第4話 政府の人間が来た。おじさん、国家案件になってしまう
配信を終えて帰宅したら、玄関の前に人が立っていた。
スーツ姿の男が二人か。
俺のスーツよりずっと上等なやつを着ていた。歳は三十代くらい。無表情。背筋が異常に伸びている。
「田中武志さんですね」
片方の男が言った。
「そうですが?」
「内閣府ダンジョン対策室です。少し、お話を伺えますか?」
俺はしばらく二人を見た。
「……今日は疲れたので、また今度でもいいですか?」
男たちが固まった。
「え、あの、田中さん、これ国家——」
「明後日でどうですか。午後三時以降なら空いてます。」
「……は、はい」
「よかった。では失礼します。」
俺は二人の間をすり抜けて、鍵を開けて家に入った。
ドアを閉めた後、廊下で少しだけ立ち止まった。
内閣府、か。
思ったより早かったな、と思った。
なぜそう思ったのかは、自分でもよくわからなかった。
翌朝、スマホを開いたら通知が四千件を超えていた。
登録者数:2,341,008
昨日の配信のクリップが各所で拡散されているらしかった。
アイアンゴーレムを素手で倒した場面と、「革靴に傷が入った」の場面が特に回っているようだった。
コメント欄はまだ動いていた。
昨日の配信アーカイブ — 再生数:4,821,000
ガチ勢777:何回見ても「革靴に傷が入った」で笑う
エトウ:ゴーレムを倒した感想がそれなのおかしい
匿名A:このおじさんの優先順位どうなってんだ
プロ冒険者X:いや笑ってる場合じゃなくてあの右手の光マジで何なんだよ
新規大量:友達に勧められて見たけど全部見てしまった
匿名B:田中武志で検索すると「元経理」しか出てこないの逆に怖い
メッセージもいくつか来ていた。
ヒナから:《今日の配信どうしますか。うちは第四層を提案します!》
サクラから:《昨日の碑文の件、少し調べました。また今度話します。》
そして、知らない番号から一件。
《はじめまして。ダンジョン配信者の神崎リオといいます。私は、登録者数八十万人います。田中さんの配信、全部見ました。一度お会いしたいです》
俺は三通をしばらく眺めた。
知らない人からメッセージが来るのは、社会人十五年目にして初めてだった。
とりあえずヒナに「行きます」と返した。
サクラには「よろしくお願いします」と返した。
神崎リオという人には……少し考えて、「ありがとうございます」と返しておいた。
人付き合いは得意ではないが、無視するのも悪い気がしたので。
◇
渋谷ダンジョン入口、今日もヒナとサクラが待っていた。
サクラが俺を見るなり、手帳を開いた。
「田中さん、碑文の話、いいですか?」
「どうぞ」
「渋谷ダンジョンの碑文は、五年前の出現当初から研究者が調査しています。使用されている文字体系は既知のどの言語とも一致しない。解読不能として報告書に記載されています」
「それは知りませんでした」
「加えて、碑文の内容が変化した事例は、今まで一件も報告されていません」
サクラが手帳から目を上げた。
「田中さんが入るたびに、文字が増えてますよね?」
「……そうかもしれません」
「何か心当たりはありますか?」
俺は少し考えた。
正直に言うと変な人だと思われる。
だが、サクラはすでに十分変な人に思っているだろう、俺のことを。
「夢を見るんです…。」
「夢ですか?」
「石造りの城。俺が知らない言葉を話す人たち。足元で丸まる何か。そして、空の色が、日本と少し違う感じで…。」
サクラが止まった。
「……毎晩ですか?」
「ダンジョンに入り始めてから、毎晩見ていますね。」
ヒナが横で聞いていた。真剣な顔をしていた。
「田中さん」
「はい」
「それ、夢じゃないかもしれません」
俺は何も言わなかった。
そうかもしれない、と思っていたからだ。
配信中 — 同接:198,330
エトウ:今の会話ちゃんと拾えてる人おる?
ガチ勢777:夢じゃない=記憶ってこと?
匿名C:田中さんが異世界にいたことがあるって流れになってきたじゃん
プロ冒険者X:帰還者の意味がここで繋がってきた
ヒナ推し最前線:ヒナちゃんが「夢じゃない」って言い切ったのすごい 何か知ってる?
