第8話 撤退命令が来た。おじさん、無視して第五層に残ってしまう
スマホが鳴った。
ダンジョン管理局からの緊急通知だった。
《第五層を含む全エリアの即時退避を命じます。現在滞在中の方は速やかに地上へ向かってください。繰り返します——》
ヒナが画面を覗き込んだ。
「田中さん、撤退命令が来てます!」
「見えてます」
「…従いますよね?」
「…もう少しだけ」
「もう少しって何分ですか?」
「…わかりません」
ヒナがため息をついた。
深い、長いため息だった。
サクラが淡々と言った。
「一応言っておくと、管理局の撤退命令に従わない場合、入場資格の剥奪と罰則がありますよ?」
「そうなんですか?」
「はい。」
「…それは困りますね」
「ですよね?」
「でも、もう少しだけ…」
サクラが手帳に何か書き始めた。
「……メモしてます?」
「田中さんの言動を記録しています。後で資料になりそうなので」
リオが扉のアーチを見上げたまま、静かに言った。
「田中さん、扉の前に立って、何か感じますか?」
「…感じます」
「…どんなことを?」
俺はアーチを見た。
光は消えていた。
さっきまであれだけ輝いていたのに、今は暗い石の塊に戻っている。
だが…
「呼ばれている気がします」
配信中 — 同接:788,302
ガチ勢777:撤退命令を「もう少し」で無視するおじさん
エトウ:サクラちゃんが言動を記録し始めたの草
匿名A:「呼ばれている気がします」は鳥肌
プロ冒険者X:管理局の緊急通知、今ダンジョン研究者たちの間で大騒ぎになってるらしい
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんのため息が深すぎるw でも離れないのが好き
匿名B:リオちゃんだけ全然焦ってないの知ってるからだよな
◇
しばらく扉の前に立っていた。
何も起きなかった。
風も来ないし、光も走らなかった。
俺の右手はわずかに温かいままだったが、光ることはなかった。
五分が経った。十分が経った。
「……田中さん」
ヒナが言った。
「…もう行きましょう?」
「…そうですね」
俺はアーチに背を向けた。
歩き始めたとき——背後で、かすかに音がした。
石が擦れるような、低い音。
振り返った。
扉は変わっていなかった。
だが、アーチの最上部、頂点の石に、新しい文字が刻まれていた。
さっきまでなかったはず。…今、刻まれたのだ。
俺は近づいて読んだ。
——《汝の名は、ここに刻まれている》
俺は頂点の石を見た。
文字の下に、何かが刻まれていた。
文字ではない。
紋章のような、複雑な図形。
見た瞬間、頭の中に何かが走った。
痛みではなかった。
光が、走るような感覚。
そして一瞬だけ——映像が見えた。
広い玉座の間。
大勢の人間が跪いている。
その中心に、俺が立っていた。
今の俺ではない。
同じ顔だが、違う服を着ていた。
金色の衣。胸に、今見た紋章と同じ図形。
俺は——いや、その映像の中の俺は、前を向いていた。
その目が、こちらを見た。
映像が消えた。
「……田中さんっ!」
ヒナの声で意識が戻った。
俺は石畳に片膝をついていた。
いつの間にか、膝が折れていた。
「大丈夫ですか!?急に倒れて——」
「倒れてないです。膝をついただけです」
「同じです!」
ヒナが俺の腕を掴んで引き上げようとした。力が強かった。配信で鍛えているのだろう。
俺は自分で立った。
頭が、まだかすかに痺れていた。
リオが俺の顔を見た。
「見えましたか?」
「……少し」
「…っ!何が!?」
俺は少し考えた。
「玉座の間。大勢が跪いていた。その中心に、俺がいました」
沈黙。
リオの目が細くなった。
「……玉座の間?」
「…ええ」
「跪かれていた?」
「ええ」
リオが息を吐いた。
静かに、しかし確かに震えていた。
「田中さん、父が言っていました。帰還者の中でも、ごく一部だけが持つ記憶がある、と」
「…どんな記憶ですか?」
「——王として、あちら側にいた記憶です」
同접:1,088,441 — Xトレンド1位「#田中武志は王だった」
全員:王!!!!!!!!!!!
ガチ勢777:元経理のおじさんが異世界の王だったは話がデカすぎる
エトウ:「膝をついただけです」「同じです!」の掛け合いで笑った後に王発言で死んだ
プロ冒険者X:王の器の「王」って比喩じゃなくてそのまんまの意味だったのか
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんが腕掴んで引き上げようとしてるの好きすぎる
匿名C:リオちゃんが震えてたのが全てを語ってた
匿名D:クビになった元経理→異世界の王 この落差のデカさよ
新規大量:友達にリアタイ勧めたら「話についていけない」と言われたので全話まとめを作った 拡散してください
◇
地上に戻った。
出口に、黒沢と早川が待っており、二人とも険しい顔をしていた。
「田中さん」
黒沢が言った。
「撤退命令に従っていただけませんでしたね」
「…すみません。もう少しだけ見たいことがあったので」
「もう少し……」
早川が眼鏡を押し上げた。
「田中さん、本日の第五層での異常エネルギー反応は、これまでの観測史上最大値です。あなたが扉に触れたことで、ダンジョン全体の魔力濃度が三倍に跳ね上がりました」
「そうなんですか?」
「そうなんですか、ではなく——」
「ふーん」
早川が止まった。
「……ま、また言いましたね?」
「失礼しました」
黒沢が深呼吸をした。
「田中さん、一つだけ教えてください。扉の前で何が起きましたか?」
俺は少し考えた。
「映像が見えました」
「映像?」
「…玉座の間が見えたんです」
黒沢と早川が顔を見合わせた。
早川の手帳を書く手が、かすかに震えていた。
「……玉座の間、というのは?」
「異世界の、だと思います」
静寂。
黒沢がゆっくりと言った。
「田中さん、改めてお願いします。国家プロジェクトへの協力を——」
「断ります」
「まだ話を——」
「…でも、扉については教えてください。あなた方が持っている情報を」
黒沢が止まった。
俺は続けた。
「俺が知りたいことと、あなた方が知りたいことは、一部重なっています。対等な情報交換なら、受けます」
黒沢と早川がまた顔を見合わせた。
今度は長かった。
早川が先に言った。
「……条件を聞かせてください」
俺は頷いた。
後ろで、ヒナがサクラに小声で言っていた。
「……田中さん、急に交渉上手になった!?」
「さっきまで『ふーん』しか言ってなかったのにね」
◇
【衝撃】田中武志、異世界の王だった疑惑が濃厚になってきた件
1 名無しさん : 元経理→無職→ダンジョン配信者→異世界の王 キャリアパスがぶっ壊れてる
2 名無しさん : 「王の器」の王がそのまんまの意味だったの誰も予想してなかったろ
3 名無しさん : 政府に「ふーん」言い続けてたおじさんが実は王様とか話がおかしい(最高)
4 名無しさん : でも最後に「対等な情報交換」って言い出したの熱かった やる気出てきたじゃん
5 名無しさん : ダンジョン全体の魔力濃度が三倍って意味わからん おじさん一人で何してんの
6 名無しさん : 早川さんの手帳を書く手が震えてたの細かい描写で好き
7 名無しさん : 登録者今見たら680万超えてた 一週間でここまで来るか
8 名無しさん : 次回で政府との情報交換が始まるのか 物語が動き出してきた感がある
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