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『外れ職《解除士》、勇者の加護も奴隷契約も全部まとめて無効化する~悪党の加護を剥がしたら、世界が俺に土下座した~』  作者: あちゅ和尚


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第5話 借り物の勇者

 村の鐘が遠ざかる。


 神殿を迎える鐘ではなく、村人たちが互いを呼び合うための鐘。


 その音を背に、レオンとリュシアは丘の裏道を進んでいた。


 道と呼ぶには細い。


 畑の脇を抜け、低い石垣の間を通り、やがて古い巡礼路へ合流する。


 足元には平たい石が敷かれていたが、ところどころ崩れ、草に埋もれている。


 かつては神殿へ向かう人々が歩いた道なのだろう。


 今のレオンたちにとっては、皮肉な逃げ道だった。


「歩幅、落ちてる」


 リュシアが言った。


「君が?」


「あなた」


「なら、通常運転だ」


「自覚があるなら直して」


「すぐ直るものじゃない」


 レオンは息を整えながら答えた。


 リュシアは呆れたようにこちらを見る。


 彼女の顔色も良くはない。


 それでも、剣を持つ手はまだしっかりしていた。


 処刑場から逃げ、倉庫を壊し、偽聖女の奇跡を剥がした。


 半日も経っていない。


 普通なら、どこかで倒れていてもおかしくない。


 それでも二人は歩いている。


 追われているからだ。


 立ち止まれば、神殿兵が来る。


 男爵の兵が来る。


 商会の者も来る。


 そして何より、レオン自身が分かっていた。


 剥がせば剥がすほど、敵は増える。


 奴隷印も、救済契約も、偽りの奇跡も、別々の悪事ではなかった。


 裏側で、同じ名前がちらついている。


 ローデン男爵。


 地方神殿。


 商会。


 そして、おそらくそれだけではない。


「ねえ」


 リュシアが足を止めた。


「前」


 巡礼路の先に、石橋があった。


 小さな谷川にかかる古い橋だ。


 その手前に、馬車が数台止められている。


 村人らしい男女が十数人。


 荷を積んだ商人。


 巡礼者。


 そして、白い鎧を着た神殿兵たち。


 道が封鎖されていた。


 レオンはすぐに身を低くした。


「回り道は?」


「谷が深い。下りられなくはないけど、あなたは落ちる」


「断言が早い」


「事実」


「否定しきれないのが悔しい」


 石橋の手前では、神殿兵が通行人を一人ずつ調べていた。


 だが、ただの検問ではない。


 橋の中央に、派手な白金の鎧を着た若い男が立っている。


 年は二十歳前後。


 金髪を後ろで結び、腰には装飾過多な剣。


 胸元には、神殿の聖印とは別に、太陽のような紋章が輝いていた。


 その紋章が、やけに眩しい。


 周囲の人々は、彼を見るたびに自然と頭を下げていた。


 怯えではない。


 敬意に似た何か。


 けれど、レオンの目には不自然に見えた。


「勇者候補だ」


 近くの藪に隠れたまま、レオンは小さく呟いた。


 リュシアの眉が動く。


「勇者?」


「正式な勇者ではないと思う。神殿が選んだ候補者だ」


 勇者。


 魔王を倒す者。


 神から加護を受け、聖剣を振るう者。


 物語の中では、そう語られる存在だ。


 実際、この国でも勇者候補は特別扱いされる。


 神殿が見出し、貴族が支援し、民が讃える。


 戦場に出る前から英雄として扱われる者たち。


 レオンは、そういう人間を遠くから何度か見たことがある。


 だが、目の前の男は少し違った。


 光が強すぎる。


 眩しすぎる。


 本人の器から溢れている光ではない。


 上から貼りつけたような光だ。


 橋の上で、若い男が大きな声を出した。


「この先は神殿の管理下に置かれた! 異端解除士レオン・アッシュフォード、および反逆奴隷を捕らえるためである!」


 レオンは顔をしかめた。


