屋と、穏やかな午後
共通の趣味を持つ同志ならではの、最高に居心地の良い午後のひとときをお楽しみください。
俺の住む2DKのアパートは、一人暮らしにしては少しばかり持て余す広さがある。
リビングの壁際を埋め尽くしているのは、この一年の間に買い溜めたライトノベルや漫画が詰まった、三つの大きな本棚だ。
「……お邪魔します。……うわ、よく見るとすごい」
靴を脱いで上がってきた鈴木さんが、真っ先にその本棚へ吸い寄せられていった。
先ほどまでカフェで大人びた空気を纏っていた私服姿の彼女だが、今は目をキラキラさせて背表紙をなぞっている。完全にオタクの顔だ。
「適当にクッション使って座ってくれ。飲み物、麦茶でいいか? さっきのカフェで余った茶葉で淹れたアイスティーもあるけど」
「……麦茶でいい。……それより佐藤くん、この『君と綴る終末の境界線』の三巻、買ったんだ」
「ああ、発売日に本屋で買った。あの巻のラスト、ヒロインが主人公の背中に向かって呟く独白、めちゃくちゃ良かっただろ?」
「……うん。あの『……バカ』の一言に、これまでの葛藤が全部詰まってる。主人公の鈍感さが、逆に良いスパイスになってる」
鈴木さんは、俺が差し出したクッションに膝を抱えて座ると、さっそく三巻を手に取った。
俺も冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぎ、彼女から少し離れた場所に腰を下ろす。
それからの時間は、驚くほど静かだった。
お互いに自分の好きなラノベを読み進め、キリの良いところで「ここの描写、ずるくないか?」「……分かる。心理描写が神」と短い感想を言い合う。
普通、女の子を初めて部屋に呼んだのなら、もっと気を使って話しかけたりするものなんだろう。でも、俺たちにはそういう気遣いは必要なかった。
同じ物語を読んで、同じポイントで共感する。ただそれだけで、沈黙すらも全く苦にならないくらい居心地が良かった。
一時間ほど経った頃、鈴木さんがふと本から顔を上げた。
「……ねえ、佐藤くん。そろそろ、あっちの定点観察の時間じゃない?」
「おっと、そうだった。趣味に没頭しすぎてすっかり忘れるところだった」
俺たちは本を置き、並んで南側の窓際へ移動した。
ここからは、道路を挟んだ向かいのマンション、風間と一条さんの部屋がよく見える。
俺たちが「特等席」と呼ぶこの場所からは、今日も平和な光景が広がっていた。
「……風間くん、ベランダで洗濯物を取り込んでる。動きも普通だし、風邪は完全に治ったみたいだね」
「だな。一条さんもさっきベランダに顔出してたし。昨日の手料理の一件で、二人の間の変な壁みたいなものはすっかりなくなったみたいだ」
「……うん。私たちの裏工作、結果的に大成功。……これでやっと、罪悪感なしでよく眠れる」
鈴木さんは窓枠に肘をつき、安心したように小さく息を吐いた。
その横顔を、俺はぼんやりと眺める。
学校で見せる地味な姿ではなく、黒のノースリーブニットを着こなす彼女。
自分たちの恋ではなく、他人の恋のフラグを見て一喜一憂している彼女の姿が、今日はなんだか妙に魅力的に見えてしまう。
いや、いかんいかん。俺はまた「ギャップ萌え」に当てられているだけだ。
俺たちはあくまでモブで、同志だ。
変な勘違いをするな、と自分に言い聞かせる。
「……佐藤くん? どうかした?」
「えっ!? あ、いや、なんでもない。ちょっと外が眩しいなと思って」
「……そう? もう結構、太陽低いけど」
鈴木さんに言われて気づいた。いつの間にか窓から差し込む光はオレンジ色に染まり、部屋の中に長い影を作っていた。
四月下旬の太陽は、意外なほど早く落ちていく。
「……佐藤くんの部屋、居心地が良くて、あっという間に時間が過ぎる」
「はは、ただ本がいっぱいあるだけだろ。でも、そう言ってもらえると掃除した甲斐があったよ」
俺たちは再び本棚の前に戻り、今度はどのイラストレーターの挿絵が好きかという話題で盛り上がった。
自分の部屋に、自分と同じ趣味を持つ人間がいる。
ただそれだけのことが、なんだかとても不思議で、新鮮だった。
夕闇がじわじわと部屋の隅から忍び寄ってくる。
楽しい時間は本当にあっという間で、俺は、まだもう少しこの静かな空間を共有していたいなと、柄にもないことを考えていた。
第19話をお読みいただき、ありがとうございました。
ラノベについて語り合い、向かいのマンションを平和に観測する。モブ二人にとって、これ以上ないほど贅沢な時間でしたね。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎ、外はすっかり夕暮れ時。




