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エピローグ 灰色の芋から始まる朝

エピローグ 灰色の芋から始まる朝


 初夏の朝、エルナ農園の門前には、開店を待つ荷馬車が列を作っていた。王都へ運ばれる板コンニャク、山村の食堂へ届けるコンニャク麺、隣国向けの刺身コンニャクが、行き先ごとに木箱へ詰められている。その隣には、新商品のコンニャクゼリーを入れた小さな箱が並び、リンゴ、ブドウ、桃の絵が一つずつ描かれていた。加工場からは薪の煙が立ち、食堂の窓からは焼いた黒パンと玉ネギのスープの匂いが流れていた。


「桃味は託児所へ二箱、王都の食料品店へ十箱です。食べ方を書いた札も忘れないでください」


「『匙で少しずつお召し上がりください』と書いてあります。容器も大きなものではなく、一人分ずつです」


「昨日、ノルが味見だと言って三つ食べた。あれも売上から引くのかい」


「一つは味見です。残り二つはノルの賃金から引いてください」


 赤い布で髪を包んだマルタが、荷札を持ちながら笑った。レイモンドは紺色の作業着に白い前掛けを着け、ゼリーの箱を一つずつ確認していた。胸のポケットには果汁の量や冷却時間を書いた帳面が入り、腰には汗拭き用の青い布を下げている。五年前の柔らかな手は硬くなり、指には小さな傷が残っていたが、薄い容器を割らないよう両手で丁寧に持っていた。


「ノル、ブドウ味が二つ足りない」


「研究のために食べた」


「何を研究した」


「朝に食べても美味しいかどうかだ。結果は美味しかった」


「昨日は夜に食べても美味しいか調べたと言っていたな」


「朝と夜では条件が違う」


「賃金から二つ分を引く。昼にも研究するつもりなら、先に買え」


 荷車の陰に隠れていたノルが、口の端へ紫色の果汁をつけたまま出てきた。近くで荷造りをしていた労働者たちが笑い、マルタは大きなお玉で空の木箱を鳴らした。驚いた三毛猫が袋の上から飛び降り、レイモンドの長靴の後ろへ隠れた。猫は五年前より丸くなり、首には託児所の子どもが作った赤い布紐を巻いていた。


 託児所では、朝のおやつとしてリンゴ味のコンニャクゼリーが配られていた。黄色や水色の前掛けを着けた子どもたちは、浅い器から小さな匙でゼリーをすくい、口へ入れるたびに頬を動かした。窓辺には洗った靴下と小さなシャツが並び、台所の鍋では昼食用の鶏肉と根菜が煮えていた。レイモンドが様子を見に入ると、一人の少女が空の器を持って駆け寄ってきた。


「おじさん、今日のはリンゴだったよ」


「昨日の桃と、どちらが美味しかった」


「どっちも。明日はブドウにして」


「果汁の在庫を確かめてからだ」


「おじさんが作るんでしょう。いっぱい作って」


「作るには果物を育てる人も、運ぶ人も必要なのだ。私一人では作れない」


「じゃあ、みんなにお願いして」


「そうだな。頼むときは、ありがとうも言うんだぞ」


 少女は大きくうなずき、食べ終えた器を自分で返却台へ置いた。レイモンドは床へ落ちたゼリーを布で拭き、配った数と残った数を帳面へ記録した。以前なら子どもへ食べ方を教える仕事など、自分の身分に合わないと言っただろう。今は少女が急いで飲み込まなかったことを確かめてから、加工場へ戻った。


 その日の昼前、隣国から戻ったエルナの馬車が農園へ入ってきた。エルナは薄い水色のワンピースに生成り色の上着を羽織り、髪を銀色の留め具でまとめていた。膝には契約書の入った革鞄を置き、座席の隅には道中で食べたチーズパンの包み紙が残っている。馬車を降りると、託児所から駆けてきた子どもたちが、桃色のコンニャクゼリーを見せた。


「農園主、おかえりなさい。ぷるぷるだよ」


「ただいま。こぼさずに食べられましたか」


「少しだけ、床に落とした。でも、おじさんが拭いた」


「それなら、次は器を机へ置いて食べましょう」


「明日はブドウ味にしてって、お願いしたよ」


 エルナは子どもたちと別れ、事務所へ向かった。机の上には留守中の売上報告、栽培記録、ゼリーの試作帳が積まれ、花瓶には短い茎の白い花が挿されていた。ミラが香草茶を入れたが、話をしているうちに冷め、表面へ小さな葉が一枚浮いた。エルナは新しい販路について説明したあと、レイモンドが提出した製造報告を開いた。


「隣国との契約は成立したのか」


「ええ。ただし、最初は三都市だけです。現地の料理人と共同で商品を作ります」


「ゼリーも売るのか」


「気候が違うので、保存試験が先です。あなたの記録を研究所へ回します」


「冷却時間の欄に、一か所だけ書き直しがある。最初の数字を間違えたが、正しい時間は横へ記した」


「昔のあなたなら、間違った紙を捨て、誰かに最初から書かせましたね」


「今は、その間違いも試作の記録だ。捨てれば、なぜ直したのか分からなくなる」


 エルナはページをめくり、果汁ごとの固まり方や、子どもたちの感想まで記録されていることを確かめた。桃が苦手な子、酸味の強いリンゴを好む子、冷たすぎると歯が痛むと言った子の言葉まで、小さな文字で残されていた。レイモンドは褒められるのを待つような顔をせず、窓辺に置かれた冷めた香草茶を見ていた。やがて茶を温め直そうかと尋ね、エルナが首を振ると、そのまま机の端へ木の蓋をかぶせた。