新規:ストーリーが動き始めてきた気がする 目が離せない
◇
第四層への階段を下りた瞬間、空気がまた変わった。
第三層より重い。第二層より濃い。
光苔の青白い光が少なくなり、代わりに壁が薄く赤みを帯びていた。
ヒナが足を止めた。
「……ここから先、うちも来たことないです。」
「そうなんですか?」
「第四層は《フレイムリザード》の生息域です。炎属性の爬虫類型魔物。群れで行動して、接近戦を仕掛けてくる。難度はボスなしでもB+」
「なるほど」
「普通は行きませんよ、ここ」
「来てしまいましたね」
「田中さんがいるから来たんです」
俺は特に返事をせず、通路を歩き始めた。
後ろでサクラが小声でヒナに言っていた。
「ヒナ、依存しすぎじゃない?」
「依存してない。信頼してるだけ!」
「顔が赤いくない?」
「暑いからっ!」
「第四層、まだ一歩も入ってないけど」
俺は聞こえていたが、聞こえないふりをして歩き続けた。
それが一番平和だと学んだ、この三日間で。
同接:224,017
全員:「暑いから」wwwwwwwwww
ガチ勢777:第四層まだ入ってないのに草
エトウ:おじさんが聞こえないふりしてるの優しさなのかボケなのか
匿名D:サクラちゃんのツッコミ好きすぎる
ヒナ推し最前線:ヒナちゃん普通にフラグ立ってるじゃん
◇
《フレイムリザード》は、思ったより速かった。
全長二メートル弱の爬虫類型魔物。
表皮が赤橙色で、体温が高いのか周囲の空気が歪んで見える。
鋭い爪と牙、そして口から細い炎を吐く。
十体が、一斉に来た。
ヒナが横に跳んだ。サクラが後退した。
俺は立ったまま、一体目の突進を右手で受け流した。
勢いをそのまま利用して、背後の壁に叩きつける。
二体目が炎を吐いた。
俺は顔の前で手を払った。
炎が、散った。
「……えっ?」
ヒナの声が聞こえた。
三体目、四体目が両側から来た。俺は右に半歩ずれて、一体の首根っこを掴み、もう一体の頭に押しつけた。二体同時に地面に叩きつけた。
残り六体が止まった。
俺はゆっくり振り返って、六体を見た。
「……あとは、どうしますか?」
誰に言ったわけでもなかった。
強いて言えば、リザードたちに向かって言った。
六体は三秒固まって、一斉に逃げた。
廊下の奥に消えていく爬虫類の背中を見送りながら、俺は手を払った。
スーツの袖がまた汚れていた。
「……クリーニング代がかさむな…。」
同接:389,772 — トレンド入り
全員:クリーニング代wwwwwwwwwwwwww
ガチ勢777:炎を素手で払ったんだけど????
エトウ:耐炎スキルじゃなくて完全に無効化してたよね今
プロ冒険者X:フレイムリザードの炎、測定値で1200度あるやつなんだが それを手で払うってどういうことだ
匿名E:「あとどうしますか」って魔物に聞いてるおじさん頭おかしい(褒め)
匿名F:リザードが逃げるの三回目 もう魔物の間でおじさんの噂広まってるだろ
新規大量:トレンドから来たけどこれヤバい 全話見てくる
◇
帰り際、また碑文の前を通った。
文字が、また増えていた。
——《帰還者よ、門はまだ開いている。汝が思い出す時、すべてが始まる。鍵は、汝の血の中にある》
俺は三秒、その文字を見た。
ヒナとサクラは少し後ろで話していて、こちらを見ていなかった。
鍵は、汝の血の中にある?
血の中?
俺は右手を見た。
平凡な手だった。傷もない。四十二年間、特に何もなかった普通の右手。
だけど、今日、炎を払ったとき、一瞬だけ、右手が光った気がした。
金色に近い、白い光。
夢の中で見た光と、同じ色だった。
「田中さん、行きますよ~!」
ヒナの声がした。
「はい、今行きます。」
俺は右手を下ろして、歩き出した。
——思い出す時、か。
いつ思い出すのか、俺にはまだわからなかった。
ただ、それが遠くない気がしていた。
◇
【速報】内閣府ダンジョン対策室が田中武志に接触していた件【マジか】
1 名無しさん : 配信のアーカイブに映り込んでたらしい。入口付近にスーツの男二人 明らかに政府系
2 名無しさん : でも田中が「疲れたのでまた今度」で追い返したの草
3 名無しさん : 国家案件になりつつある無職おじさん、話がデカすぎる
4 名無しさん : 碑文が田中が来るたびに変化してるの政府も把握してるだろうから当然か
5 名無しさん : 田中マジでやばいな 一体今までどこに埋もれていたんだろう?
6 名無しさん : 炎を素手で払った瞬間に右手が光ってたの気づいてる人どれくらいいる?
7 名無しさん : 神崎リオが接触しようとしてるのも気になる あいつ只者じゃないって噂あるし
8 名無しさん : 登録者240万突破してるのに本人はクリーニング代を心配してるの、このギャップが全て
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