第5話 神崎リオ、現わる。おじさん、格上扱いされて困惑する
待ち合わせの喫茶店に入ったら、すぐわかった。
窓際の席に座っている女の子が、スマホを持ったまま入口を見ていた。
目が合った瞬間、立ち上がった。
背が高い。百六十五センチくらい。
黒髪をポニーテールにまとめていて、服装はシンプルなジャケットとスラックス。
顔立ちが整っていて、落ち着いた雰囲気がある。
年齢は二十代前半か、あるいは大学生か。
「田中武志さんですか?」
「そうですね」
「神崎リオです。本日は、来てくださってありがとうございます」
深く頭を下げた。丁寧だった。
俺は向かいの席に座った。コーヒーを頼んだ。
「…。それで、話というのは?」
リオが俺を見た。真剣な目だった。
「田中さんの配信、全部見させて頂きました。」
「ありがとうございます」
「碑文の話、ヒナさんたちとしていましたよね。そして…帰還者、という言葉も」
俺は少し黙った。
「見てたんですか、あの場面も?」
「見てました。……田中さん、私はその言葉を、実は前から知っているんです。」
コーヒーが来た。
俺はカップを持ちながら、リオを見た。
「前から、というのは?」
「…新宿ダンジョンにも、同じ碑文があります。私が最初に見たのは、二年前です」
「……読めたんですか?」
リオが少し間を置いた。
「少しだけ断片的に。でも田中さんほど明確には読めていません…。」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
薄かった。店のコーヒーはいつも薄い。
「……それで、俺に何を話したかったんですか?」
リオが姿勢を正した。
「田中さんは、帰還者だと思います。本物の」
「本物の、というのは?」
「この五年間で、碑文が読めると言った人間は私の知る限り三人います。でも田中さんほど流暢に読める人は、いませんでした。それは…一度あちらに行って、戻ってきた人間にしかできないことだと、私は思っています」
静かな喫茶店だった。
BGMがかすかに流れていた。jazz系の、落ち着いた曲。
俺はしばらく何も言わなかった。
「……あちら、というのは?」
「…ダンジョンの奥の繋がっている先です。」
リオの目が静かだった。嘘をついている目ではなかった。
「異世界、ということですか?」
「はい。」
俺はカップを置いた。
「……一つ聞いていいですか?」
「何でも」
「なぜそれを知っているんですか?」
リオが少しだけ、目を伏せた。
「……私の父が、帰還者だったからです」
◇
翌日の配信は、渋谷ダンジョン第四層の続きだった。
ヒナ、サクラ、そして今日は新たにリオも同行することになった。
入口でヒナがリオを見た。
「…神崎リオさんですよね。登録者八十万人もいる…」
「はい。今日はよろしくお願いします」
ヒナがリオを見て、リオを見て、もう一度俺を見た。
「……田中さん、昨日どこで会ってたんですか?」
「喫茶店で少し…」
「なんで私に言わなかったんですか?」
「…言う必要があると思わなかったので」
ヒナの目が細くなった。
サクラが横で小声で「ヒナ、落ち着いて」と言った。
「オチツイテル」
「全然落ち着いてないわよ!」
リオが俺の隣に並んで、ヒナに向かって笑顔を向けた。
「白川さん、田中さんのこと、よく知ってるんですか?」
「……知ってます。うちが一番知ってますからっ!」
「…そうなんですね。」
リオが俺を見た。
「田中さんのこと、私も、もっと知りたいと思っています」
「はあ…?」
後ろでヒナが何か言いかけて、サクラが止めていた。
俺は三人を連れて、第四層への階段を下りた。
やはり平和に生きるのは難しいと思った。
配信開始 — 同接:341,882
ヒナ推し最前線:神崎リオ登場じゃん!!!