「よく調べてあります。研究所へ正式に製品化を申請しましょう」


「商品名は『三色果実のコンニャクゼリー』にした。ぷるぷるコンニャクは、マルタに却下された」


「賢明な判断です」


「私も今では、少しは名前を考えられる」


「五年かかりましたね」


「コンニャクを練るより難しかった」


 エルナの口元がわずかに緩んだが、それは昔へ戻る合図ではなかった。二人は元の夫婦ではなく、農園主と製造職人として、机を挟んで新商品の話をしていた。レイモンドも復縁を口にせず、試作品の容器代と果汁の仕入れ値について質問した。失ったものを取り戻すためではなく、明日の商品を今日よりよくするための話だった。


 午後、エルナはリーネの買い戻した畑を訪れた。畑には若い豆の苗が並び、杖をついたリーネの父親が、つばの広い麦わら帽子をかぶって土を見ていた。畑の隅には母親を覚えている古いリンゴの木が一本残り、枝から白い花びらが落ちていた。リーネは籠からチーズを挟んだ黒パンと、桃味のコンニャクゼリーを取り出した。


「弟が、農園主にも一つ食べてもらいたいと言っていました」


「では、いただきます。今日は昼食を食べる時間がなかったので、助かります」


「またですか。ミラが心配していましたよ」


「馬車の中でチーズパンを半分食べました」


「半分は、昼食とは言いません」


 エルナは畑の脇に置かれた木箱へ腰かけ、浅い器からゼリーを一匙すくった。桃の香りと穏やかな甘みが広がり、柔らかな弾力が歯を押し返した。荒れ地から始まった農園で、レイモンドが何度も失敗し、子どもたちの意見まで聞いて完成させた味だった。リーネの父親も一口食べると、麦わら帽子を持ち上げ、昔はコンニャクが菓子になるとは思わなかったと笑った。


「畑を取り戻したら、以前と同じ景色へ戻ると思っていました」


 リーネは豆の葉についた虫を指で払い、土の乾き具合を確かめた。母親がいたころと同じ家族には戻らず、父親の足も不自由なままである。それでも今の畑には弟の笑い声があり、リーネ自身が選んだ作物が育っていた。エルナは空になったゼリーの器を膝へ置き、若い苗を見渡した。


「同じ場所でも、育てる人が変われば、違う畑になります」


「農園主も、昔と同じ場所へ戻りたいと思いますか」


「いいえ。私は次の土地へ行きます。まだ仕事を求めている農家がありますから」


「では、この畑で育てた豆を持っていってください」


「正当な値段で買わせてください。贈り物だけでは、農園の仕組みが崩れます」


「相変わらずですね」


「それが、私の仕事です」


 夕方、農園の広場では仕事を終えた労働者たちが手を洗い、食堂へ集まり始めた。夕食はコンニャクと鶏肉の甘辛煮、春キャベツのスープ、焼きたての黒パンだった。格子状の切り込みへ煮汁が染みたコンニャクを、ノルが肉と間違えて三つも自分の皿へ取ったため、マルタに一つ戻すよう叱られていた。窓の外では洗濯物が風に揺れ、三毛猫が食堂の戸口で鶏肉を待っていた。


「明日の製造量は、今日より二百枚多いよ。寝坊するんじゃないよ!」


「分かっている。私は五年間、遅刻していない」


「馬車の見送りで、一度遅れかけただろう」


「あれは鐘が鳴る前に戻った。帳面を確認しろ」


「細かい男だね」


「記録が大事だと教えたのは、あなたたちだ」


 レイモンドは自分の皿を持ち、空いている長椅子へ座った。エルナは少し離れた席で、農家や研究員と翌月の計画について話している。誰かの妻として夫の食事を気にする必要もなく、自分の皿へ好きな量の煮込みを取り、温かいうちに食べていた。レイモンドも彼女の視線を求めず、隣に座った新人へ、コンニャクの切り込みへ味がよく染みていると説明した。


 翌朝、まだ空が青くなる前に、加工場の煙突から白い煙が上がった。レイモンドは自分の小さな家で火を起こし、黒パンへチーズとコンニャクの甘辛煮を挟み、昼の弁当を布で包んだ。窓辺には洗った靴下が一足干され、机の上には果汁の配合を書いた帳面と、働いて得た賃金袋が置かれていた。彼は戸締まりを確かめ、長靴を履くと、朝の鐘より先に家を出た。


 同じころ、エルナは事務所の窓を開け、朝の風を部屋へ入れた。机には新しい村の地図と契約書があり、その横には昨日のコンニャクゼリーの空き容器が残っていた。彼女は泥のついた手袋をはめ、誰かに許可を求めることなく、今日の仕事を始めた。窓の外ではレイモンドが加工場へ歩き、リーネが畑を見回り、マルタのお玉が大鍋の縁を鳴らしていた。


「手を止めない! 今日のコンニャクは、今日しか作れないよ!」


「分かっている。今、始める!」


 農園には朝日が差し込み、洗い終えた芋の水滴が光った。価値がないと言われた灰色の芋は、料理となり、菓子となり、多くの家族の暮らしを支えていた。そして、捨てられた土地で自分の価値を育てたエルナも、すべてを失って働くことを覚えたレイモンドも、過去へ戻らず、それぞれの持ち場へ向かって歩き始めた。



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