「もう名前が出てる」


「有名人」


「嬉しくない」


「私も反逆奴隷のまま」


 リュシアの声が少し低くなる。


 レオンは横を見る。


 彼女の首には、もう奴隷印はない。


 それでも、神殿の言葉は彼女をまだ奴隷と呼ぶ。


 解除しても、首輪が砕けても、言葉でまた縛ろうとする。


 その雑さに、レオンの胸が少し熱くなった。


 橋の上の男が、白い外套をひるがえす。


「私は勇者候補、カイル・ヴァルド! 神殿より光の加護を授かりし者だ!」


 周囲から感嘆の声が上がった。


「勇者候補様……」


「光の加護だ」


「あの方がいれば異端者も終わりだ」


 カイルはその声を聞き、満足げに頷いた。


「恐れるな、民よ。私は弱き者を守るためにいる」


 そう言って、彼は橋の手前に立っていた老人へ視線を向けた。


 老人は小さな荷車を引いている。


 荷車には袋が三つ。


 おそらく、村へ運ぶ麦か豆だ。


「そこの老人」


 カイルが言った。


「その荷を置いていけ」


 老人は顔を上げた。


「え……?」


「神殿兵の食糧として徴発する。異端者捜索のためだ。勇者候補の命令である」


 老人は慌てて荷車を押さえた。


「お待ちください。これは隣村へ届ける種麦でございます。これがなければ、次の畑が……」


「民を守るための戦いに、民が協力するのは当然だ」


 カイルは笑顔のまま言った。


「光の加護に従え」


 胸元の太陽紋が強く光った。


 老人の体が震える。


 そして、荷車から手を離した。


「……はい」


 その声は、明らかに本人のものではなかった。


 レオンの目が細くなる。


 リュシアも気づいた。


「今の」


「命令に加護を乗せてる」


「洗脳?」


「そこまで強くはない。けど、逆らいにくくしてる」


 神殿兵が老人の荷車を引いていく。


 老人はぼんやりと立ち尽くしていた。


 カイルは周囲を見回し、誇らしげに言う。


「これが勇者の役目だ。大義のために、民の小さな損を飲み込ませる」


 リュシアの指が剣の柄にかかった。


「小さくない」


「うん」


「斬る?」


「まだ」


「また?」


「今度は、見てから剥がす」


 橋の列が進む。


 今度は若い母親と少年が止められた。


 少年は背負い袋を抱えている。


 袋の中には薬草らしきものが見えた。


 神殿兵がそれを奪おうとする。


「これは父の薬です!」


 少年が叫んだ。


「熱が続いてて、薬師に分けてもらって――」


 カイルが近づく。


「薬草も必要だ。異端者に傷を負わされた兵を癒やさねばならない」


「でも、父が死んでしまいます!」


 少年は袋を抱きしめた。


 カイルの笑みが消えた。


「勇者候補の命に逆らうのか」


「父の薬です!」


 胸元の太陽紋がさらに光る。


 少年の膝が震えた。


 母親が泣きそうな顔で、少年の肩に手を置く。


「やめなさい……相手は勇者様よ……」


 少年の目から涙が溢れた。


 それでも、袋を離さない。


「嫌だ……」


 カイルの顔が歪んだ。


「子供のくせに、光の加護に逆らうか」


 彼は腰の剣に手をかけた。


「ならば、異端に惑わされた証だ」


 レオンは藪から立ち上がった。


「それは違う」


 リュシアが横でため息をつく。


「結局出る」


「ごめん」


「守る」


「頼む」


 二人が巡礼路へ出ると、橋の手前にいた人々が一斉に振り返った。


 神殿兵の顔色が変わる。


「レオン・アッシュフォード!」


「反逆奴隷もいるぞ!」


 リュシアの目が冷たくなる。


「その呼び方、嫌い」


 カイルは最初、驚いた顔をした。


 だが、すぐに笑みを浮かべる。


「ほう。探す手間が省けた」


 彼はゆっくりと橋の中央から歩いてきた。


 胸元の光が揺れる。


 周囲の人々が、自然と道を空けた。


「君が外れ職の解除士か。神殿の裁きを乱し、奴隷を奪い、聖女を襲った異端者」


「だいぶ違いますね」


