第17話:ダウナーな私服と、見知らぬ美少女
手料理イベントを見届け、主役二人のフラグを完全制覇した次の週末。
今度はモブ二人の、少し特別な休日が始まります。
昼過ぎから渉の部屋にやってくる予定の鈴木さん。
渉はいつも通りカフェでのバイトをこなしますが、そこに現れたのは……?
土曜日の朝。
俺は、朝の八時に起きて自室の簡単な掃除をしていた。
今日の午後十三時から、クラスメイトの鈴木さんが読み逃したラノベを読みに、この部屋へやってくることになっている。
女の子が自分の部屋に来るというのは、健全な男子高校生にとって間違いなく一大イベントのはずだが、不思議なことに俺の心には一ミリも浮ついた感情が湧いていなかった。
掃除といっても、床に転がっている服を洗濯機に放り込み、テーブルの上をウェットティッシュで拭き、散乱した空のペットボトルをゴミ袋にまとめる程度だ。
相手はあの鈴木さんである。
ラブコメの展開予想を熱く語り合い、一緒に『裏工作』をしてきた、いわば戦友であり同志。
感覚としては「趣味の合う男友達が遊びに来る」というのと何ら変わりはないのだ。
だからこそ、部屋に芳香剤を撒くような見栄を張ることもなく、俺は普段通りの適当な部屋のまま、九時からのアルバイトへと向かった。
俺の住むアパートの一階は、『カフェ・シュガー』という喫茶店になっている。
階段を降りて勝手口から店内に入ると、親戚の姉貴分である店長の薫さんが、すでに仕込みを始めていた。
「おはようございます、薫さん。今日もよろしくお願いします」
「おはよう、渉。今日は土曜だし、お昼前からはそこそこ混むかもしれないわよ。気合入れてね」
「了解です。しっかり働きますよ」
更衣室で、店の制服に着替える。
黒のスラックスに、パリッとした白のワイシャツ。その上から、店名のロゴが刺繍されたブラウンのギャルソンエプロンを腰にしっかりと巻く。
この制服を着ると、ただの高校生から「カフェの店員」へとスイッチが切り替わる気がして、俺は嫌いじゃなかった。
九時に開店したカフェには、近所の常連の老夫婦や、パソコンを開いて仕事をするサラリーマンなどが数人いる程度で、穏やかな時間が流れていた。
俺はコーヒーを運び、空いたグラスを下げ、カウンターを拭きながら、時折窓の外を眺める。
外はよく晴れていて、絶好のお出かけ日和だ。
向かいのマンションに住む風間と一条さんも、もしかしたらこの後、初めての週末デートにでも出かけるんじゃないだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていた。
時計の針が、午前十一時を回った頃。
カランカラン、と入り口のドアベルが軽快な音を立てた。
「いらっしゃいませ」と、グラスを磨いていた俺が条件反射で声を上げ、入り口へと顔を向ける。
そこに入ってきた客を見て、俺は一瞬、目を奪われた。
一人の、同年代くらいの女の子だった。
肩口で切りそろえられたショートヘア。
服装は、黒を基調としたシックでスタイリッシュなものだ。
足元は黒のショートブーツで、そこから伸びる細くて白い脚が、黒のショートパンツによって強調されている。
トップスはタイトなノースリーブのニットで、その上から少し大きめの黒いジャケットをルーズに羽織っていた。
いわゆる『ダウナー系』や『モード系』と呼ばれるようなファッションだが、それが彼女の持つミステリアスで冷たげな雰囲気と、恐ろしいほどにマッチしている。
学校で見かける陽キャの女子たちのような派手さはない。
だが、その洗練された黒のコーディネートは、思わず目で追ってしまうような強烈な引力を放っていた。
(……すげえ。あんな可愛い子、この辺に住んでたっけ?)
モブの悲しい性というか、俺はそんな美少女を前にして、無意識に「俺には縁のない世界の住人だ」と判断し、ただの店員としての接客モードを起動した。
「いらっしゃいませ。一名様ですか? お好きな席へどうぞ」
俺はメニューを持ち、窓際のテーブル席に座ったその黒づくめの美少女の元へと歩いていく。
彼女はスマホをいじっていたが、俺が近づくと顔を上げた。
黒縁のメガネの奥にある、どこか感情の薄い、しかし透明感のある瞳。
その顔を見て、俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「……え?」
「……佐藤くん」
俺の口から間の抜けた声が漏れ、同時に、彼女の口から俺の名前が発せられた。
低いけれど、聞き心地の良い平坦な声。間違いない。
「す、鈴木さん……っ!?」
「……うん。おはよう」
なんと、俺が見惚れていたダウナー系の美少女は、いつも学校で一緒にラブコメのメタ考察をしている、あの地味メン(女子)の鈴木さんだったのだ。
俺は手に持っていたメニューを落としそうになり、慌ててテーブルの上に置いた。
脳が状況を処理しきれていない。
学校での彼女は、指定の制服をきっちりと着込み、猫背気味でラノベを読んでいる、いわゆる「目立たない図書委員」タイプだ。
だが、目の前にいる彼女はどうだ。
黒のノースリーブニットから覗く白い腕、ショートパンツとブーツの絶対領域、そして黒いジャケットが醸し出すアンニュイな色気。
……嘘だろ。鈴木さんって、こんなに可愛かったのか?
いや、待て落ち着け俺。これはただのギャップ萌えだ。
いつも地味なキャラが私服になると可愛いっていう、アニメや漫画でよくあるアレだ。
決して、俺のラブコメが始まろうとしているとか、そういうことじゃない。
あくまで俺はモブなんだから。
「お、おい、鈴木さん……、十三時に俺の部屋に来るんじゃなかったのか? 今まだ十一時だぞ」
「……うん。家にいても暇だったから、早めに出てきた。……ここで、十三時まで時間を潰そうと思って」
鈴木さんは、俺のエプロン姿をじっと見つめながら、淡々と答えた。
「……佐藤くん、このカフェでバイトしてたんだね」
「あ、ああ。俺の住んでるアパートの一階がこの店なんだよ」
「……なるほど。灯台下暗し。制服姿、似合ってる」
鈴木さんが小さく首を傾げながらそう言うと、俺はなぜか急に自分のギャルソンエプロン姿が恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。
いかん、ただのクラスメイトに褒められただけで動揺するな。
「さ、サンキュ。……えっと、注文、どうする? 昼飯食うか?」
「……ううん、お昼はまだいい。とりあえず、アイスミルクティーを一つ。ガムシロップ多めで」
「りょ、了解。少々お待ちください」
俺は逃げるようにカウンターへと戻った。
心臓のバクバクが止まらない。
男友達が来ると思っていたら、とんでもない美少女が現れたのだ。
俺の心の中の『同志・鈴木さん』というフォルダが、エラー音を立てて一時的にバグを起こしているのを感じていた。
第17話をお読みいただき、ありがとうございました。
カフェに現れた謎の美少女……その正体は、いつも地味な鈴木さんでした!
ダウナー系の私服に身を包んだ彼女のギャップに、モブ主人公の渉も動揺を隠しきれません。




