第3話 皇女殿下、悪徳商人を斬る!
リゼは顔を上げた。
「どういうこと?」
「父が生きていたころの店の印は、針が一本だけなんです。これは、私が店を継いでから新しく作ったものです」
ミナは店の看板を指さした。
看板には、二本の針を交差させた印が描かれている。
「父が亡くなったあと、仕立て屋組合に届けて、印を変えました。だから、父が生きていたころの契約書に、この印が押されているはずがないんです!」
男の顔から、わずかに血の気が引いた。
「そ、それがどうした! あとから確認のために押しただけだ!」
リゼは契約書を裏返した。
「でも、ここには、お父様が契約した日に押印したと書いてあるわ」
男は黙った。
「印を変えた日付は、組合で確かめられるのでしょう?」
「はい。登録が残っています!」
リゼは静かにうなずいた。
これで、少なくとも契約書に重大な疑いがあることは分かった。
婚姻の約束が本当にあったのか、まず調べなければならない。
もっとも。
そんな約束があったところで、本人の意思を無視して結婚させてよいわけではない。
「では、この契約書を仕立て屋組合と市の記録係に調べてもらいましょう」
リゼが言うと、男は一歩踏み出した。
「返せ!」
契約書を奪おうと、手を伸ばしてくる。
リゼは紙を背中へ回した。
「証拠になるものです。調べるまでは、お返しできないわ」
「小娘が、偉そうに!」
男は後ろの用心棒へ顎をしゃくった。
「取り返せ。それから、店を閉めさせろ!」
二人の男が前へ出た。
ミナが小さく悲鳴を上げる。
リゼはため息をついた。
先日の役人もそうだったが、どうして都合が悪くなると、すぐに腕力へ頼るのだろう。
もう少し話し合う努力をしてほしい。
「セドリック」
「はい、お嬢様!」
「ミナをお願い」
「承知いたしました!」
彼は素早くミナの前へ出た。
今度こそ、見事な動きだった。
長い金髪が揺れ、外套が翻る。
その姿に、通りの娘たちから小さな歓声が漏れた。
「お嬢様には、指一本触れさせん!」
セドリックは堂々と言い放った。
そして、一歩下がった。
足元に、布の端があった。
「あっ」
靴が布を踏んだ。
そのまま後退したため、店先に吊るされていた大きな布が引っ張られた。
がらがらっ。
布を掛けた棒が外れ、何枚もの布地が落ちてくる。
セドリックは、白と青と薄桃色の布に埋もれた。
「……殿下。前が見えません」
リゼは目を閉じた。
「でしょうね」
ところが、その落ちた布のおかげで、ミナと用心棒の間が遮られた。
相手も一瞬、動きを止める。
リゼはその隙を逃さなかった。
外套の前を開き、右手で剣を抜く。
細い刀身に魔力が流れ、青白い光が走った。
「邪魔だ!」
一人目の用心棒が剣を振り上げた。
リゼは半歩、踏み込んだ。
澄んだ金属音が鳴った。
相手の剣は鍔の少し上で断たれ、刃の部分が石畳へ落ちる。
用心棒は、手元に残った柄を呆然と見つめた。
「その剣では、もうお仕事にならないわね」
リゼが剣先を向けると、男は慌てて柄を放した。
もう一人が背後へ回り込もうとする。
リゼは振り向いた。
相手の剣先が、店の扉へ向けられていた。
ミナを脅して、言うことを聞かせるつもりらしい。
リゼの目が細くなった。
「そこは、あなたの店ではないでしょう」
男が剣を突き出した。
リゼは身体を横へずらし、刃をかわした。
続けて、相手の手首を剣の腹で打つ。
「ぐっ!」
剣が落ちた。
リゼは男の足を払い、石畳へ転がした。
男が起き上がろうとしたところへ、剣先を向ける。
「もう、おしまいにしましょう」
男は両手を上げた。
通りが静まり返った。
リゼは剣の魔力を弱め、商人の男へ向き直った。
「さて。お話の続きをしましょうか」
男は青ざめていた。
「お、お前……何者だ?」
リゼは答えなかった。
代わりに、襟元から細い紐を引き出した。
赤い宝石のついた指輪。
皇族の紋章が、陽光を受けて輝いた。
「婚姻は、本人の意思によって結ばれるものよ。借金の担保にしてよいものではないわ」
男の口が開いた。
「ま、まさか……」
リゼは指輪をかざしたまま、微笑んだ。
「それとも、あなたの商会では、帝国の法より帳簿のほうが偉いのかしら?」
そのとき。
背後から、よく通る声が響いた。
「控えよ!」
セドリックだった。
いつの間にか布から抜け出していたらしい。
彼は剣を抜き、真っ直ぐに背筋を伸ばしている。
「こちらにおわすのは、皇帝陛下の御息女、リゼ殿下である!」
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