「異端者は皆そう言う」


 カイルは剣を抜いた。


 刃にも白い光がまとわりつく。


「私は勇者候補カイル。光の加護を受けた者だ。君のような外れ職とは、立つ場所が違う」


「そうですか」


 レオンは少年の背負い袋を見た。


「その子の薬を返してください」


 カイルの笑みが深くなった。


「私に命令するのか?」


「お願いです」


「同じことだ」


 カイルが剣先をレオンへ向ける。


「外れ職が勇者候補に意見する。それだけで不敬だ」


 太陽紋が輝いた。


 光が広がる。


 周囲の人々の膝が、少しずつ折れていく。


 老人が膝をつく。


 母親も。


 商人も。


 巡礼者も。


 まるで、カイルの前に跪くのが当然だと体が思い込まされているようだった。


 レオンの膝にも重みがかかった。


 頭を下げろ。


 従え。


 逆らうな。


 勇者候補は正しい。


 そんな声が、体の奥に流れ込んでくる。


 リュシアが一歩踏みとどまった。


 顔をしかめながらも、剣を下げない。


「気持ち悪い」


 彼女は低く言った。


 カイルの眉が動く。


「貴様、なぜ跪かない」


「嫌だから」


「反逆奴隷が」


 カイルは剣を振り上げた。


 リュシアが前に出る。


 金属音が鳴った。


 カイルの剣は速かった。


 重い。


 光の加護が乗っている。


 リュシアの体が後ろへ押される。


 まだ消耗している彼女には、まともに受け続けるのは厳しい。


「リュシア!」


「下がって」


 リュシアは短く言った。


 二撃目。


 三撃目。


 カイルは剣術そのものが上手いわけではない。


 足運びが雑だ。


 肩に力が入りすぎている。


 それでも、光が剣を速くし、体を強くし、周囲を怯ませている。


 借り物の力で、技の粗さが塗りつぶされている。


 レオンは見た。


 太陽紋からカイルの全身に走る線。


 剣へ流れる強化。


 声へ混ざる威圧。


 周囲へ撒かれる敬意誘導。


 そして、相手を異端と定めた瞬間だけ増幅する攻撃補正。


 これが勇者候補の加護。


 いや。


 勇者候補のふりをさせるための補助輪だ。


「すごいだろう」


 カイルはリュシアを押し込みながら笑った。


「これが神に選ばれた者の力だ!」


 リュシアの剣が弾かれる。


 カイルが踏み込む。


 光の刃が彼女の肩を狙った。


 レオンは前へ出た。


 それしかできなかった。


「邪魔だ!」


 カイルの剣がレオンへ向かう。


 リュシアが目を見開いた。


 レオンは剣を受けられない。


 避けられない。


 だから、剣ではなく光を見た。


 その光が何を借りているのか。


 神の名。


 勇者候補の称号。


 民衆の期待。


 神殿の認可。


 そして、カイル本人の薄い自尊心。


 そこに、本人の覚悟はない。


 誰かを守るという誓いもない。


 ただ、選ばれた自分を疑われたくないという恐れだけがある。


 レオンは剣の光へ手を伸ばした。


「お前の力」


 カイルの目が見開かれる。


「借り物だろ」


 レオンは言った。


「解除」


 白い光が砕けた。


 音はなかった。


 ただ、カイルの胸元にあった太陽紋から光が消えた。


 剣を包んでいた輝きも消える。


 周囲に広がっていた跪きの重圧が、霧のように晴れた。


 膝をついていた人々が、はっと顔を上げる。


 老人が自分の膝を見た。


 母親が少年を抱き寄せた。


 少年は薬草の袋を取り戻し、震えながらも離さなかった。


 カイルの剣は、レオンの肩に届く寸前で止まっていた。


 止まったのではない。


 重すぎて、振り切れなくなっていた。


「な……」


 カイルの腕が震える。


「なんだ……剣が……」


 リュシアが一歩踏み込んだ。


 剥がれた瞬間を、彼女は逃さない。


 剣の腹がカイルの手首を打った。


 装飾過多な剣が石畳に落ちる。


