12 アラルフィ大聖堂 2
■システィーナの視点
優しい波の音を聞きながら、私は目を覚ました。まだ室内は暗く、鉄格子のある窓の外もまだまだ暗く、日の出の一時間以上前のはずだ。
寝台から静かに起き上がると、隣のベッドで寝息を立てているコックリを見る。ああ、相変わらずコックリは私に背を向けて寝ている。壁に顔を向けて………逆三角形の背中で私を遠ざける。
………さびしいよ、コックリ。
そんなに私を遠ざけないでよ………。
私は昨日、ラフィ司教様の人魚姫の話を聞いて、コックリが私を遠ざける理由が、なんとなく分かった………。なぜ私に何もしないのか………なぜ何もしてくれないのか………なぜ私のすべてを貰ってくれないのか………なぜ私のすべてを奪ってくれないのか………なぜ私を抱いて、すべてを彼色に染めてくれないのか…………なぜ? なぜ?
理由が………分かった………。
すべて………私のためだ………。私の……… その後 を考えて………。
私はため息をついた。きっと彼は、私から誘っても絶対に私を抱かないだろう。彼は神殿騎士の名にかけて抵抗するはずだ。彼の私に対する考えがある限り………。
私は、切なさでうずく胸を押さえた。そこには果樹属性である私の特徴………大きく、豊かに実った胸がある。愛するひとに味わってもらうために四百年もの間、ただ一人の男性を待ち続けた大きな果実だ。でもこの果実を………その男性は触れることさえも拒み、それゆえに切なく張りつめ、敏感になる。
私はその果実を優しく下着におさめ、切なさを忘れるよういつも通り矯正具で押さえつける。コックリに生涯抱いてもらえないかもしれないのに、なぜ自分は果樹属性なのだろうか………。愛する男性に抱いてもらえないのに、なぜ男性を惹き付ける果樹属性なのだろうか…………。なぜ?
「グスッ………。」
暗闇の中、涙ぐみながら服を着てヴェネリアンストールで頭から耳を隠す。樹木の癒しの香りを発して人々を引き寄せる髪と、愛らしすぎて人々を引き寄せるこの顔を隠すためのいつものスタイルだ。世界中でただ一人だけを引き寄せてくれれば良いのに、それ以外の人々を引き寄せてしまう………。なんて皮肉なんだろう。
コックリの柔らかい髪に手を触れ、私は部屋を出た。
宿の外に出るとまだ町は暗く、白い壁も今はただ黒一色で染め上げられている。私の白い体も、この壁のようにコックリの色で染め上げて貰えたらどんなに幸せだろうか………。
縦に伸びる建物には、ちらほらとオレンジ色のランプのともしびが瞬く。私はひとり、アラルフィ大聖堂へとつながる階段を上っていく。見上げる空は黒からわずかに藍色にグラデーションを変え、水平線がオレンジ色の縁取りをし始める。私と同じように、ちらほらと階段を上っていくひとたちがいるのは、私と同じ目的があるからだろう。
アラルフィ大聖堂の早朝のミサに参列するためだ。
エルフの私は、善良なる霊威の聖霊よりも、万物に宿る精霊への信仰が専らだけれども、『 世界の平和と安寧を祈りたい 』という心は聖霊でも精霊でも同じだと思っていることから、ミサに参列することが多い。今もそうなのだけれど、本心は………悲しい心を………切ない心を、ミサで癒してもらいたいと思ったのだ。
朝の光がアラルフィを包む少し前………。
芸術の粋を集めた『 天国の回廊 』と謳われる美しい大聖堂内に、私はいた。ランプの淡い光に満たされた幻想的な大聖堂内では早朝のミサが行われ、参列した人々の祈りの声が、美しい装飾の施された柱や壁、天井に染み込み、余韻を残しながら淡く消えていく。
それはまさに天国………。天国のような、ただただ幻想的な美しさだ。
初夏とはいえ、石造りのアラルフィ大聖堂内は、海の底にいるかのような肌寒さを感じる。それはもしかしたら、厳かで霊妙な大聖堂の空気が、そうさせているのかしら………?