ガチ勢777:ヒナちゃんの顔が完全にライバル視してるやつ
エトウ:「うちが一番知ってます」は草
匿名A:田中さんが「はあ」しか言ってないの天才
匿名B:リオちゃんが田中さんに明らかに目的持って近づいてるの気になる
プロ冒険者X:神崎リオって確か父親がダンジョン研究者だったって話なかったっけ
新規:女の子が増えてきた おじさんが全員に「はあ」って返してるのが好き
◇
第四層の奥は、来るたびに雰囲気が変わる。
今日は空気が違った。
壁の赤みが強くなっている。
光苔が少ない。代わりに床が、微かに温かかった。
「……熱源が近いっ!」
リオが呟いた。
「第四層の深部に《マグマトード》の群れがいるはずです。両生類型の高熱魔物で、体内温度が八百度を超える。近づきすぎると周囲の気温が上昇します」
「詳しいですね」
「父の資料を読んでいたので」
リオの声が少しだけ落ちた。
俺は何も聞かなかった。
通路の奥から、低いうなり声が聞こえてきた。
《マグマトード》。昨日よりさらに大きい。
体長三メートル近い両生類型の魔物が、通路を塞ぐように五体、並んでいた。全身が煮えたぎる溶岩のような橙色で、足を踏み出すたびに石畳が焦げていた。
ヒナが武器を構えた。リオも構えた。
「田中さん!」
ヒナが言った。
「後ろにいてください。二人で——」
「大丈夫ですよ」
俺は前に出た。
一体目が口を開けた。熱線に近い、凝縮された炎が飛んでくる。
俺は右手を前に出した。
炎が、手のひらで止まった。
消えたのではない。止まった。
俺の右手に吸い込まれるように、炎が消えていった。
手のひらが、かすかに光っていた。
金色に近い、白い光。
「……っ」
後ろでリオが息をのんだ。
俺は特に考えずに前へ踏み込んだ。
一体目の額を右手で軽く叩いた。衝撃波が走って、一体目が石畳に倒れた。
二体目、三体目。同じように。
四体目は逃げようとした。俺は足元の石畳を蹴って、一瞬で間合いを詰めた。
五体目は、俺を見て、最初から動かなかった。
ゆっくりと、腹を見せるように伏せた。
降参、のような仕草だった。
俺はその五体目をしばらく見た。
「……行っていいですよ?」
五体目は素早く立ち上がって、通路の奥へ消えた。
俺は振り返った。
ヒナが口を開けていた。サクラがカメラを持ったまま固まっていた。リオだけが、静かな目で俺を見ていた。
「……右手、光ってましたね」
リオが言った。
「そうみたいですね」
「吸収しましたよね、炎を」
「……そうなのかもしれません」
「田中さんっ」
リオの声が、少し強くなった。
「その力、父が言っていた力と同じですっ!」
俺は何も言わなかった。
右手を見た。
もう光っていなかった。ただの四十二歳のおじさんの、平凡な右手だった。
「……君のお父さんは、何と言っていたんですか?」
「《王の器》、と呼んでいました」
静寂が落ちた。
《マグマトード》が倒れた石畳だけが、じわじわと冷えていった。
同接:512,004 — X(旧Twitter)トレンド1位
全員:王の器!?!?!?
ガチ勢777:炎を吸収してたじゃん 今まで払ってたのが今回は吸収に変わってる
エトウ:右手が光るたびに能力が進化してるのでは
プロ冒険者X:王の器……ダンジョン研究の一部資料に出てくるワードだ まさかそれが
匿名C:リオちゃんが父親の話をするときの顔が気になりすぎる
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんの表情が「わけわからんけど田中さんがすごいのはわかる」になってる
匿名D:魔物に降参されてるおじさん もう人間の枠超えてる
新規大量:トレンド見てきた 全話見るのに二時間かかったけど追いついた 続きはよ
◇
帰り際。
碑文の前を通った。
今日も、文字が増えていた。
——《帰還者よ、門はまだ開いている。汝が思い出す時、すべてが始まる。鍵は、汝の血の中にある。器が満ちる時、門は開く》
器が満ちる時、門は開く。
今日、炎を吸収した時に、右手が光った。
王の器。
俺はこの言葉を、どこかで聞いた気がした。
夢の中では、なかった。
もっと遠い場所で。
もっと昔、という感覚とも違う。
——当たり前のこととして、知っていた気がした。
ヒナが隣に来た。
「田中さん。」
「はい」
「……怖くないですか?」
珍しい問いだった。
俺は少し考えた。
「怖い、というより…」
「というより?」
「……そういうものだ、という気がしています」
ヒナが俺の横顔を見た。
「それ、強がりですか?」
「わかりません。強がったことが、あまりないので」
ヒナが少し笑った。
小さく、静かな笑いだった。
「……変な人ですね、田中さん」
「よく言われます」
「でも…」
ヒナが前を向いた。
「嫌いじゃないですっ!」
俺は何も言わなかった。
何を言えばいいかわからなかった。
とりあえず歩き出した。
後ろでサクラが「ヒナそれ告白に近いわよ?」と小声で言っていた。
ヒナが「違うからっ!」と小声で言っていた。
リオがその二人を静かに見ていた。
俺は前を向いたまま、革靴の音を立てて歩いた。
疲れた一日だった。
でも、悪くはなかった。
◇
【考察】《王の器》って何? リオの父親の正体も込みでまとめるスレ
1 名無しさん : 王の器、ダンジョン研究機関の非公開資料に一行だけ記述がある。「異世界の王族のみが持つとされる特異な魔力受容体」
2 名無しさん : 異世界の王族!? 田中武志、元経理じゃなくて元王族だったのか
3 名無しさん : それで「帰還者」なんだ 向こうで王族だった人間が記憶を失って日本にいたってこと?
4 名無しさん : 神崎リオの父親が帰還者でその父から知識を受け継いでるなら、リオも相当な情報持ってるはず
5 名無しさん : 碑文の「器が満ちる時、門は開く」 まじで門が開いたらどうなるんだ
6 名無しさん : ヒナの「嫌いじゃないです」をガチ恋勢が大量発生してて草
7 名無しさん : 登録者今見たら380万超えてた 一週間前まで7人だったのに
8 名無しさん : 次の配信が楽しみすぎて仕事が手につかない
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