 続けて、リュシアの足がカイルの膝裏を払った。


 勇者候補は、情けない声を上げて地面に転がった。


 白金の鎧が派手な音を立てる。


 誰も歓声を上げなかった。


 ただ、見ていた。


 今まで眩しく見えていた男が、光を失った瞬間に、ただの若い男になったところを。


「ば、馬鹿な……」


 カイルは地面に手をつきながら叫んだ。


「私の加護が……光の加護が……!」


 レオンは太陽紋を見た。


 紋章は割れていない。


 ただ、表面の偽装が剥がれ、内側の文字が浮かんでいる。


 勇者候補補助術式。


 民衆敬意誘導。


 異端指定時攻撃増幅。


 自己評価保護。


 功績印象補正。


 神殿管理番号。


 周囲の人々が、その文字を読んだ。


「功績印象補正……?」


「敬意誘導って、まさか」


「俺たちは、無理やり頭を下げさせられていたのか」


 カイルの顔が赤くなる。


「違う! これは勇者候補に必要な補助だ! 民が勇者を信じるための、正当な加護だ!」


「人から薬を奪うために?」


 レオンは言った。


「老人の種麦を取るために?」


「大義のためだ!」


「あなたの大義は、誰を守った?」


 カイルは言葉に詰まった。


 リュシアが剣先を彼の喉元へ向ける。


「さっきの子を異端にするところだった」


「黙れ、奴隷風情が!」


 カイルが叫んだ瞬間、リュシアの目が冷えた。


 剣先がほんの少しだけ皮膚に触れる。


 カイルの喉に赤い線が浮かんだ。


「もう一回言う?」


 カイルは声を失った。


 レオンは、地面に落ちた剣を拾おうとして、重さに驚いた。


 装飾が多すぎる。


 実戦用ではない。


 加護で振るうことを前提に作られた剣だ。


 カイル自身の腕では、扱いきれない。


「この剣も、借り物ですね」


「返せ! それは神殿から私に授けられた聖剣だ!」


 レオンは剣の柄を見た。


 聖剣ではない。


 高価な魔法剣ではある。


 だが、聖なる誓いも、魔王を討つための意思も宿っていない。


 柄にあるのは、称号補助と演出光だけだ。


「聖剣のふりをした舞台道具です」


 レオンは柄の印に触れた。


「解除」


 剣から薄い白光が剥がれた。


 残ったのは、金銀の飾りがついた重い剣。


 美しいが、戦いには向かない。


 カイルはそれを見て、唇を震わせた。


「やめろ……それ以上剥がすな……」


「まだありますか」


 レオンはカイルの鎧を見た。


 白金の鎧にも術式がある。


 傷を浅く見せる。


 汚れを弾く。


 立ち姿を整える。


 声を響かせる。


 本人を強く見せるための小さな補助が、いくつも重ねられている。


 だが、命を守る本物の防具としては薄い。


 これもまた、勇者候補らしく見せるための殻だった。


「剥がされたくないなら」


 レオンはカイルを見下ろした。


「自分の力で立ってください」


 カイルは歯を食いしばって立とうとした。


 だが、膝が笑っている。


 加護が消えた体は、さっきまでの動きについていけない。


 彼は半分立ち上がり、すぐに崩れた。


 リュシアは冷たく見ていた。


「弱い」


 その一言は、剣より深く刺さったようだった。


 カイルの顔が歪む。


「私は……私は選ばれたんだ……! 神殿が、私を……!」


「神殿が選んだだけでしょ」


 リュシアは言った。


「あなたが誰かを守ったわけじゃない」


 橋の周囲が静まり返る。


 先ほどまでカイルを讃えていた人々が、今は一歩ずつ距離を取っていた。


 老人が荷車の方へ走る。


 少年は薬草の袋を抱え、母親の後ろに隠れた。


 神殿兵たちは動けない。


 彼らもまた、勇者候補の光に背中を押されていたのだろう。


 光が消えた今、目の前の男を守るべきか迷っている。


 カイルはそれを見て、焦った。


「何をしている! 私を守れ! 私は勇者候補だぞ!」


 神殿兵のひとりが一歩出ようとして、足を止めた。