石造りの大聖堂内にラフィ司教様の静かな声が響き、人々が静かに大聖堂を後にする。ミサの終わりだ。でも私は、美しい大聖堂と厳かな光を放つ大鏡に心を打たれてなかなか立ち上がれない。
ああ、コックリが心配しているかも………寝ている彼をそのままに、この場所へ来たものだから………。でも、もう少し………。
「システィーナ様? 神殿騎士殿のパートナーの、システィーナ様ではありませんか?」
私に気がついたラフィ司教様が、私の元へと歩み寄った。
「おはようございます、司教様。」
「おはようございます。ミサにご参列いただきありがとうございます。」
「とても素敵なミサでした。」
「おお、左様ですか。それは嬉しい限りです。今日は神殿騎士殿は?」
「はい、旅の準備を整えているところかと………。」
「左様ですか。しかし………システィーナ様は、本当にお美しいお方ですな。昨日の騒ぎ以来、修道僧や町の人々の噂の的でございましたぞ。」
「そうですか? ありがとうございます。」
「特に………本当に人魚姫ではないか、と話しが持ちきりで。」
「ふふ。初めてここを訪れた時、小さな女の子にも言われました。」
「………して、実際はいかがでしょう?」
「ご期待にそえず………人魚姫ではございません。」
「左様ですか、いや違うとは思うておりました。人魚の寿命は人間より長いと申しましても三百年はいかないというお話しですし。王太子様と出会った時、すでに百年は生きていたと………もしご存命なら四百歳のはず。」
ああ、生まれた時は私も人魚姫も同じなのね。でも、愛する人に巡り会ったのは、人魚姫のほうが三百年も早いんだ。たぶん人魚姫は百年前には亡くなっている………。
「司教様。人魚姫は………人魚姫は………不幸だった………と思いますか?」
私は気になっていたことを聞いた。司教様は、髭をしごきながら考え込んだ。
「そうですな………。さてそれは難しい質問ですな。」
「愛する人に巡り会い、お互いに愛すことができた幸福と、その愛する人と引き離され、離ればなれになる不幸………。」
「一般的には………後者なのかと思いますが………。」
やっぱり、そう思うか………。
人間は、男性は、そう思うのか…………。
違う………違うの…………妖精は…………女性は…………。
「そのことが関係してか………アラルフィの守護鏡も………今は『 力 』を失ってしまったようです。」
「守護鏡の………力………?」
初めて聞く言葉に私は聞き返した。
「おや………『 聖鏡 』のことをご存知ありませんでしたか?」
私は勉強不足で申し訳なく思った………。すると、聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。とても落ち着く、そしてよく通る低い声だ。
「心を司る『 霊力 』が宿った聖なる鏡のことだよ。」
「おお、神殿騎士殿。おはようございます。」
コックリは、優しい笑顔で柱に寄りかかっている。あれ、なんでここにいることが………もしかして、私が宿から出ていったことを知っていて、後ろから追って来たのかしら………? 服装は寝間着代わりにしている普段着のズボンに、羽織るタイプのシャツを着て、腰に剣は差している。ささっと出てこられるような服装だ。
「古来から、鏡には霊妙な力が宿るんだ。それを 魔法の鏡 とか、聖鏡 と呼んで、人々は崇めているんだ。」
そう言うと、コックリは世界に現存する『 聖鏡 』のことを教えてくれた。
法王庁サン・ピエストロ大聖堂には、神聖なる光によって邪なる魔を滅し、清廉な正義と安寧をもたらす聖鏡『 ピエタリス 』が
海上のモン・サン・ミシェリア大聖堂には、慈愛の光によって人々に安らぎと慈しみ、心の平穏をもたらす聖鏡『 ルシェリア 』が
極東 黄金の国ジパネスのイーセ大聖堂には、太陽の恵みの光により地・水・気を清め、五穀豊穣をもたらす聖鏡『 セヤータ 』が
そしてアラルフィ大聖堂には、船乗りや海に生きる人々を護り、海の豊穣、風の豊穣、太陽の豊穣をもたらす聖鏡『 ラルフィール 』が存在している。
「神殿騎士殿ならお分かりですね………。この聖鏡から力を感じないことは………。」
ラフィ司教が、祭壇を見つめながら悲しそうに語った。
「はい。霊妙な力は………。いったいなぜ?」
「その謎を解明しようと、二百年以上前ある高名な神殿騎士殿が調査されたとか………確かアヴァン=ヘルシング卿だったという話ですが………。」
「アヴァン様が………。」
神殿騎士アヴァン=ヘルシングはコックリのあこがれの神殿騎士だ。『 歴史上最強 』の称号を得ている神殿騎士の中の神殿騎士だ。
「解明できたのですか?」
「いえ………できなかったようです。王太子様が残した言葉と同じ言葉を言われたそうです。」
「その言葉とは………?」
「『海に生きる者が、海の精をないがしろにしたからだろう。』という………。」
コックリも私も、なんと答えればよいか言葉が見つからず、重苦しい空気がその場を支配していた。




