第7話 おじさんは第五層で、何かが目覚めた
第五層への階段を下り始めたとき、ヒナが足を止めた。
「……田中さん」
「はい?」
「…その…この先は、ダンジョン管理局が立入禁止にしてるエリアです…。」
「知ってます?」
「知ってて来たんですかっ!?」
「来てしまいましたね」
ヒナが俺を見て、階段を見て、もう一度俺を見た。
「……うち、田中さんと一緒だと判断力が狂う気がしますっ!」
「それは困りますね」
「困ってるのはうちの方ですよっ!」
リオが先に階段を下り始めていた。
「行きますよ~」
サクラがカメラを構えて続いた。
ヒナがため息をついて、俺の隣を歩き始めた。
「……絶対に守ってくださいね?」
小声だった。
「…わかりました」
俺も小声で返した。
ヒナの耳がまた少し赤くなっていた。
配信開始 — 同接:502,117
ガチ勢777:立入禁止エリアに普通に入っていくの草
エトウ:「来てしまいましたね」って他人事みたいに言うなw
ヒナ推し最前線:小声で「守ってください」は卑怯すぎる
匿名A:ヒナちゃんの耳また赤い
匿名B:リオちゃんが一番乗りで階段下りてるの目的ある感じがする
プロ冒険者X:第五層、管理局が立入禁止にした理由が「深部から異常なエネルギー反応」だったはず やばい
新規:同接50万超えてるじゃん もう一般人の配信じゃない
◇
第五層は、今までと違った。
壁の素材が変わっていた。
石畳ではなく、黒に近い暗灰色の岩。
表面がわずかに光沢を持っていて、光苔ではない発光をしていた。
青でも白でもない、金色に近い、淡い光が、壁の内側からにじんでいた。
俺の右手が、反応して温かくなってきた。
「……田中さん、右手が…!」
リオが言った。
見ると、かすかに光っていた。
壁と同じ色。金に近い、白い光。
「…共鳴しているんですかね?」
リオが静かに言った。
「この壁の素材、父の資料に記述があります、《冥界石》。異世界側からのみ産出される鉱物で、《王の器》を持つ者に反応するとされているそうです…。」
「君のお父さんは、詳しかったんですね」
「……ええ」
リオの声が一瞬だけ揺れた。
俺は何も聞かなかった。
そして、壁に手を触れてみた。
壁は冷たかった。石の冷たさのまま。
だが触れた瞬間、右手から光が広がって——壁の内側で何かが動いた気がした。
脈動、のような。
心臓の鼓動に似た、規則的なリズム。
「……生きてるみたいだ」
思わず口から出た。
「田中さん、今なんて?」
「…いえ。行きましょう。」
同接:641,009
エトウ:壁が右手に共鳴してるじゃん ここまで来ると完全に主人公的な力が覚醒しかけてる
ガチ勢777:冥界石ってなんだよ 設定が深すぎる
プロ冒険者X:「生きてるみたいだ」を流したおじさん 感性がおかしい
匿名C:リオちゃんの声が揺れた瞬間気になった 父親の話まだ全部してないよね
匿名D:サクラちゃんが全部カメラに収めてるのプロすぎる
新規大量:リアルタイムで見てるの震える
◇
奥へ進むにつれ、壁の光が強くなった。
そして——魔物がいなかった。
第一層から第四層まで、どの層にも何かしらの魔物がいた。だが第五層は静かだった。静かすぎた。
「……モンスターがいませんね」
ヒナが警戒しながら言った。
「気配が全く感じません…。」
「逃げたんじゃないですか?」
「…何からですか?」
俺は答えなかった。
通路の奥に、扉が見えた。
第三層のボス部屋と同じ鉄扉ではなかった。
石造りの、巨大なアーチ。
高さは五メートルを超えており、左右の柱に文字が刻まれていた。
俺は立ち止まって確認した。
…読める。
《此処より先は、帰還者の領域なり。器なき者、踏み込むことまかりならぬ》
「……田中さん、読めますか?」
リオが隣に来た。
「…読めます」
「何とっ!?」
俺は読んだ。
三人が静かになった。
「帰還者の領域……」
ヒナが呟いた。
サクラがカメラを構えたまま言った。
「…田中さん、これ、扉ですよね?」
「そうなりますね」
「開けますか?」