 レオンはその兵を見た。


 彼の槍にも、服従補助の小さな印がある。


 神殿兵だからといって、全員が悪党ではない。


 だが、命令に縛られたままでは同じことをする。


「動きたくないなら、動かなくていい」


 レオンは槍の印へ手を向けた。


「解除」


 神殿兵の槍から、白い糸のような光が消えた。


 男は肩を震わせ、槍を下ろした。


「俺は……子供の薬まで取り上げたかったわけじゃ……」


 別の兵が顔を伏せる。


「命令だから、と……」


 カイルが怒鳴る。


「ふざけるな! 命令に従え! 私は勇者候補だ!」


 レオンは振り返った。


「その肩書きも、もう光ってませんよ」


 カイルは胸元の太陽紋を押さえた。


 そこにはもう、眩しい光はない。


 ただの金属飾りだ。


 彼の呼吸が荒くなる。


「返せ」


「何を?」


「私の加護を返せ!」


 カイルが素手で飛びかかってきた。


 遅い。


 リュシアが半歩ずれ、彼の腕を取って地面へ押さえた。


 白金の鎧が石畳にこすれる。


 勇者候補はうつ伏せになり、もがいた。


「離せ! 私は選ばれた人間だ!」


「選ばれたなら」


 リュシアが淡々と言った。


「加護がなくても立てばいい」


 カイルは動きを止めた。


 その言葉に返せるものがなかった。


 レオンは周囲の人々へ向いた。


「奪われた荷を取り戻してください。神殿兵の方も、これ以上止めないでください」


 神殿兵たちは互いに顔を見合わせた。


 やがて、先ほどの槍兵が頷いた。


「……分かった」


 老人が荷車を取り返した。


 少年の薬草も返された。


 村人や巡礼者たちは、まだ怯えながらも、少しずつ自分の荷を確認し始める。


 カイルが押さえつけられたまま叫んだ。


「貴様ら、後悔するぞ! 神殿が黙っていない! 勇者候補に手を出した罪は重い!」


「たぶん、もう十分重い罪を着せられてる」


 レオンは言った。


「今さらひとつ増えても同じです」


「外れ職のくせに……!」


「それもよく言われます」


 レオンはカイルの胸元へ手を伸ばした。


 カイルがびくりと震える。


「何をする……」


「もうひとつ剥がします」


「やめろ!」


「あなたの本当の能力までは剥がしません」


 レオンは太陽紋の裏に隠された小さな封印を見た。


 功績偽装。


 過去の討伐数。


 救済実績。


 魔物退治の証明。


 すべてが、本人のものではない。


 誰かの功績を束ねて、カイルの名に寄せている。


 これがある限り、彼はまた別の場所で勇者候補を名乗れる。


「借りた功績は返してください」


 レオンは静かに言った。


「解除」


 太陽紋が割れた。


 空中に、いくつもの文字が浮かぶ。


 討伐記録。


 護衛任務。


 村の救援。


 盗賊退治。


 そこには、カイルとは別の名が記されていた。


 神殿兵。


 無名の冒険者。


 村の自警団。


 死んだ傭兵。


 それらの功績が、神殿の管理印によってカイルの実績として束ねられていた。


 周囲がざわめく。


「盗賊を倒したのは、この人じゃないのか」


「去年の橋の魔物退治も……」


「名前が違うぞ」


 カイルの顔が真っ白になった。


「違う……私は、何も知らない……神殿が、勝手に……」


「知っていたかどうかは、あなたがこれから説明してください」


 レオンは言った。


「ただ、もうその功績はあなたのものじゃない」


 その時、遠くから角笛の音が響いた。


 神殿の追撃隊だ。


 橋の向こう側から、馬の影が見える。


 リュシアがカイルから手を離し、剣を構え直す。


「増えた」


「そうだね」


「どうする?」


「橋を渡る」


「正面突破?」


「いや」


 レオンは橋のたもとに刻まれた古い巡礼印を見た。


 封鎖用の結界が仕込まれている。


 神殿兵が検問に使っていたものだ。


 通行人を止め、異端指定された者だけを足止めする簡易結界。


 今はまだ発動していない。


 だが、追撃隊が来ればすぐ使われる。


 なら、その前に。


 レオンは橋の石柱へ手を当てた。


「神殿の道なら、少し借ります」


 リュシアが横目で見る。


「借り物に厳しいのに?」


「返すつもりはある」


「あるんだ」


「壊して返すかもしれないけど」


 レオンは石柱の術式を読み取る。


 通行制限。


 異端識別。


 神殿兵優先。


 一般人抑止。


 それを、少しだけひっくり返す。


 神殿兵だけを止める。


 民と逃亡者を通す。


 正規の使い方ではない。


 だが、これくらいならできる。


「解除」


 石橋の上にあった見えない壁が、ふっと消えた。


 代わりに、橋の向こう側に薄い白い膜が張られる。


 追撃隊の馬が、橋の手前で足を止めた。


 進もうとしても進めない。


 神殿の結界が、神殿兵を遮っていた。


「今」


 レオンが言うと、リュシアが頷いた。


 二人は橋を渡る。


 途中で、少年がレオンへ向けて薬草の袋を抱えたまま頭を下げた。


「ありがとう!」


 レオンは軽く手を上げた。


 老人も荷車を引きながら言う。


「あんたたちは、神殿に追われているのか」


「はい」


「なら、古い粉挽き小屋へ行きなさい。橋を渡って北の林だ。今は誰も使っとらん」


 リュシアが短く頷く。


「助かる」


 レオンたちは橋を渡り切った。


 背後では、カイルがまだ叫んでいる。


「私を置いていくな! 私は勇者候補だぞ! おい、誰か! 私を助けろ!」


 だが、その声にかつての光はなかった。


 誰かを跪かせる力もない。


 借り物の加護。


 借り物の功績。


 借り物の敬意。


 それらを剥がされた男の声は、ただのわがままだった。


 リュシアが歩きながら言った。


「殺さなかった」


「うん」


「また?」


「殺すより、剥がしたものをみんなに見せた方が効くと思った」


「性格悪い」


「否定はしない」


 リュシアは少しだけ笑った。


 それから、真面目な声で言う。


「でも、あれはまた来る」


「カイルが?」


「神殿が。勇者候補の加護まで剥がされたら、放っておかない」


「だろうね」


 レオンは自分の手を見た。


 奴隷印。


 救済契約。


 偽りの奇跡。


 そして、勇者候補の加護。


 剥がせるものは増えている。


 そのたびに、敵の顔もはっきりしていく。


 神殿は人を救う場所ではない。


 少なくとも、レオンたちが見てきた神殿は違う。


 契約を偽り、病を作り、勇者を飾り、民を跪かせる。


 それを正しさと呼んでいる。


 なら、次に狙われるのは当然だ。


 レオン自身。


 解除士の力そのもの。


 橋の向こうで、神殿兵たちの怒号が響く。


 だが、しばらくは追いつけない。


 リュシアは剣を肩に担ぎ、北の林を見た。


「粉挽き小屋で休む」


「賛成」


「倒れる前に」


「俺が?」


「私も」


 その言葉に、レオンは少し驚いた。


 リュシアが自分の限界を口にしたのは、初めてだった。


「じゃあ、急ごう」


「急ぐのは苦手でしょ」


「努力はする」


「それでいい」


 二人は北の林へ向かった。


 背後では、剥がされた勇者候補の怒声が、まだ風に乗って聞こえていた。


 けれどもう、その声に頭を下げる者はいない。


 眩しすぎる光が消えた後、残ったのは、それぞれが自分の荷を取り戻す音だった。


 種麦を引く車輪の音。


 薬草の袋を抱える少年の足音。


 橋を渡る巡礼者たちのざわめき。


 誰かに跪かされていた人々が、また前へ進み始める音。


 レオンはその音を聞きながら、林の影へ入った。


 剥がすべきものは、まだ多い。


 だが、ひとつ剥がすたびに、誰かが立ち上がる。


 それだけは、もう疑わなかった。


 

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