俺はアーチを見上げた。
右手が光っていた。
壁の脈動と同じリズムで、右手が光の明滅を繰り返していた。
——思い出す時、すべてが始まる。
碑文の言葉が頭の中に浮かんだ。
まだ、思い出せていない。
だが、扉の前に立ったとき、俺の体が知っていた。
この場所を。
このアーチを。
何度もくぐったことがある、という感覚。
「……開けてみます」
俺は右手をアーチの中央に当てた。
光が走った。
柱の文字が全部、一斉に光り始めた。金色の光が通路を満たした。
ヒナが目を細め、サクラがカメラを向けたまま後退した。リオは微動だにしなかった。
そして——
扉の向こうから、風が来た。
ダンジョンの中に、風などなかった。
だが確かに風だった。
温かく、草木の匂いがした。
花の匂いがした。
知らないはずの匂いが——とても…とても懐かしかった。
『 速報 — ダンジョン管理局より緊急通知:渋谷ダンジョン第五層において異常エネルギー反応を検知。全層立入禁止を発令。現在当該エリアに滞在中の配信者グループとの連絡を試みています。』
同接:1,204,880 — 国内トレンド全席独占
全員:扉が開いた!!!!!!!!!
ガチ勢777:同接100万超えたじゃん どうなってんだ
エトウ:草の匂い 花の匂い これ異世界の風が来てるってこと??
プロ冒険者X:管理局が緊急通知出した 政府がリアルタイムで動いてる
匿名E:配信が歴史的瞬間になりつつある 震えてる
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんたちの安全が心配すぎる
匿名F:リオちゃんだけ全然動じてないのなんか知ってるからだよな絶対
新規大量:ニュース見てきた テレビでも速報出てる
風が止まった。
扉の向こうは、暗かった。
扉は開いてはいなかった。
アーチに光が走っただけで、石の壁はそのままだった。
まだ、開き切っていない。
そういう感覚があった。
「…田中さん」
リオが言った。
「これは予兆です。完全に開くには、もっと器が満ちる必要がありますっ!」
「…満ちる、というのは?」
「思い出すこと、だと思います。父が言っていました。帰還者は、記憶が戻るにつれて力が顕現していく。田中さんはまだ、何も思い出せていませんよね?」
「……ほとんど」
「それでもここまで開けれた!完全な記憶が戻ったとき、扉は——」
リオが扉を見た。
「——本当に開く、と思いますっ!」
静かだった。
ヒナが俺の袖を少しだけ引いた。
「……田中さん、記憶って、戻りそうですか?」
俺は右手を見た。
光は消えていた。
だが、右手はまだ温かかった。
「……わかりません。でも…」
「でも?」
「この匂い、知っている気がします」
「草と花の?」
「ええ」
俺は目を閉じた。
草原。広い空。
青とは少し違う色の空。
「……俺は、あそこにいたことがあります」
確信があった。
記憶ではなかった。
体が、知っていた。
◇
【速報】渋谷ダンジョン第五層で扉が光った件 政府が動き始めた【テレビでも速報】
1 名無しさん : 今NHKのニュース速報にも出た 「渋谷ダンジョン深部で異常エネルギー反応」
2 名無しさん : 同接120万て何なんだよ 一個人の配信じゃないだろもう
3 名無しさん : 「体が知っていた」って言い方が鳥肌すぎる
4 名無しさん : 扉がまだ完全に開いてないってことは続きがあるじゃん 早く記憶を取り戻してくれ
5 名無しさん : リオちゃんが「父が言っていました」って言うたびに父親の話が気になりすぎる どこ行ったんだよその人
6 名無しさん : ヒナちゃんが袖引いたの可愛すぎて一時停止した
7 名無しさん : 黒沢と早川が今頃どんな顔してるか見たい 「ふーんと言った男が扉を光らせた」
8 名無しさん : 登録者580万突破 日本のダンジョン配信史上最速記録らしい
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